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39・モニカ復活


 ハルツェンバイン国最北の地、緑濃きキュプカ村にも初夏のきざしが訪れていた。


 一年で一番美しい季節の森を、ガウとエリンとクリン、そして新入り冒険者見習いのワスが、一列になって歩いていた。


「は~、空気が澄んで緑も冴えて、ここはなんて美しい土地でしょう。ああ、王都では見たことのない蝶が舞っている。まるで森に歓迎されているようです」

「蝶じゃなくて、見たことのない糞とか足跡とかあったら言ってね」

 エリンはそれとなく注意した。

 新入りはもっと気を引き締めてもらいたい。


 ワスは王都から来た二十代半ばの男で、正式には冒険者見習いではなく、魔物狩り体験希望者だ。


 ワスは冒険者になりたいわけでも行き場をなくして辺境まで流れ着いたわけでもなかった。王都で娯楽小説や大衆演芸の脚本を書いて生計を立てている物語作者で、新作を書くにあたって魔物狩りのことを調べているうちに、これは自分で体験しなければならないと思ったらしい。実際やってみなければ、臨場感のある場面は書けないと。


 そして物語の舞台にする北の地に取材がてら、冒険者ギルドに「魔物狩りをやってみたい」と申し入れたのだ。本来ならそんな物見遊山な輩はギルドが追い返すのだが、もめているところへたまたまやって来たガウが引き取ってきた。


 エリンは、ワスを引き取ったガウの真意がなんとなくわかった。


 ガウは「冒険者全体の地位と待遇を現状より上げること」を老年期の仕事に決めたらしかった。ミアを公爵家へ送り出したのもそのためだし、ワスにも魔物狩りについてきちんと取材して書いてもらいたいと考えているのだろう。


「ああっ! つぶつぶころころした変な糞があります!」

「それ、鹿の糞」

「鹿の糞ってこんななんですか。へえええ」


 鹿の糞も知らんのか王都人はとエリンはげんなりしたが、ガウはさして気にしていない様子だった。「一休みするか」などと言って、いつもより緩いペースを許している。


「休憩ですか? あっ、よさそうな岩がありますね。あれに座りましょう」

「あっ、おい、それは……」

 エリンの制止も間に合わず、ワスは前方に見える横長の平たい岩へ駆け寄り、端っこに腰を下ろした。


 エリンはクリンと顔を見合わせた。

 言ってやったほうがいいだろうか。


 しかし二人が動くより先に、ガウが岩に歩み寄った。


「降りろ」

「なぜですか? ベンチにちょうどいいですよ」

「それは人なんだ」

「へ? 岩ですよ?」


「元は人間なんだ。石化魔法ってわかるか、おまえ」


 ガウの言葉にワスはさあっと青ざめて、岩から飛びのいた。そして地面につきそうなほどに頭を下げ、「尻に敷いて申し訳ありませんでしたあっ!」と岩に謝った。


「けっこう古いやつだけどね。俺らがキュプカ村に居つく前からあったから、生前は知らんのよ。村の長老から聞いたの」

「石化なんて強力な魔法使う魔物なんて、森の入り口あたりにはまず出ないからね。魔力持ちの魔物は頭がいいから、人との無駄な接触は避けたがるよ」

 エリンとクリンが順番に説明する。


「そうなんですか? じゃあなんでこの人は、こんな森の入り口で岩に」

 ワスが怯えたように岩を見た。


「俺が子供のころ、ハルツェンバイン国に魔力持ちの魔物がどっと流れて来たことがあってな。過去に何度か同様のことはあったらしい。大体そういうときは、ゲートルド国がろくでもないことをやってる。戦乱で人の魔力が飛び交ったり、魔物が乱獲されたりの度が過ぎると、賢い魔物は不穏を察して安全な地へ移動してくる。ハルツェンバインの人里近くまで特級クラスの魔物が来たらしいから、そのときの被害者だろう」


 ガウはそう説明すると、岩に鎮魂の祈りを捧げた。

 そして一同は、草の上に座ることにした。


「乱獲の話は聞いたことがあります。五十年ほど前でしたか、ゲートルド国ザウナ領で、魔石を取りつけて武器の威力を増す技術が開発され、強力な魔石目当てに大乱獲が起こったとか。でも魔石の魔力を武器と同調させる術式が十分ではなくて、大して威力増強に生かせなかったようですね」


「さすが作家先生。よく知ってるなあ」


「いやいや、はははは。武器は男の夢ですから。持ってみたいですねえ、魔石で強化した魔剣。当時と違って今は魔力同調の術式も洗練されて、威力も上がってきてますし。まあ、使い手に魔力がないと意味がないしろものだから、僕は夢で終わりますが。エリンさんとクリンさんならいけますね!」


「いけるかもだけど、お値段がいけないね。俺らも夢で終わるわ」

「魔剣一本のお値段で屋敷が建つからね」


「今、魔剣開発で注目の技術者がいるんですよ。術式の簡略化が素晴らしくうまくて、彼ならきっと廉価版の開発に一役買ってくれるのではないかと。名前はたしか、アウレール・カレ――――ぎゃああっ!」


 気持ちよく知識を披露していたワスだが、しゅっと足元を這う生き物の感触に悲鳴を上げた。


「なんだ、蛇じゃん」

「びっくりさせんな」

「足の甲を這われればびっくりしますよ!」

「人の足の甲を? 蛇さん何かからあせって逃げてる……かな?」


 エリンとクリンは同時に立ち上がり、すぐ抜けるよう剣に手をかけた。


「えっ。えっ。魔物ですか?」

 おろおろとワスも立つ。

「かもな。もう一匹、嫌な逃げ方してらあな」


 とっくに立ち上がっていたガウが、険しい目で周囲を探りながら、逃げ去った蛇が来た方向へ足を向けた。

 何を言われずともクリンがガウの後に続き、エリンはワスと場に残る。


「え、え、え、え、僕もついに魔物と対面」

「黙ってろ」

「ハイ」


 ガウとクリンはすぐに戻ってきた。

 ガウが一言、エリンに告げる。


「撤収」

「マジか」


 その後森を出るまで、冒険者たちは厳しい顔で、新入りに質問の隙を与えなかった。


 ワスの「一体何がどうなったのですか?」という質問に、ガウが答えたのは森を出て村へ続く道に戻ってからだった。


「崖崩れもないのに岩が増えてた。三つも」

「えっと……それはまさか」

「幸いなことに人じゃねえ。大きさから見て鹿か。俺はこのままクリンとギルドに報告に行くからよ。エリンは村人の安否確認と、森に入らないよう警告な」


「森の入り口に魔力持ちの魔物は出ないはずではっ?」

「全く出ないわけじゃねえよ。記録にもある」

「うわあ。なんて魔物ですか?」

「まだわからんよ」


「蛇が逃げたのと関係してるなら、蛇の王バシリスクですかね? 石化魔法持ちですし」


「……なんでおまえそう無駄に知識だけあるんだ」

「それはまあ職業柄。凄いなあ。伝説級ですよ。でも出現した記録があるなら、ないことはないわけですよね」

「ないことはないが、今はまだ何もわからん。ワスよ、村のやつらに余計なこと言うんじゃねえぞ。まだ黙っとけよ」

「ハイッ」

「返事はいいやつだな、おまえは」


 分かれ道でガウとクリンは町へ、エリンとワスは村へ向かう道へ進路をとった。


 やっかいなことになったとエリンは思った。


(石化か。モニカがいれば楽勝で防げる魔法なんだけどな……)


 エリンは、魔法に怯えなくてよかった頃をなつかしく思い出していた。

 そんな楽勝の日々をもたらしてくれた当のモニカが石化魔法にやられてしまうとは、最後まで思いもしなかった。


「俺は村の人たちの無事を確認してくる。誰かガウを訪ねてくるかもしれないから、あんたはアジトに帰って留守番だ」

「承知しました」

「ガウの居場所を訊かれたら、ギルドの事務所な。じゃあ頼んだぞ」

「ハイッ」


 ワスの元気な返事を聞いて、エリンは村へ向かった。



     *****



 ワスは一人でアジトに戻ると、落ち着かない気持ちで食卓の椅子に腰を下ろした。


(石化死体ってはじめて見たなあ。本当に石になっちゃうんだ。魔法やばー)


 貴族でなければ魔力持ちは滅多に生まれないし、平民の魔力持ちは貴族の援助で魔術学院に行き、そのまま貴族のお抱え魔術師になることが多い。だからワスのような根っからの庶民階級は、魔法を見ることなどほとんどない。


 ガウのパーティーに入れたのは本当に運がよかった。


 あらかじめ冒険者のことを調べていたワスは、知識としてガウを知っていた。本人に偉ぶったところがないから、拾われて名を知るまで気付かなかった。あの初老の冒険者が伝説級の経歴の持ち主、『最果てのガウ』だということに。


 しかもガウのパーティーには、魔術学院の調練を受けていない魔法使いが二人もいる。ハルツェンバイン国に在野の魔術師が存在するとは知らなかった。


 なんという盛りだくさんな取材だ。ワスがこれから書こうとしている物語は、きっと何かに導かれているのだ。


(……石化魔法とバシリスクも出すべきか、これは)

 ワスは作品の構想を練り直すため、帳面を取り出した。


 裏庭の水音に気付いたのはそのときである。


「なんだ? 誰か井戸を使ってるのかな」

 汲み上げた水をザバザバと流す音が聞こえる。エリンかクリンの家族が来ているのかと思い、ワスは裏庭へ向かった。


 ワスが裏口の戸を開けると、井戸のそばに見知らぬ女がいた。


 見知らぬ全裸の若い女が。


 ワスは眼をかっぴらいて顎を落として、ぽかんとしてしまった。

 誰だこの女。人んちで、素っ裸で水浴びなんかして。


 女がワスに気付く。



「きゃーーーーーーーーー! 誰!」



「僕は…………ぐえっ!」

 答える間もなく投げつけられた桶が額を強打する。

 ワスはその場にうずくまった。


「いででででで」

「何よあんた誰なの!」

「僕は最近入った見習いの……ぐえっ!」


 顔をあげようとしたら、今度は洗濯板が飛んできた。角に当たらなくてよかった。面で顔面強打したが。


「見習い? あたし知らないわ、あんたなんか」

「ワスと申します。以後お見知りおきを」

 裸体を見たら何かが飛んでくると学習したワスは顔を伏せ、目を覆って答えた。


「ガウったらいつの間にこんな新人入れたのかしら。こんなひょろひょろした使えなさそうな男」

 女の言葉が容赦なくワスをえぐる。

(すみません全くその通りで……)


「なにか凄い力使えたりすんの?」

「そうですね。皆に夢を見せる力を使います」

 物語作家なので。

「幻影使いってこと?」

「ある意味そうです」

「ふーん。……嘘ね」


 女は一瞬魔法使いだと勘違いして納得しかかったが、引っかからなかったようだ。

 嘘はついてませんと言い張るのも何なので、空っとぼけておく。


「使えない新入り君、着るものないからとってきて」

 何者かわからない女は、当たり前のようにワスにそう命じてきた。


「ハイ。どこにありますか?」

「あたしの部屋に決まってるでしょ」

「あなたの部屋???」

「さっさと取ってきなさいよ。あっそうだ。ミアはどうしてる? 寝てる? ついでに様子見てきて」

「ミアさんですか? 今この家に住んでませんが」


「……どういうこと?」


 急に女の声が冷えた。


 ワスは相手にわからないよう、そっと指の間から女の様子を盗み見た。

 女は何かに思い至ったように、きょろきょろと辺りを見回していた。


「何か変……。あの木はあんなに大きかったかしら? 窓のカーテンも変わってるし、洗濯ロープの位置も違うし、あたしの薔薇の鉢がひとつもないわ……」

 

 そして女は思いつめたようにワスを見て、尋ねた。



「ねえ。あたし、どのくらい石でいたの?」



(――石?)


 ワスはほんの数時間前に見た石化死体を思い出した。

 死体というより、あれはただの岩であり石であった。


 この家に石なんてあっただろうかと思ってすぐ、「あった」とワスは思った。


 アジトに来て最初に挨拶した、「お頭」の墓だ。


 あれは横長ではなく、墓標らしく縦長だが――ちょうど人間くらいの大きさだ。

 ワスは両目を覆った手を離し、「お頭」の墓のほうを見た。


(……ない。墓が、ない)


 そこには今朝供えた花が、なかばしおれた状態で置かれているだけだ。


 ワスは女のほうを見た。

 女は干してあったシーツを体に巻きつけていた。もう何も投げてこなかったから、その顔を、髪を、ワスはじっくり見ることができた。


 年の頃はワスと同じ、二十代半ば。目鼻立ちのはっきりした美人だ。


 そして何より特徴的な、波打つ明るいオレンジ色の髪。


「……もしかしてモニカさん、ですか?」

「そうよ。あたし、どのくらいの時間、石でいた?」


 女は――モニカは、不安で陰った顔でワスに訊いた。


「えーとですね、聞いた話では、たしかミアさんが乳飲み子の頃からだから……あれ? ミアさんて今いくつだっけ?」

 そういえば、モニカの娘の年齢をワスはちゃんと聞いたことがなかった。


 ガウがエリンたちにしていた話では、よその家の庭で木登りをして呆れられたと最近の手紙に書いてあったそうだから、なんとなく十歳前の印象でいたが。


「ミアは生後三ヶ月よ」

「は? さすがにそれはないです。木登りできるくらいの歳のはずですよ」

「そんな……! ミアは今、どこにいるの」

「王都のお父様のお宅らしいですが。詳しいことは知りません」

「ローの? ローが連れてっちゃったの?」

「僕は詳しいことはほんとに何も……」


「そんなことガウが許したの? あたしがダメな母親だから? 首も座らない子を魔物狩りに連れ出したから? 早く慣れさせようとしただけよ! あたしはミアのためを思ってー! うわあああああん」


 なんとなく、モニカに常識がないのはわかった。


 常識がないどころか、この女性が本当にモニカなら、存在自体がこの世の摂理を捻じ曲げているわけだが。


 ワスは眉間にめいっぱいしわを寄せ、考え込んでしまった。

 なぜ全身石化魔法にかかったのに死なないのだ? 石化が解けて当時のままに生き返るなんて話、おとぎ話でしか知らない。石化したら生命維持ができなくなるはずだ。臓器や脳が石になった時点で、魔法が解けたとしても生き物として終了だろう。


 ワスは妖魔でも見るような目で、子供のように泣きじゃくる女を見た。


 なにがなんだかわからないが――おもしろいかもしれない。



(小説のネタになるかも)



 などと考えてモニカに気を許したことを、ワスは数時間後に後悔することになるのだが。


 ワスの人生が怒涛の疾走を始めたことを、当人はまだ知る由もなかった。






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