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37・青い鱗のペンダント


 王子の侍女は王宮住まいが基本なので、ミアは部屋を与えられている。

 カレンベルク家のミアの部屋に勝るとも劣らない立派な部屋だが、ミアは早く帰りたかった。


「第一王子の具合はどうなんですか? わたし、このまま解放されなかったら困るんですけど」


 ミアは部屋まで様子を見にきてくれた義兄に愚痴を垂れた。

 第一王子の言うことしかきかない第三王子をねじ伏せるために呼ばれた侍女なので、第一王子が復帰してくれないとお役御免にならないのだ。


 第一王子の容態は、ミアも詳しいことを知らされていない。

 五年前に病で倒れたときも容態は極秘だったらしいので、使用人の皆はさほど心配していないようだが。


「んー……。快方に向かっている、としか」

「ユリアン殿下がお会いになりたがっているのに、面会も叶わないなんて。かわいそうですよ」

「陛下がお決めになったことだから」


 職務上の秘密で仕方ないとは言え、アウレールの言うことはいちいち歯切れが悪い。


「わたしだって鍛錬もできないしフローラにも会えないし。休みだっていつもらえるかわからないし」

「あ、そうそう。フローラから差し入れだよ」

 アウレールはカレンベルク家から通いのため、ドロテアやフローラに言付かっていろいろ持ってきてくれる。

「わ~! 新作の焼き菓子!」

「イエンシュ伯爵令嬢がフローラのところへ遊びに来てね。ドロテアも一緒にお茶会をしていたよ」

「ヤスミン様が? 女子会じゃないですかー。わたしもまざりたかった……」

「みんな、ミアもいたらよかったのにって言ってたよ」

「帰りた~い。騎士団と鍛錬もできないし。体がなまるから、お城の騎士団にまぜてもらっちゃだめですか?」

「駄目に決まってるよ! 頼むから、まぜてーとか言いに行かないでくれよ。毎日あんなに走り回ってて体がなまるなんて……」

「走り回るたって子供相手ですよ。あーなまるなまる」

「明日からカレンベルク家の騎士を二人呼ぶことにしたから、鍛錬ならそいつらとやって……」

「カレンベルク家の騎士を? なんでですか?」

「ちょっと護衛。個人的な」

「ふうん?」


 ミアはとくに追及せず、持ってきてもらったお菓子の味わいに心奪われていた。カレンベルク家の厨房係は、本当にお菓子やデザート作りが上手い。


「わたし、あと一年しかカレンベルク家にいないじゃないですか。一年しかないのに、別の場所で暮らしてる暇なんてないですよ……」

「一年なんて言わず、ずっといていいのに」

「だめです」

「さみしいなあ」

「わたしのこと忘れないでくださいね」

「そんな、永遠の別れみたいに言わないでくれよ。ミア」

「わたしが冒険者に戻ったら、永遠の別れみたいなものじゃないかな」

「どうして?」

「生きる世界が違うというか」


「なぜ? 冒険者に戻ったって王都にくらい来るだろう? ミアには魔素材の販売許可証があるんだから。王都で売れば売り上げも多く見込めるし、なんならちゃんとした店を出せばいい。大通りのいい場所に店、買っておいてあげようか? こじんまりやってもいいし、だんだん大きくしてもいいし。ミアが店主でも経営は人を雇えば、ミアが魔物狩りするのに支障はないし。で、王都滞在中はカレンベルク家にいれば?」


 アウレールにそう言い募られ、ミアはぽかんとした。


「……あそっか」

「それほど生きる世界違わないよ」

「うーん。でもけっこう違うかな」

「どこが?」

「ポンと店買ってくれようとするところとか。貴族だなあって」


 ミアが思ったことを言うと、アウレールは虚を衝かれたような顔をした。


「ミア。君って……」

「なんですか」

「カレンベルク家に来たばかりのころから、まるで変わらないんだな。参った」

「えっ。すっごく淑女になりましたけどっ?」


 ミアは不満げに口を尖らしたが、アウレールはただ笑うばかりだった。




 帰っていくアウレールを見送ってから、ミアは夜のバルコニーに出た。

 王城の広い庭を渡る夜風が心地いい。


(本当に、こんなところにいる場合じゃないんだけどな)


 まだディーだって見つけていない。


(でもわたし、ディーを見つけてどうしたいのかな)


 王都へ来たばかりの子供だったころは、ただ一言「ミア、きれいになったね」とディーに言ってほしかった。


 今なら確実にそう言ってもらえる自信があるが、言ってもらったからってどうするんだという話だ。ディーはもう二十歳だし、いいとこのぼっちゃまなら普通に婚約者くらいいるだろう。結婚していたっておかしくない。


 初恋は初恋のまま、静かに葬るのがいいのかもしれない……。


 そう考えたら、なんだか胸にぽっかり穴が空いたようで、ミアはバルコニーの手すりにもたれて虚空を見つめた。


(恋か。恋ねえ。なんか見当がつかないな。恋してそうな人がまわりにいないし)


 アウレールはドロテアにベタ惚れしているかんじがあるが、あの二人はもう夫婦だし、恋なら完全に成就している。あとは子供ができるのを待つばかりだ。


(そういうのではなくて、なんかもっとこう、甘酸っぱいやつ。遠くからせつない目で見つめる的な)


 ――と考えたら、遠くからアンネリーゼを見つめるフローラの横顔を思い出してしまった。


 あれはせつない。

 せつなく見つめる相手を完全に間違ってる気がするが。

 なんで姉妹というだけであの魔女のことを大切に思うことができるのか、ミアには全然わからない。フローラの底知れなさの最たるものである。


(アンネリーゼはアンネリーゼで、今やフローラを完全無視だもんなあ)


 恋とはなんぞやと考えていたはずなのに、悩ましい姉妹関係のことになってしまった。


 もう寝ようとミアが手すりから体を離したところで、どこかから子供がすすり泣く声が聞こえた。


 ミアは耳を澄ませた。上からだ。

 ミアの部屋の上階は、ユリアン殿下の部屋に当たる。


(ユリアン殿下が泣いてる?)


 ミアは今日の出来事を思い返した。

 今日は歴史の授業があって、資料としてハルツェンバイン神話の第二巻を使うはずだったのだが、ユリアンが完全拒否した。貝のように黙りこくって微動だにしないというので、ミアが呼ばれた。

 嫌なら逃亡するのがいつものユリアンなので、おかしいと思った。ミアは隣に座って、ユリアンが何か言うのを根気よく待ってみた。


 やがてユリアンは涙声で「あにうえに読んでもらう約束をした」と言った。


 ミアは胸がぎゅっとなった。そして歴史の先生に相談して、第二巻に触れるのは待ってもらうことになったのだ。


(思い出しちゃったのかな。第一王子のこと)


 第一王子にだけなついていたというのに、面会もさせてもらえないのだから、そりゃあさみしいだろうと哀れになった。

 王宮に未練はないけれど、ユリアンのことは気にかかる。数日でも共に過ごせば情が湧くというものだ。


 ミアはバルコニーの手すりに登った。

 就寝間際の時間である。中からだと通してもらえないだろうが、上階に行くルートは中からだけとは限らないわけで。




 ミアが上階のバルコニーに飛び移ると、案の定ユリアンがしゃがみこんで泣きじゃくっていた。人の気配に顔を上げ、ミアに気付いておどろいた顔になる。


「なんでおまえがここに」


「殿下が心配で」

 ミアはユリアンの横に座った。


「ディートハルト殿下にお会いできなくておさびしいのかなと思って。わたしじゃ代わりにならないでしょうけど」

「ならないよ」

「いないよりましかなと」

「……ましだよ」

「ならいますよ」


 ミアはユリアンに寄り添いつつ、夜空を見上げた。


「星がきれいですねえ」

「……ミア」

「なんですか、殿下」

「あにうえ、治らないかもしれないって」

「どなたがおっしゃったのですか?」

「王宮医師と看護婦が話してるの聞いちゃったんだ。おれ、あにうえに会いたくて、病室に行こうとして。廊下で」

「そうですか……」

「もう立ったり歩いたりできないかも……って」


 ユリアンが激しくしゃくりだしたので、ミアはその小さな背中をさすった。


「あにうえはもう魔物狩りできない……。おれ、いっしょに行きたかったのに」

「殿下……」

「あにうえといっしょに行きたかったのに」


 ひっくひっくと泣きじゃくるユリアンの背中をさすり続けながら、ミアはもう一度夜空を見上げた。


 もしも、自分に力があったら。封印・解除の聖女の力があったら。

 魔法に侵された第一王子を助けることができた。


(そんな力、絶対いらないと思ってたけど)


 覚醒しなかったことを、はじめて残念に思う。


「魔物狩り、わたしが一緒に行ってさしあげます。わたしじゃディートハルト殿下の代わりにならないでしょうけど」


 ならないよと返されると思ったら、ユリアンが抱き着いてきた。


 ぎゅっと抱きしめて、ぽんぽんと優しく背中を叩く。


 見上げた星が涙で滲む。

 かわいそうな小さな王子に、ミアがやってあげられることは抱きしめることくらいだ。


 抱きしめて、一緒に泣くことくらい。



 そしてどのくらい時間が経っただろう。


「あにうえ、お守り持ってたのに……」

 泣いたせいでかすれた声で、ユリアンがぽつりと言った。


「そうですか、お守り……」

「おれにもくれたんだ。おんなじやつ」


 そう言ってユリアンは、服の中からごそごそと、細い鎖を引っ張り出した。



 鎖の先には、暗くて色はわからないが、輝く小さな鱗がついていた。

 ミアの記憶の中に今でも鮮明な印象を残す、ペンダントになったタラスクスの鱗。



「魔法防御の力があるって。この鱗。……ミア?」


 急に動きを止めたミアの顔を、ユリアンが見上げる。



「ミア? どうした?」

「ユリアン殿下」

「なんだ」

「これと同じものをディートハルト殿下が?」

「うん。もう何年もつけてる」

「何年も……」

「ほんとにどうしたんだ、ミア」

「殿下」

「だからどうしたんだよ。おかしいぞおまえ」

「ディートハルト殿下の肖像画はありますか?」

「ロングギャラリーにあるけど」

「ごめんなさい。見てきます」



 ミアは立ち上がった。

 歩き出そうとしたら、ユリアンに手を掴まれた。



「待て。おれも行く。すごいこわい顔してるぞおまえ」




 大広間へ続くロングギャラリーと呼ばれる大廊下を、ミアは通ったことがなかった。大広間に用がないからだ。


 急にロングギャラリーに行くと言い出してきかない王子に、ランプを持った乳母が困り顔で付き従う。ミアは乳母の後をうつむいて歩いた。


 頭の中を様々なことが駆けめぐる。



 「ディートハルト」殿下。風属性の魔力。十五歳の時の病気。秀でた魔物狩りの技術。そして、タラスクスの鱗。



 全部が。全部が繋がってしまう――。



「ミア、ついたぞ」

 ユリアンの声に、ミアは顔を上げた。


 一枚の絵に、乳母がランプを掲げる。




 褐色の髪の第一王子の、十七歳の肖像画。




 ミアは絵を見上げたまま、その場にがくりと膝をついた。自分の名を呼ぶユリアンの声が、近いはずなのに遠くに聞こえる。



 こんなことってあるだろうか。

 こんなことって――。



 ディー。この城のどこかにディーがいる。

 魔物の魔法に侵され立つこともできずに。





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