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35・陽の者と陰の者


 ミアが第三王子の侍女となって三日目のことだった。


「殿下~。ユリアン殿下~。かくれんぼはご勘弁願いま~す。先生がお待ちかねで~す」

 ミアは王城の庭園でユリアンを探し回っていた。


 座学の前にユリアンが逃げるのはいつものことらしく、初日もきのうも逃亡していた。初日は木の上に逃げられて手こずったが、きのうは建物の影に潜んでいただけなのでたやすく捕獲できた。


(きのうおとといで、わたしからは逃げられないってわかったでしょうに)


「男の意地かな。まったくもう」

 ミアはひょいっと建物の裏を覗き込み――ぎくりとした。


 壁を背に、誰かが膝を抱えてへたり込んでいる。


「大丈夫ですか!?」

 ミアはあわてて駆け寄った。

 二十代後半に見える男性だった。ミアに気付くとビクッとして後ずさりしたが、言葉は何も発しなかった。

 ミアが見たことのない人物だ。長い黒髪で顔半分がかくれ、半分見える顔は酷くやつれていて具合が悪そうだった。


「おかげんが悪いのでしょうか。誰かお呼びしましょうか」

 ミアは傍らにしゃがみ込み、男性の額に手を当てた。

 男性はなにか言いたげに口をぱくぱくしているが、声にならない。

 よほど具合が悪いのではなかろうか。


「熱っぽいですね。中にお連れしましょう」

 ミアは男性の左腕を自分の肩に回し、立ち上がらせた。若干の抵抗を感じたが、ミアのほうがずっと力が強い。

「歩けますか? もっと体重かけて大丈夫です。わたし、けっこう力がありますから」


 ミアは見知らぬ男性を建物の影から連れ出した。

 近場の出入り口から建物の中に入り、まず目に入った衛兵に声をかける。


「あのーすみません。こちらの方、おかげんが悪いご様子です」

 振り返った衛兵が目を見開いた。


「ジェッソ様!」


(ジェッソ? どっかで聞いた名前だなあ)


「医務室に急ぎましょう。彼は私が」

 ミアは衛兵に男性を託した。


「誰か! ジェッソ様がお倒れに!」

 衛兵の声にわらわらと人が寄ってくる。

「ああ、ついに」

「なんてことだ」

「担架だ、担架を持て!」

 みんな必死な顔で、彼を心配している。


(重要人物なんだ……大丈夫だといいけど。でもジェッソって名前、どこで聞いたんだっけ?)


 ミアは頭をひねりながら、ユリアンの捜索に戻った。



     *****



 医務室のベッドの中で、ジェッソは消沈していた。


(具合が悪いと誤解されてしまった……)


 落ち込むと膝を抱えて座り込むのはジェッソの癖である。

 今日、アウレール・カレンベルク先輩のことを「バーマイヤー様」と旧姓で呼んでしまったのだ。

 勇気を出してはじめて呼びかけたのに、昔の名前で呼んでしまうなんて。


 アウレールは冷ややかな目でジェッソを見ると、「カレンベルクです。姓が変わったことは申し上げたと思いますが」と言った。


 確かに、顔合わせの挨拶のときに婿入りの話は聞いた。

 しかし、学院にいた間中、ジェッソにとってアウレールは「バーマイヤー先輩」だったのだ。話したことはないが、心の中で何度も「バーマイヤー先輩」と呼んでいたので、つい馴染みのある昔の名で呼んでしまったのだ。


(ううう……)


 ジェッソはバーマイヤー先輩のファンだった。バーマイヤー先輩の書く端正な魔術式のファンだった。

 ジェッソの魔術式は複雑怪奇に捏ね上げた先に突破口を見出すタイプで、難問に対する突破力はあるから高く評価されはするが、「どうなっているのか全然わからない」と皆に言われ続けてきた。

 それに対し、バーマイヤー先輩の魔術式は極限まで無駄を省いた美しいものであった。

 卒業後のバーマイヤー先輩が武器防具の研究開発職に就いたと聞き、さすがだと思った。あの合理性を芸術の域まで極めた魔術式は、武器のような機能美の追求に最もよく似合うと。


 そんな憧れのアウレールが自分の助手として現れたのだ。


 気持ちが昂って言葉を発するどころではなかった。学院時代にも何度か話しかけてくれたが、そのときと同様の反応しか返せなかった。


 ジェッソは、心酔する相手とろくに口がきけないのだ。

 なんとか治したいと思っているが、克服できない。


 敬愛するディートハルトに対しても同じで、まともに話せない。事務的な会話ならまだなんとかなるが、彼の心の内が垣間見えるような話になると、もう無理である。

 自分ごときが口を挟むなんてとんでもないと思ってしまい、相槌すら忘れる。


 ――その結果、嫌われる。


(うううう……)

 ディートハルトにもアウレールにも嫌われて暗澹たる気持ちだったが、ディートハルトを救いたいしアウレールに苦労をかけたくない。

(寝ている場合ではない……)

 ジェッソは起き上がり、ベッドから降りようとした。


 そのとき、医務室のドアがノックされた。王宮医だと思い、「はい」と答えて待つ。

 しかしドアから顔を出したのは王宮医ではなかった。


「王妃殿下」


 ジェッソはベッドから転がり出て、床に平伏しようとした。


「這いつくばるな。ベッドに戻れ」

 王妃はいつもの端的な物言いでジェッソに命じた。

「はっ」

 ジェッソはもそもそとベッドに戻った。なぜか王妃の言い方には有無を言わせない力がある。


「目を閉じろ。癒す」


 そういえば王妃殿下も聖女だったとジェッソは思い出した。聖女も王族となると聖堂へは行かないから、聖女の印象が薄れるのだ。

 王妃の手が額に置かれ、じわじわと全身があたたかくなる。気持ちがよかった。

 思ったより疲弊していたのだと、こうして癒されてやっと気付いた。


(王族が私などに触れていいのだろうか……)

 王妃の手の感触を感じながら、ジェッソは思う。

 聖女アンネリーゼは疲労回復の癒しのとき、決して自分に触れないのだが。


 力のある聖女だから、触れる必要がないのだと思っていた。


 しかし。


「アンネリーゼほどではなかろうが、少しは癒されただろう」


 少しどころか――。


 ジェッソは見違えるように体が軽くなったのを感じた。

 聖女アンネリーゼのときとは段違いに。


「ではな。おまえはまだ休め」

 王妃は身をひるがえして、医務室を出て行こうとした。


「――王妃殿下」

 ジェッソは咄嗟に王妃を呼び止めた。

「なんだ」

 王妃が振り返る。

「殿下を、ディートハルト殿下を癒してください」

「なぜ」

「王妃殿下の癒しのほうが効きます」


 王妃は数秒思案したのち、「わかった」と言ってしっかりとうなずいた。




 ジェッソがディートハルトの病室に戻ると、アウレールは紙に魔術式を書きつけていた。


「おかげんはもう大丈夫なのですか」

「……王妃殿下に癒チていただきましてィ」

 噛んだがなんとか返事ができた。


「王妃殿下はこちらにもいらっしゃいましたよ。言ったらなんですが……アンネリーゼが癒したときよりディートハルト殿下の状態が良くなりました」

「なぜでしょう」


「あの子が手を抜いているからでしょう」

 穏やかな彼らしくもなく、吐き捨てるようにアウレールは言った。


「あの子……?」

「アンネリーゼです。一応、義妹(いもうと)なので。王妃殿下にご相談申し上げ、定期的に来ていただくことになりました。アンネリーゼには内緒で」

「婚約者なのに、なぜ」

「そういう子です」

 アウレールはそう言い捨て、苦悩の表情になってしまった。


 ジェッソはディートハルトの婚約者について、家柄と聖女の力が当代一であること以外、とくに知っていることはない。ディートハルトは何も話さなかったし、男女の関係などという複雑怪奇なものはジェッソにはわからないのである。


「それはそうと、こちらを見ていただけますか」

 アウレールはさっきまで書いていた魔術式をジェッソに見せた。

 端正なアウレールの魔術式によく似合う、かっちりとした文字がなつかしい。


「天才であるあなたの仕事に口を挟むのはどうかと思ったのですが……。いくつか簡略化できる部分を見つけました。問題を掘り進む突破口を作るのは僕には無理ですが、何度も通る道を整えることはできると思ったのです。少しでもあなたの作業が楽になればと思って」


 ジェッソは手渡された紙を見つめ、体が震えてくるのを感じた。


 アウレールの美しい魔術式が、自分の「何が何だかさっぱりわからない」と言われる歪な魔術式と見事に融合して、新しい道を形作っているのだ。


 それはまるで、ぬかるんだ泥道でしかなかった道に、馬車の通れる石畳を敷くような仕事であった。


「押しつけるつもりはありません。もし使えるようなら……」

「使います」

 ジェッソは即答した。

 許されるものなら、魔術式の書かれたこの紙を抱きしめたかった。


「それはよかった」

 アウレールが面食らったような顔をして言った。




 ジェッソが書いた魔術式をアウレールが使いやすく整えてくれるようになって以来、ジェッソの仕事は進展を見せた。

 最初のうちは魔物の魔力の進行を防ぐ処置でいっぱいいっぱいだったが、魔法解除の方向に少しずつ進めるようになってきた。


 魔術式のことから話を始めて、アウレールと少しずつ会話が成り立つようにもなった。


「殿下のお顔がだいぶ人間らしくなってきましたね」

 アウレールがディートハルトの顔を覗き込んで、しみじみと言う。

 あいかわらず半石化状態のディートハルトだったが、顔面部分の解除が進み、顔だけは石というより皮膚に見えるようになった。


「ユリアン殿下はお会いしていないのでしょう? この状態のディートハルト殿下に」

「お小さいですから、ショックが大きいだろうと。陛下のご判断です」

 ジェッソではなく看護婦が答える。

「そうでしょうね……。実は、義妹(いもうと)がユリアン殿下の侍女になったのですが」

「ミア様ですね」

 看護婦が笑いを含んだ声で言った。

「ご存知で」

「有名ですよ。ミア様はユリアン殿下を捕まえるのが大変お上手ですから」

「お役に立てているのならよかった。初日にミアが木に登っているのが見えて、肝が冷えたのです。まさか王宮で木登りとは」

 看護婦がまた笑う。


 アウレールと看護婦のたわいのない話を耳にしながら、ジェッソはふとあることに気付いた。


(今、殿下の表情が動かなかっただろうか……?)


 一瞬だったので気のせいかもしれない。

 でも万が一、殿下の意識が戻ってきているのだとしたら。


「あの……」

「どうしましたか? ジェッソ殿」

「もう少しその……会話を続けてもらえませんか」

「会話?」

「殿下が会話に反応したようなしなかったような……」

「殿下は耳が聞こえるのですか?」

「聞こえるように処置は施しました」

「いつのまに……。意識もあるということですか?」

「それは……まだわかりませんが」


 アウレールと看護婦は顔を見合わせ、城下で話題の話などしてみたが、ディートハルトの反応は特になかった。

「気のせいだったかも……」

「まあそう気を落とさずに。殿下のご容態は安定しておりますし、ジェッソ殿は食事に行ってきてください」

「あ、はい。では……」


 ジェッソはぺこりと頭を下げ、部屋を出た。




 ジェッソが食堂に向かい廊下をてくてく歩いていると、ふいに横から何かがぶつかってきた。バランスを崩して床に倒れ込む。

 故郷の村でならしょっちゅう野生動物にぶつかられていたが、ここは王宮である。

 何事と思って先を見ると、子供が駆けていくところだった。ユリアン殿下だ。


「お待ちくださいませーっ! ……あら?」

 すぐに侍女が登場し、倒れているジェッソに気付いた。


「あなたは先日の。大丈夫ですか、またおかげんが」

 ユリアンの侍女――アウレールの妻の妹らしい――は、ジェッソを助け起こすべく、横に跪いてその手を取った。


(…………!)


 その侍女は、ジェッソがこの世で一番苦手とする属性の人間だった。

 その属性とは、若く美しい貴族の女である。

 若く美しい貴族の女に顔を覗き込まれている。手を取られている。

 見つめられて触れられている!


 先日もこの女性に額を触られた。熱が上がったのはきっとそのせいである。額に触れるばかりか、この女性は自分に肩を貸してきたのである! 貴族の女は、そう簡単に平民の男と密着したりしないものではないだろうか!?


「な……です、だ……」

 なんでもないです、大丈夫ですと言いたいのだが、声にならない。

 前回同様口をぱくぱくさせていると、いつの間にか戻ってきたユリアン殿下が

「ミア。気安く男に触るんじゃない」

と、ジェッソが言いたいことを言ってくれた。


「おかげんが悪くていらっしゃるのではないかと思って」

「おれがぶつかって倒れただけだ」

「殿下がぶつかってお倒れに? あやまりなさい」

「なんだと?」

「この方にあやまりなさい」

「命令するのか」

「しますとも! ご自分からぶつかっておいて謝らないなんて。殿下を見損ないました!」

 侍女はぷいっとユリアン殿下から顔をそむけた。


 王子にそんなことを言って大丈夫なのかとジェッソは慄いたが、ユリアンを見るとガーンとなって青ざめている。そして彼は、ジェッソのほうをおそるおそる見てきた。


「す……すまなかった!」

 ユリアンはそう言うと、だーっと走って行ってしまった。

「ちゃんとあやまれましたね! えらい、えらいですよ、ユリアン殿下!」

 そして侍女も物凄いダッシュを決めると、あっという間にユリアンに追い付いてその襟首を引っ掴んだ。


「はなせ、はなせ~!」

「ほほほ、算術の先生がお待ちかねですので離せません」


 そして、侍女――ミア・カレンベルクは、ジェッソのほうを見て「失礼いたしました。お大事に~!」とよく通る声で高らかに言った。


(陽の者……)


 根っからの陰の者であるジェッソは、去って行くミアのオレンジの髪を、あふれる憧憬を込めて見つめた。



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