40・迷走! 王都への旅
「ガウのばかばか。なんでミアをローのところになんか」
南へ向かう長距離乗り合い馬車である。
乗り合わせた乗客の好奇の目も構わず、モニカはべそべそ泣き続けている。
「ローさんが父親だからですよ」
ワスは何度目かわからない答えを口にした。自分がモニカを泣かせていると疑われても困るので。
「あたしは母親よ! ローは身重のあたしを捨てたのよ!」
「ローさんは知らなかったんでしょ、妊娠」
「そうだけど! 知らなかったくせに今さらミアを連れてっちゃうなんて。あんまりよ。うわあああん」
モニカが突っ伏してわんわん泣く。
ワスが周囲を見回すと、乗客は皆聞き耳を立てて「なるほど」と言いたげな顔をしている。ありふれた男女の破局の話ではあるが、おもしろい話でもあるのだろう。
「ひっくひっく……。あいたたたたた!」
泣いていたモニカが急に胸を押さえて苦しみ出した。
ワスは慌てた。モニカは数時間前まで石化状態だったのだ。ワスを引きずって乗り合い馬車に乗る元気はあったが、いつ体調を崩しても不思議はない。
「大丈夫ですか! 心臓ですか!」
「おっぱい……」
「は?」
「母乳でぱんぱんでおっぱいが痛い」
「はあ!?」
「だってミアは乳飲み子だったのよ。急にいなくなったらおっぱいが張っちゃう。痛ぁい!」
「そ、それってどうすれば」
「誰か吸って~」
「ここでですか!?」
「あんたに頼むわけないでしょ! いたたた痛いよう」
子供もいない男の身では、こんな問題どう対処したらいいかわからない。
おろおろするしかないワスだったが、そこへ救世主が現れた。
「あの……よかったらこの子に」
乗客の若い母親らしき女性が、生後半年ほどの赤ん坊をモニカに見せた。
「わたしは乳の出が悪くて。ぐずっているので、お乳をもらえるとこちらも助かります」
「あ、ありがとーーーー!」
モニカはうやうやしく赤ん坊を預かると、その場で胸をおっぴろげようとした。
「あっ。こちらを!」
間一髪のところで、若い母親がモニカにストールをかぶせる。
「あああ~~~解放感~~~」
赤ん坊に乳を吸わせるモニカの恍惚とした声が、馬車内に響いた。
労わるようなまなざしを寄越すのは女性だけで、男の乗客は全員モニカを見ないように目をそらして、居心地悪そうにしている。
自分が悪いわけではないのに、ワスは男性陣に謝罪したくなった。
(とんでもない女と旅するはめになった……)
とはいえ、モニカが「ミアを取り戻す!」と言ってワスを道連れにしようとしたとき、本気で抗おうと思えばできたはずだ。のこのこついてきたのは自分の責任だと言える。
(まあなんとかなるか。一応ガウさんに書き置きは残してきたし)
しかし『モニカが蘇ってミアを探しに行くと言ってきかないので、一緒に王都へ行く』などという内容を信じてもらえるほど、自分に信用があるかどうかはわからない。
「どうもありがとう。すっきりしたわ~」
ワスの悩ましい思いをよそに、モニカはにこにこしながら満足げな赤ん坊を母親に返した。
「こちらこそ助かりました」
「赤ちゃん、お名前は何かしら」
「テオです」
「お礼にテオへ祝福を。偉大なる大地の精霊よ、ここなるみどり児『テオ』に祝福を与へたまへ」
モニカは厳かな声音で唱えると、指で空に四元素を意味する菱形を切り、そこへ対角線を描き加えた。
(ゲートルド式だな)
ワスはモニカの祝福を見て即座にそう思った。
ハルツェンバイン式なら菱形だけで終わる。対角線は光と闇を意味し、四元素と並んで重視するのは近隣三国ではゲートルドだけだ。
(言葉にも少しゲートルドなまりがあるし。モニカさんはゲートルド国出身なのか)
相手へのお礼とともに祝福を唱えるという古風な習慣も、ハルツェンバインの若い世代はほとんどやらない。でも悪くない習慣だなと、乗客の女性たちとすぐに打ち解けたモニカを見て、ワスは思った。
王都への旅一日目の行程を終え、ワスとモニカは宿に落ち着いた。宿代は持ち合わせがないモニカに代わってワスが立て替えるしかないので、節約のため夫婦と偽っての同室である。
「ほかの男の人と同じ部屋に泊まるなんて、ローはどう思うかしら……なんて関係なかったわね! もう関係ない関係ない!」
モニカはぶんぶんと頭を振り、ベッドに倒れ込んだ。
「ローは関係ないけど、あんた変な気起こさないでよね」
モニカがぎろりとワスをにらんでくる。
「授乳期の女性とどうこうしたいなんて思いませんよ」
一日モニカに振り回されたワスは、もう「お頭」として敬う気持ちなど消えかかっていた。同年代のわがままでやっかいな女としか思えない。
「授乳期……授乳期かあ。ミアはもうあたしのおっぱい、いらなくなっちゃったのね。あたし何年石でいたんだろ」
「だから、状況を詳しく訊くためにも、ガウさんの帰りを待ちましょうって何度も言ったじゃないですか」
「ヤダ。だってガウがミアをローのところにやっちゃったんでしょ。知らない、ガウなんか」
「なにか事情があったんだと思いますよ」
「どんな事情があったら母親から娘を引き離すってのよ」
「あなたは死んだと思われていましたから」
ワスが静かに言い切ると、モニカはベッドの上で身を起こした。
「死んでないもん」
「普通死にますよ。石化魔法にかかったら。なぜ死んでいないのか不思議ですよ」
「魔法になんかかかってないもん」
「じゃあなぜ何年も石でいたんですか? 自分でも石でいた自覚があったんでしょう? 石化から目覚めたら全身石くずだらけ砂だらけだったから、水浴びしたって言ってましたよね?」
「あたしにとって石化は一瞬だったし、芯まで魔法に侵されてなんかなかったわ。だってすぐに解除――」
「解除?」
「……なんでもない」
モニカはそれ以上の追求を阻むように、再び寝転がって毛布をかぶった。
「上着くらい脱いだらどうです? 埃だらけですよ」
ワスがそう言うと、モニカは毛布の中でごそごそ上着を脱いで、乱暴に床に放った。
「僕の服なんですけど。もっと大切に扱ってくださいよ」
モニカの服もアジトになかったので、仕方なくワスが貸したのだ。
「あたしの服も部屋も、お気に入りのカーテンもなかった。大事に育ててた薔薇の苗も」
「そりゃあ……。だって何年も」
「一番大切なミアもいなくて……」
「……」
「あたし、死んでなかったのに」
「モニカさん……」
モニカの声があまりにも寂しそうだったので、ワスはかける言葉が出てこなかった。
「あたし、絶対ミアを取り返すんだから。あたしを捨てた男になんかミアを預けないんだから。ミアにはあたしが必要なんだから」
(あなたにミアさんが必要なのでしょう?)
ワスはそう思ったが、子供をとられて悲しむ母親に対して、そんなことを言えるはずもなかった。
モニカを連れて旅をするのは、子供を連れて旅をするようなものだった。
「また無駄な買い食いして! 節約してくださいって何度言ったらわかるんですか」
「だっておいしそうだったんだもん」
「もうあなたにお金は預けませんから。要るものは僕が買います」
「えー! ヤダヤダ」
「元々僕のお金ですからね?」
「倍にして返すって言ってるじゃない」
「当てになるもんですか……。全部帳簿につけてありますけどね」
「えっ」
「なにが『えっ』ですか。踏み倒す気ですか」
子供と旅するようで面倒は多かったが、モニカは訊かれたことはぺらぺらしゃべるので、旅の間にワスの取材はだいぶ進んだ。全盛期のガウのパーティーは相当にランクが高く、ガウの名はエリート揃いの王立魔物討伐隊にまで轟いていたらしい。さらにモニカが加わってからは、冒険者の中では伝説級のパーティーだったようだ。
しかし、モニカは自分の能力と働きに関してだけは、頑としてしゃべらなかった。
そのほかのことは気安くしゃべるのに、だ。
(絶対なにか面白い能力があるな。突き止めてやるぞ)
ワスは新作に、ガウたちをモデルにした冒険者パーティーを出すことに決めた。主人公の王子を一流の魔物ハンターに育てる役割にぴったりだ。ヒロイン役もほしいところだが、モニカがモデルでは読者の共感が危ういため、却下である。
ヒロインとしては却下であるが、お頭としてのモニカの能力は知りたい。
元彼のロー氏なら、きっと知っているはずだ。
この時点では、ワスは「ロー」に突撃取材する気満々だった。
「次の長距離乗り合い馬車で王都に入りますけど、ローさんのお宅って王都のどこなんですか?」
そろそろ王都での行動計画を練らなくてはと、ワスは飯屋でモニカに尋ねた。
「知らない」
付け合わせの芋を頬張りつつ、モニカが答える。
「……知らない?」
「聞いたことない」
「まいったな。そこからですか。仕方ない……僕が調べるので、ローさんの本名を教えてください。ガウさんのパーティーに入る前の仕事も」
「本名は知らない。仕事は……貴族?」
「……ふざけないでほしいんですけど」
「本当に知らないんだもの。貴族なのは本当よ」
「ローさんがそう言ったんですか? 実は私は貴族なんですよと? 十五のうぶなお針子でも騙されませんよ、そんな見え透いた嘘」
「ううん、ローは言ってないわ。でも魔法使いだし、物腰がすごぉく優美だったの」
「王都の貴族が辺境の冒険者になりたがります? まあロマンはあるけど……」
冒険者にロマンがあったとしても、この女にない。
「名前にローってつく貴族を調べればいいんじゃない? 上から順番に」
他人事のようにモニカは言い、安食堂の硬い肉をギコギコと切る。
「貴族年鑑で上から順番に? 筆頭公爵家から? はは、はははは……」
「そうそう、それでわかるわ」
わかるわけないだろうが!!!! このバカ女!!!!




