43・封印解除
案の定、モニカはカレンベルク公爵家へ戻ることを許されなかった。
ハルツェンバイン城の広くて瀟洒な客室に足止めを食らっている。お茶とお菓子と果物をふるまわれ、ドアにも鍵は掛けられていないが、廊下に騎士が何人も控えていて事実上の軟禁である。
モニカは看護服のまま、ぶどうを食い散らかしては種を床にぷっぷっと飛ばしてやった。ふかふかの絨毯にまぎれるぶどうの種。
ハルツェンバインの王族になにを要求されようが、モニカの望むことはすでに決まっている。ミアのしあわせだ。その望みに合う行動はする、合わない行動はしない。それだけだ。なにも考えることはない。
大して待たされることなく、この国の最重要人物がやってくると伝言があった。
王様と王妃様をこの自分の前に来させるとは、ハルツェンバイン王家は恐れ知らずだ。余裕があるのか、それとも危機感が足りないのか。いつ誰に追い落とされるかわからないゲートルド王家だったら、絶対そんなことはしない。
紳士的で平和な国、ハルツェンバイン。
戦闘的で野蛮な国、ゲートルド。
それに神秘的な沈黙の国リューレイを加えた三国が、聖女を擁する旧大国だ。
モニカは争いの絶えないゲートルドで戦の駒として生き抜いてきた。平和ボケしたハルツェンバインの王侯貴族に転がされる気は全然しない。
(まあ油断大敵だけど)
ぷっと大きくぶどうの種を飛ばしたところで、ドアが開いた。
「あら。王様めちゃくちゃいい男ね」
魔術師を前に、騎士を後ろに従えて現れたハルツェンバイン国王を見て、モニカは弾んだ声で言った。
王と王妃と大僧正。それぞれに護衛の魔術師と騎士がついて、総勢九人。モニカを合わせて計十人が、客室を満たしている。
「宴会ができそうな広い部屋だと思ったけど、こういうことね」
モニカは肩をすくめた。王を前にしても長椅子に座ったままだ。
護衛たちから「無礼者」とでも言いたげな視線を向けられるが、知ったことではない。
「モニカ・ストロッツィ」
モニカを見つめて、王がおもむろに口を開く。
「すっごいひさしぶりにその名前で呼ばれたわ。五年ぶりくらい――ううん、もうあと十五年経ってるんだっけ。二十年経ってるから、ブランケン領のことはなかったことにして?」
王は感情の読めない顔でモニカを見つめるだけだ。
「だめかしら」
「封印・解除の聖女の力がなくなったわけではなかろう」
「やっぱり。あたしになんかさせようとしてるでしょ。第一王子の魔障解除かしら?」
「ミア・カレンベルクの封印解除だ」
「なんですって?」
王の言葉に、モニカは真顔になった。
「聖女精察により、ミア・カレンベルクが封印・解除の聖女であることが明らかになった。しかしミアは、覚醒した封印・解除の聖女の力を自覚なく自ら封じていた。そなたには、ミアが自らに施した封印を解除してもらう」
「『解除してもらう』? は? やんないわよ」
ミアが覚醒した力を自ら封じた?
それは、彼女が封印・解除の力を望まなかったからではないのか?
ミア本人が望まなかった力なら、無理に与えたくないとモニカは思った。
この力は便利だが、やっかいなのだ。権力者が利用しようと群がってくる。それがどれだけ面倒なものか、モニカは骨の髄まで知っている。
「やらないつもりか」
「ミアが望まないならやらない」
「ミアが望めばやるのだな」
「本当に望むなら。本当に望むかどうか、ミア本人と話をさせなさい。王様と話しても仕方ないわ」
モニカは強い瞳で、正面からハルツェンバイン王を見つめた。
騎士が殺気立ったが気にしなかった。
王はモニカを殺せない。魔障の王子を救えるのは、モニカしかいないのだから。
モニカがまったく動じないからか、王の目に怒気が宿った気がした。
(権力者ってこれだから嫌になっちゃう)
モニカはいったん目を伏せた。
そして再び目を見開くと同時に立ち上がり、王と王妃と大僧正を守る三人の魔術師に向けて、バッと勢い良く手のひらを突き出し、握り込む動作をした。
ゲートルド王宮の誰もが恐れたモニカの封魔の仕草だが、ハルツェンバインの魔術師たちはきょとんとしている。
「なんの真似だ」
「九対一が気に入らないから、そっちの戦力削ろうと思って」
モニカはあざけるように笑った。
「でもあたし、騎士の戦力は削れないの。どうする? 斬り捨てる? あたしのこと」
……斬り捨てたら、この三人の魔術師は魔力を封じられたままになるけど。王子の魔障も解けないけど。
なにが起こったか察したらしい王妃が、王をかばうように前へ出る。
モニカは王妃を見た。
ミアの話す姿を見られるよう取り計らってくれた、親切な王妃様。
「あたし、王妃様のこと好きだから、王妃様の力は封じないわ」
モニカは王妃ににっこり笑いかけ、忠告を付け加えた。
「魔力持ちの王族があたしなんかに会っちゃだめよ。あたしバカだから、気分次第で誰でも魔力封じちゃうんだから」
*****
ディートハルトの病室を辞したあと、ミアは第三王子ユリアンの部屋へ戻っていた。
ユリアンの日課も一通り済んだ夕暮れ時、二人並んでバルコニーの手すりに肘をつき、夕日に染まった庭園をぼんやり眺めた。九歳のユリアンは背が足りないため、スツールを踏み台にしている。
「今日のあにうえ、どうだった?」
「うーん。あいかわらずほぼ石でしたよ」
ミアはユリアンに、ディートハルトの様子を包み隠さず話している。変に隠したら余計に不安になるだろうと思ったから。ユリアンは最初驚いていたが、今は第一王子の状態を落ち着いて理解している。
「ほぼ石かあ」
「石って言っても彫像みたいでかっこいいんですけどね。連れ帰って部屋に飾りたい」
「ミアさー、絶対あにうえのこと好きだよな……」
「だって……。アウレールお義兄様からディートハルト殿下の地方視察のお話、聞きましたもの。趣味の魔物狩りだなんてとんでもないじゃないですか。地方の民のために志を持って、命まで張って……。ガウに教わった魔物狩りの技術も無駄にしないでしっかり生かして……。立派すぎて涙が出ます。うううっ」
「だから泣くなって」
「救いたいー」
「ミアは救ってるって。役立ってるって母上が言ってたぞ」
「こんな微力じゃなくて、もっとガツンと救いたいー」
「どうやって」
「……」
封印・解除の聖女の力を覚醒させて。
――とは言えないので、ミアは目を伏せて唇と引き結んだ。
聖女の覚醒期限の十六歳まであと一年弱だ。十五歳で覚醒した聖女なんて「いなくはない」程度、ほんのわずかなのだが、可能性はゼロではない。
絶対ほしくなかった古代の聖女の力だが、今はどんな面倒を引き受けてでも、魔法解除の力がほしい。ディーの石化した姿を見てしまったら、もう。
「それにさ、言いたかないけど、あにうえには婚約者が――」
「わーわーわーわー聞きたくない聞こえない」
ミアは耳をふさいだ。一番考えたくないことだ。
ディーには婚約者がいる。
よりによってあの魔女。アンネリーゼが婚約者だなんて。
悪い冗談にしか思えない。
「現実みろよ」
ユリアンがミアの手をぐぐっと耳からはがそうとした。
「いやー。殿下がお説教してくるー」
「おまえがそんなだからだ。おれは、あんなつんけんした聖女よりおまえのほうがいいと思うけどさ……。おまえのほうがずっと」
「いいですよ、そんななぐさめ言ってくださらなくても」
「なぐさめとかじゃなくて。ええとその……。あにうえが無理なら、代わりに、おれ、おれが」
ユリアンが意を決したようになにか言いかけたとき、手すりの外の木立がガサガサと揺れた。
反射的にミアはユリアンを守るように、木立とユリアンの間に立った。
バルコニーの高さの枝から、見知らぬ女性がひょっこり顔を出す。
見知らぬ女性? いや、どこかで見たことがあるとミアは思った。
目鼻立ちのはっきりした、華やかで気の強そうな面差し。年の頃は二十代半ばくらいだろうか。ゆるく編んだ長い髪が、夕日に染まってミアのようなオレンジ色に見える。
「ごきげんよう~。ミア」
のんきなかんじで女性が言った。顔だけではなく、看護服を着た上半身を枝葉の隙間からのぞかせる。
(ディーの病室にいた看護婦さん?)
今日、アウレールとジェッソと一緒に、見慣れない看護婦がいた。彼女だった気がする。しかし、なぜ看護婦が第三王子の部屋のすぐ外で木に登っているのだ?
普通に考えて曲者だと思い、ミアは身構えた。
「待って待って。あたし怪しい者じゃないのよ! その証拠にほら、木の下に大僧正がいるわ。大僧正~っ、なんか言って~」
ミアはうかうかと視線を下げるような真似はしなかったが、木の下から聞き覚えのある声で「王都大聖堂首座、ここにおります~」と言うのが聞こえた。
わけがわからない。ミアは眉をひそめた。
ユリアンが手すりから木の下を見て、「あっほんとに大僧正だ」と言っている。
「何者ですか。あなた」
「あたし? ゲートルドから来た聖女」
「ゲートルドの聖女がなんの用です?」
「あなたに訊きたいことがあるの。正直に答えてね。ミア、あなた、封印・解除の聖女の力が欲しい?」
「欲しいです」
間髪を入れず、ミアはきっぱり答えた。
「まさかの即答! それは、王子様を救いたいからかしら?」
「はい」
この女性は、神話にある古代の聖女の実在を知っているのだろうか? それとも架空の話だろうか。正直に答えろと言うから答えたが、彼女の真意がわからない。
「じゃあ、あなたが封印・解除の聖女にならなくても王子様を救えるとしたら? それでも伝説の、古代の聖女の力が欲しい?」
「どういうことでしょう?」
「あたしが、封印・解除の聖女だから。あたしが王子様の魔法を解くから、ミアは覚醒しなくても大丈夫なの。どうする?」
「……あなたが封印・解除の聖女?」
どこまで本気なのだろうか。ゲートルドには母モニカ以外にも、古代の聖女が存在しているのだろうか。
「そうよ」
「これ、架空の話ですか? なにかのたとえ話とか」
「架空でも事実でもどっちでもいいわ。選んでほしいの。あなた自身が覚醒して王子様を助けるか、あたしが王子様を助けてあなたは覚醒しないか。あたしが知りたいのはあなたの望みだけ」
「わたしの望み……」
「どっちがいい? あなた自身が覚醒するか、あたしが王子様を助けてあなたは今までどおりか」
「わたし自身が覚醒したいです」
今度もミアはきっぱりと言った。
「それはなぜ? 自分の手で王子様を救いたいから?」
「ディーはこれからだって危険な目に遭うでしょう。その度に、何度でも救いたいから」
ミアの答えに、ゲートルドの聖女は目を見開いて、射抜かれたように胸を押さえた。
「なんて……なんてこと……」
「変なこと言いましたか、わたし?」
「ううん……。愛の深さに貫かれちゃった。でも、でもね。この力めんどくさいわよ。利用しようとしていろんな奴が寄ってくるし。平穏無事に生きるにはあんまりおすすめしないわ」
「ディーがあんなに気高い志に生きていた間、わたしは平穏ばかり望んでいました。ディーがこの五年間やってきたことをお義兄様から聞いて、わたし、自分が恥ずかしかったんです。だから、ディーの役に立てる力なら、欲しいです」
「はうっ! ――ぎゃわわわわ」
ゲートルドの聖女は両手で顔を覆った。枝から手を離したせいで落ちそうになっている。なにをやっているんだか。
「ちょっと! 下で話しましょう。あなた落ちそうですよ」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと愛が眩しくて。えー。どうしよー」
「どうしようもこうしようもないですよ……」
覚醒できるものならしたいが、こればっかりは自分ではどうにもならない。目の前の自称古代の聖女にもどうにもできないだろう。
「うーん……。ミア」
「なんですか」
「ディートハルト殿下の愛がほしい?」
「あっ、愛がほしいってなんですか、愛って! やめてくださいよ、大僧正様もユリアン殿下も聞いてらっしゃるのに!」
いきなり何を言うのだ、自称古代の聖女は。
ミアは耳まで真っ赤になってうろたえた。
「なんか、ディートハルト殿下って婚約者がいるらしいから――って、やだ。露骨に悲しい顔しないで」
「し、してないです! してないもん」
「してるでしょ。あからさまに悲しい顔してるでしょ。えー。うーん。ちょっと考えたいから、一度撤退するわ。あなたの気持ちはよくわかったから、力はあげるわ」
自称古代の聖女は握り込んだ右手をミアのほうへ突き出し、子供が飴でもくれるような手つきで、ミアに向けて手を開いた。
(なんの真似だろう?)
「何日か体の具合悪くなるから、気をつけて。またね、ミア」
自称古代の聖女はするする木を降り、途中でひらりと飛び降りた。結構な高さがあったが、大僧正の横にすとんと危なげなく降り立つ。そして笑顔でミアに手を振ると、何か言いたげな大僧正の肩をぐいぐい押して歩み去ろうとした。
「待って!」
ミアは手すりから身を乗り出し、自称聖女を呼び止めた。
聖女がミアを振り仰ぐ。
「あなたが本当に封印・解除の聖女なら、ディーを助けて!」
「せっかくだからミアが助けなさーい! すぐには無理だと思うけど」
「わたしが? どうやって?」
「本能でなんとかなるわ!」
「待って! 意味がわかんない」
ミアは叫んだが、自称聖女は大僧正と共にすたすたと去ってしまった。
彼女のオレンジに見える髪色が、夕日に溶け込む。
「なんだったんでしょう、今の……。あれ? 殿下? ユリアン殿下?」
ユリアンがいつの間にか踏み台の上から消えている。見回すと、バルコニーのすみっこで膝を抱えていた。
「どうされました、殿下?」
「ミアってさあ……」
なぜか潤んだ瞳で、ユリアンがミアを見上げる。
「わたしがなにか?」
「あにうえのことまじ好きすぎだろ」




