34・孤高の魔術師と第三王子ユリアン
アウレールは第一王子ディートハルトの状態を見て、言葉をなくしていた。
(痛ましい……)
ディートハルトは社交界嫌いで、アウレールも夜会などに積極的に参加するほうではないから、言葉を交わした機会は数えるほどだ。それでも、生命力に満ちているはずの二十歳の若者が動くことすらできない姿を見ると、胸に迫るものがある。
さらに、石化魔法に対抗して施された魔法処理を見て、アウレールは舌を巻いた。
こんな天才の所業の、一体何を補佐しろと言うんだ。
ディートハルトに施された魔法処理の術式体系は一本ではなかった。現在は石化の進行を止める術式が柱になっている。力の進行を止めるとはすなわち、時を止めているに等しい。魔力に同等の対抗魔力をぶつけると影響下にある場の時が止まるのだ。
ジェッソはディートハルトの肉体の時間を部分的に止める操作で時間を稼ぎつつ、別の術式で主要部分の魔法解除も同時に進めるという離れ業をやってのけているのだ。
(ほかの魔術師は来てすぐ辞退したって言うじゃないか。そりゃそうだ。凡人に手伝えることなんて何もないぞ)
アウレールに先立って治療団に推薦された優秀な魔術師たちは、もう誰も残っていないらしい。なるほど、生体が専門ではないアウレールのところにまで話が回ってくるわけだ。
(最近の政治動向からして、「王都派」に近しい魔術師には頼めないしな)
第一王子ディートハルトは「魔物狩りにうつつを抜かす馬鹿王子」と呼ばれていたが、そのイメージは隠れ蓑らしいと近ごろ噂されている。バカの皮を被って、着々と地方問題に説得力のある基礎事実を集めていたようだ。
アウレールは必死になって魔法処理を施すジェッソを見た。
酷くやつれた横顔。
十年に一人と言われた破格の天才が、こんなになってまで救おうとするのだから、第一王子は本当にバカではないのだろう。
バカではないということは、無茶な狩りをして魔法被害に遭ったという話もあやしくなってくる。
(暗殺か……。話が大きくなってきたな)
アウレールは黙って傍らに突っ立ったまま、天才の仕事を眺めていた。
先ほど一応の挨拶はしたが、天才の反応は軽く会釈を返しただけの「ほぼ無視」だったので、手の出しようがない。邪魔と思われているとしか思えない。
(この男、学院時代からこんなだしな)
アウレールはジェッソの一学年上だが、ジェッソは入学してすぐに天才の頭角を現した人物なので当然知っていた。近寄りがたい男で、学院内の交友関係が皆無だったため「孤高の天才」と呼ばれていた。
アウレールは数回話しかけたことがあったが、先ほどの挨拶同様「ほぼ無視」を決め込まれたので、交友はあきらめた。きっと凡人とは違う次元に生きているのだろう。
仕事内容だけではなく、この男と仕事するのが無理だと思った。
だから辞退したかったのだが、ドロテアにお願いされてしまった。
妻のまっすぐな瞳に弱いアウレールである……。
(勉強だと思ってお手並み拝見させてもらうか。そのうち手伝えることも出てくるかもしれないし)
「処理が高度過ぎて何もわからないので、しばらく横で見ていてよろしいですか?」
「……」
ジェッソはアウレールのほうを見ることも声を発することもなく、わずかにうなずいたように見えた。
「よい、ということでいいですね?」
今度はさっきよりはっきりうなずいたので、アウレールは遠慮なく天才の仕事を観察することにした。
(なんなんだあの男は。ほんとに)
精密かつ複雑怪奇な魔力の扱いも、人に対する態度も、ジェッソは度が外れている。
そして第一王子ディートハルトのあの状態。
ほとんど石化しているように見えるが、それは表面だけで中身は生きているという異常事態だ。食事ができないことによる体力の低下は聖女が補っているという。
アウレールはジェッソと協力して、これから表面の石化状態を解いていくわけだが……。
(解けるのかね、あんなの。無理だろ)
色々な意味で疲れたアウレールは、一休みしようと廊下に出た。石になりかけた王子と物言わぬ天才のいる陰気な部屋を出ると、窓から見える緑の木々が目に眩しい。
「まったく先が思いやられる……」
げんなりしながら窓辺に寄る。初夏の庭園でも眺めて心を落ち着かせようと思った。
――落ち着かせようと思ったのだが。
アウレールは窓から身を乗り出すようにして、一本の大樹を見つめた。
目をごしごしこすって、もう一度見る。
どう見ても、義妹が大樹に登っているように見える……。
(初日からなにやってるんだミアは!)
*****
アウレールが木に登ったミアを見つけるより少々前。
ミアは第三王子ユリアンと初顔合わせをしていた。
初夏の日差しが燦々と注ぐサンルーム。その明るさがよく似合う、蜂蜜色の髪に薔薇色の頬の、もうすぐ十歳になる王子である。
造形だけ見ればなんとも愛くるしい見た目なのだが、表情が全てを裏切っている。ミアを見る眇めた目つきがクソ生意気そうだ。
とはいえ、ガン飛ばしてくるからといってメンチ切ってはいけない。
今は素行の悪いチンピラを相手にしているのではなく、ここは王宮であり相手は王族なのである。
「お初にお目にかかります、ユリアン殿下。このたび殿下の侍女を仰せつかりました、ミア・カレンベルクと申します」
「帰れ」
ユリアンが言い捨てた。傍らに控えている乳母が青ざめて、「殿下!」とたしなめる。
「なんだこの女は。魔物狩りをやるとか嘘だろう? ふつうにそこらにいる貴族の女じゃないか」
さすが九歳。貴族の女がふつうにそこらにいると思っている。
貴族の女になんか普通は滅多に出会わないぞとミアは思った。
「普通の貴族の女性として見ていただけて、大変光栄ですわ」
ミアは極上の令嬢スマイルで王子にほほえみかけた。
こうなったら貴族の女の擬態をやってやる。
そしてギャップで思い知らせてやる。
「おれはおまえの言うことなんか聞かないからな」
「まあ悲しい。残念ですわ。ユリアン殿下とお話しするのを楽しみにしてまいりましたのに」
「うそつけ」
はい、嘘です。
とは言わずに、ミアは儚げにうなだれて見せた。
「おまえさ、魔物狩ったことあるとか言うけど、何狩ったわけ? どうせウサギにキバ生えた程度の小物――」
「最近狩ったのはコロコッタですわ。牙が非常に硬くて、武器の素材として大変高く売れますの。通常よりお安くカレンベルク家の騎士に売ったのですけれど。抽選で」
「コロコッ……。なんだと?」
「ご存知ありません? 獅子型の」
「知ってるとも。図鑑で――」
「あら、図鑑ですか。本物ではなくて図鑑」
ミアがくすくす笑うと、ユリアンが顔を真っ赤にしてギロッと睨んできた。
(ちょっと煽りすぎたかな)
「お、おれは信じない! おまえみたいなふつうの貴族の女がコロコッタを狩れるわけがない。おまえみたいなふつうの貴族の女が」
ユリアンは興奮して「ふつうの貴族の女」を連呼しているが、ミアはなんだか褒められているような気分になってきた。
(わたしってちゃんと貴族の女に見えるのかあ)
ドロテアの厳しい指導が功を奏したのか。すごいことだ。ミアがユリアン殿下の歳ごろには子猿と言われたのに。
「ふつうの貴族の女はおれを捕まえられないよな。じゃあな!」
「あっ、殿下!」
ユリアンは乳母の腕をかいくぐって走り出し、サンルームから逃亡してしまった。
「あ~ら鬼ごっこですの。楽しそう」
わざとらしくおほほほほと笑いながら、ミアはドレスの裾をたくし上げた。
思い切りやってほしいと王妃様が言ったのだ。
鬼ごっこで思い知らせてやるくらい、構わないだろう。
「なんで追いかけてくるんだよ!」
「殿下がお逃げになるからですわ~」
いくらすばしっこくとも、そこは九歳である。ドレスの走りづらさを差っ引いても、鍛え上げたミアの脚に敵うはずもない。
庭園の大樹の根元までユリアンを追い詰め、ミアは不敵に笑った。
「さあ殿下、おとなしく教師の元へまいりましょう」
「まだまだあ!」
ユリアンは垂れさがる大樹の枝をはっしとつかんで引っ張ると、反動で跳ね上がる枝に体重を乗せて、ひょいっと飛び移った。
「むむ。なかなかおやりになりますわね」
「バカめ。おまえはここまでだ!」
ユリアンは尻をぺんぺん叩いてミアを挑発すると、猿のようにするすると大樹に登っていった。
(なかなかみどころがある)
なんのみどころかはこの際置いておくとして。少なくとも王子の資質ではない。
ミアはぺろりと唇を舐め不敵に笑うと、ドレスの腕をまくり、スカートを膨らませるためのごそごそするパニエを脱ぎ捨てた。
ユリアンが登っていった大樹の隣に、対になるようにもう一本の大樹がある。
ほほほ、わたしはこちらから攻めさせていただきますわ。
*****
大樹の中ほどまで登って、ユリアンはようやく一息ついた。
必死に逃げたせいで、まだ息がはひはひしている。
(……なんだあの女は)
サンルームにあの女がやってきたとき、一瞬でもかわいいと思ってしまったことがくやしい。オレンジの髪が明るい陽射しを浴びてキラキラしていて、絵本に出てくる花の妖精みたいだったのだ。
しかしあの女は乳母に代わって、ああしろこうしろとうるさく言ってくる敵である。
いくらかわいくても気を許してはならない――。
「いい景色。お城の庭園って広いんですのね、殿下」
木の上のはずなのにすぐ間近から声が聞こえて、ユリアンはギョッとした。
おそるおそる声のほうを見る。
隣の木の同じ高さのところに、あの女がいた。
(登ったのか? ドレスで? そんなバカな)
ユリアンは恐れおののいた。
この女は化け物である。
逃げなければ!
「まだ上に行かれますの? 危ないですわ」
女が不安げに言う。よしよし、やつが登れるのはここまでなのだ。ユリアンだってこれより上に登ったことがないが、やつから逃れるにはもっと上を目指さなければならないのだ。
ユリアンは一心不乱に木の上を目指した。
女はあきらめて隣の木から降りたようである。
(勝った!)
そう思ったのも束の間、ユリアンは周囲を見て、眩暈がしそうになった。
ものすごく高い――。
ぞわぞわと、足元から怖気が立ち上ってきて、手から力が抜けそうになる。
どうしよう。
怖い……。
「殿下。下を見たらいけません」
そのときすぐ近くから、またあの女の声がした。今度は隣の木ではない。自分の足元のほうから聞こえる。
「わたしの言うとおりに動いて。まず右足を、すぐ下のくぼみにかけて」
確信に満ちた声だった。
導かれるように、ユリアンは右足をくぼみにかけた。
「次に左手をひとつ下の枝に。そうそう、上手ですよ。次は左足をまっすぐ下の出っ張りに。枝ではなくて出っ張りです。そう、殿下は動きがいいですね」
ほめられてちょっとうれしくなる。
あの女――ミアは、今ユリアンのすぐ下にいるのだ。
あまりにも怖かったせいで、ユリアンの意識からもう勝ち負けは消えていた。頼りになる人物が、自分を助けてくれている。その安心感から、手足の怖気はすっかり消えた。
「そうそう、あと一息ですよ。わたしは先に飛び降りますね」
ミアが地面に着地する音が聞こえる。
もう飛び降りられる高さなのだ。
そう思ったら、ユリアンに油断が生じた。
「次は右手を幹の突起に……」
「あっ」
突起を掴みそこね、片足を滑らす。
(落ち――)
きゃあっと乳母の悲鳴が聞こえた。
しかしユリアンが地面に身体を打ち付けることはなかった。
気付いたら、ユリアンはミアの腕の中だった。ミアに受け止められたのだ。
「捕まえました」
ふわりといい匂いがした。ミアの腕はがっちりとユリアンを受け止めているのに、表面はやわらかかった。女の子の腕だと思った。
女の子の肌触りを意識しつつ顔を上げたら、そこには花の妖精がいた。
オレンジの髪の花の妖精は、さわやかな初夏の新緑の中で、にっこりとユリアンにほほえみかけた。
――ユリアン九歳、初恋の瞬間だった。




