28・精察の儀、その結果
大僧正からの呼び出しを受け、ローレンツ・カレンベルク公爵は王都大聖堂へやってきた。
立ち並ぶ聖女の立像に出迎えられるが、見ないように下を向いて歩く。
聖女など、もうたくさんだ。
大僧正に呼び出されるのは初めてではない。今まで何度も呼び出されてきた。主にアンネリーゼの素行の悪さが理由だった。
しかし今回はそうとは限らない。
アンネリーゼが嫁ぐ予定の第一王子が、王領の森で倒れているのが護衛の魔術師によって発見された。第一王子は側近に黙って単独で魔物狩りに出掛け、魔物の毒に侵されたとのことだ。
容態は伏せられているが、重体であるようだ。
宮廷では第一王子の王位継承を危ぶむ声が高まっている。
今回のことがなくとも、地方を重くみる第一王子の政治姿勢を快く思っていない貴族は大勢いる。
その反面、王都の既得権益層である宮廷貴族に対し、地方民の反感が年々高まっており、第一王子を支持する声も大きくなってきている。
相反する勢力。
となると、ささやかれるのは「暗殺」だ。
第一王子は本当に魔物狩りに行ったのか?
それとも……。
(先生は、『ディー』は北領の冒険者の待遇を改善しようとしたと言っていた)
ガウが魔物狩りを教えたディー。
ミアが慕っていたディー。
アンネリーゼの婚約者、第一王子ディートハルト。
ローレンツは頭を振った。いろいろなことから逃げてきたから、正面から向き合うことを避けてきたから、こんなときどうしたらいいかわからない。
聖女の夫として生き、聖女の父として生きるしか、貴族社会は許してくれなかった。
ただの「ロー」になって冒険者としてモニカと過ごした月日の輝きは、後になって罪の意識に塗り替えられた。
自由など求めるべきではなかった。娘たちを捨て去るべきではなかった。
しかし、ミアが生まれた――。
明るい太陽の下に咲く野の花のような、愛しい末娘。
ぐるぐると考え事をしている間に、大僧正の執務室にたどり着く。
「カレンベルクです」
部屋には大僧正しかおらず、大僧正自らドアを開けてくれた。
「お久しぶりです公爵。お呼び立てして申し訳ございませんな」
大僧正はにこにこと言った。
「いえ。こちらこそ大僧正様のお手を煩わせてばかりで」
大僧正の執務室はいつものようにこざっぱりと片付いていたが、テーブルに見慣れないものがあった。
ふたつの大きなグラス。中には、花びらを絞ったような明るく透明なオレンジ色の水と、インクのように不透明な青黒い水が入っている。
「こちらは何ですか? 染料のように見えますが」
「今日公爵にお見せしたいと思っていたものでして。精察の儀の結果です」
「精察の儀を終えた聖水ですか?」
「聖水というのは権威付けのお飾りでして、ただの井戸水でも同じなのですよ。水は透明ならばなんでも良いのです。魔力の種類を可視化できる特殊な魔法をかければこの通りでして……いや、こんな色は滅多に出ませんが」
「ドロテアやアンネリーゼは透明な青色でした」
「聖女の場合、普通は透明な青系の色になります。力の強さや性質によって濃さや色合いが変わりますが」
「そうでした。ドロテアはやや緑がかった薄い水色で、アンネリーゼは鮮やかな青でした」
ローレンツは目の前のオレンジと濃紺の水を見た。
「こちらは聖女の力を可視化したものではないようですね。なんの魔力でしょう?」
「……まあお座りください公爵。水がよく見える位置に」
ローレンツは自ら椅子を引いて、席についた。大僧正が向かいの席につく。
「こちらは二つとも、聖女の力を可視化したものです」
「なんと……」
「このような色は、私も文献でしか知りませんでした。非常に驚いています。それでですね、公爵……」
「ミアですか? このオレンジ色は」
ローレンツはまっすぐ大僧正を見た。大僧正もローレンツを見ていた。
近隣三国が一つの大国だった時代にいたという、伝説の聖女。
封印・解除の聖女。
モニカとミアの、花のように明るいオレンジの髪――。
「公爵様はご存知でいらしたのですね。ミア様に秘められた可能性を」
「はい……」
「ミア様は儀式を受けられたわけではないのです。これは準聖女の奉仕の最中に、偶然に得られた結果なのです。ミア様ご本人にはお知らせしておりません」
「ミアは、これから力を発現するのでしょうか……?」
「いえ、それがおかしいのです。予兆段階でここまで鮮やかな色が出ることはありません。この発色は、力が成熟している証です。力の発現から三年以上経過しているはずです」
「そんな馬鹿な。ミアは……私たちに力を隠しているのですか。私たちを騙しているのですか。あの子はそんなことはしません! できるはずがありません!」
「まあ落ち着いてください、公爵。ミア様はこの聖堂でもまっすぐな方だと評判です。ご家族に隠し事ができる方だとは思えません」
「そうです。あの子は……ミアは……」
自分のせいでぎくしゃくとしていたカレンベルク家に、明るさとなごやかさをもたらしてくれた娘。ミアのいる家族の食卓は楽しい。
「公爵、これは私の想像に過ぎないのですが……」
大僧正は次の言葉を言おうか言うまいか迷っている様子だった。
「なんでしょう? おっしゃってください大僧正様」
「ミア様はご自身の力を封印されたのではないでしょうか? ご自身の、古代の聖女の力で」
侯爵は目を見開いた。
自分で自分を封印?
「ミア様は、聖女の力を発現することをお望みでしたか?」
「……いえ、嫌がっておりました」
「ならば、考えられないこともないですね。意識してではなかったかもしれません。しかし、力を封じても聖女であることに変わりはないのです。精察すれば結果が出ます」
「なんと……」
「封印・解除の聖女は現在ミア様しかおられませんから、ご自身で力を封印されたのでしたら、もう解除はできません。ミア様が覚醒を拒否されていたならば、このままお知らせせずにおくのがミア様にとってお幸せとは思うのですが、そうは参りませんのです」
「子供……ですか」
「そうです。ミア様のお子様が、封印・解除の聖女となる可能性があるのです。公爵をお呼びしたのは、ミア様の縁談を早々にまとめないでいただきたいというお願いもございまして」
「はい。しかし、こんなこと……ミアにどう説明したら」
「今しばらくは、ミア様ご本人にはお知らせしないでおきましょう。しかし、王には申し上げねばなりません。ゲートルド国ブランケン領のことがございましたからね」
ローレンツは思わず手で瞼を覆った。
モニカ――!
「今回の精察は正式なものではございませんから、公表せずに秘めておくことはできます。しかし、十六歳誕生月翌月に受ける精察の儀は、公的なものとなりますから結果を伏せておくわけにいかないのです。あと一年猶予があります。一年の間に、ミア様の身辺を我が国にとって良きよう整えておかなければなりません」
「私は……私はどうしたらいいのでしょう。大僧正様」
「ミア様を王宮にお預けになりますか?」
「……王宮、ですか?」
思いもよらない提案だった。
「たまたまなのですが、第三王子の侍女探しの相談を受けておりまして。かなり活発な方でないと務まりそうにないと思い、ミア様が聖堂にいらした初日に、打診したことがございました。魔物討伐の経験が豊富なら打ってつけではないかと、その時は軽い気持ちだったのですが」
「王子の侍女ですか? あの子に務まりますでしょうか」
「侍女らしい侍女では逆に務まりません」
「はあ」
「ユリアン殿下が従う唯一の方だったディートハルト殿下がお倒れになった今、急な登用であっても不自然がございません。王宮であれば、隣国がよからぬことを考えたとて早々に手出しできません。悪い虫もまあ……つかないでしょう。いかがですかな?」
「それしかない気がいたします……」
「左様でございますか。では、ミア様については、今日はとりあえずここまでということにして……」
大僧正は、もうひとつのグラスを見やった。
先程より表情が沈鬱になっている。
どうやら、こちらの聖水のほうが問題は重いらしかった。
オレンジの聖水が部屋の風景を明るく透かすのに対し、青黒く濁った水はそれ自体の重く淀んだ存在感だけを感じさせる。
「現在の、聖女アンネリーゼの水です」
大僧正は沈んだ声で言った。
「思うところがありまして、聖女に無断で精察致しました」
「思うところ……とは?」
「聖女アンネリーゼの尋常ではない力について、密告がございました。精察の儀のころより、力が著しく増しております。公爵、これはもう――魔性です」
重く濁った青黒い水は、風景を透かす代わりにローレンツの顔を映し出していた。
かつて娘たちを捨てて王都から逃げようとした、無責任な男の顔を。




