27・聖女精察の儀
ジェッソが目を開けると、王宮医師の顔があった。
「お目覚めですかな」
「……」
夜だったはずなのに、窓の外が薄明るい。早朝らしい。
ジェッソは昨夜の記憶を辿った。
メイドがディートハルト殿下に手紙を届けに来た。直接お渡しするようにとの命令ですと言われ、仕方なく休息中の殿下のドアをノックした。「勉強中だよ」との返答に、「御文が届いていると、メイドが」。
その先は言えなかった。
首筋に錐を刺したような痛みがあり、急激に苦しくなったのだ。
意識が遠のき、最後に「ジェッソ?」と自分を呼ぶディートハルト殿下の声を聞いたような気がする。
ジェッソはがばっと起き上がった。首筋に手をやる。
何も刺さっていない。
傷もなければ、痛みもない。
「睡眠薬を盛られたようですよ」
ベッド脇の小テーブルに置かれた水差しを見やり、医師は言った。
「……睡眠薬?」
なにがなんだかわからない。
ジェッソが困惑していると、聞き覚えのある深い声がした。
「ディートハルトがそなたの水差しに一服盛ったようだ。また城を抜け出して、困ったものだ」
「陛下」
ジェッソはベッドから転げ出て、床に平伏しようとした。
「よい。面を上げよ。ディートハルト本人と、剣と、旅装一式が消えている。おそらく出入りの業者の馬車に潜り込んで城を出たのだろう。荷物は持たぬようであるから、行先は王領の森だろう。上位魔獣が出たからな」
「そがんこたあねえで」
「なんだ?」
「し、失礼いたしました」
「魔術師殿は西方のご出身なのですね」
医師のフォローが入り、ジェッソは自分の顔面がかあああっと赤くなるのがわかった。興奮するとつい故郷のなまりが出る。
「なんと言ったのだ?」
「『そんなわけはない』と」
当人の代わりに医師が答えた。
「どういうことだ?」
王が魔術師を見る。
ジェッソは意を決して答えた。
「お、恐れながら申し上げます。ディートハルト殿下は、本日ユリアン殿下とご本を読む約束をしておられました。約束を反故にされる方ではございません」
「今日中に帰ってくるつもりなのではないか?」
「お、恐れながら申し上げます。ディートハルト殿下は、王領の森に出没した上位魔獣、通称ペルーダの等級・性質をよくご理解なさっておられます。単身で無謀な狩りに向かわれるとは思えません」
「ペルーダを狩りに行ったとは限らないだろう? 魔物ならほかにも」
「恐れながら申し上げます。ディートハルト殿下は遊戯としての魔物討伐はなさいませヌウ!」
王に意見する恐れから、今度は語尾がおかしくなった。
慣れないことをしでかしたせいで、体がガタガタ震え出す。
「ならば、魔術師殿の水差しに睡眠薬を盛ってまでして、殿下はどちらへ……」
医師が首をかしげる。
「私は本当に睡眠薬で眠らされていたのですか?」
「状態としてはそうです」
「私は昨夜、水差しの水を飲んでおりません」
殿下に「相槌も打てないのか」と言われ――実際言い方は違ったが――また嫌われてしまったと落ち込んで、何も口にできず部屋の隅でずっと膝を抱えていたのだから。
王と医師は顔を見合わせた。
ジェッソは思案する間がもどかしかった。
「殿下を探しに行かせて下さい」
ジェッソは立ち上がった。特にふらつきもない。
昨夜の苦しみはなんだったのだろう? 状況から察するに吹き矢の毒だ。効きが激しかったから魔物由来の毒かもしれない。魔法攻撃なら対処できるが、感知できなかったから物理的な攻撃のはずだ。
物理的な攻撃のはずなのに、なんの傷跡も残っていない。
激烈な症状をもたらす毒だったのに、なんの体調不良も残っていない。
その事実にゾッとする。
これはただの失踪劇ではない。ジェッソにはその確信があった。
王子は出入りの業者の馬車で城を出たのではないかという予想を元に、ジェッソは通用門の門番のところへ行った。
「す、すみませ……」
他人に話しかけるのが苦手なため、表情のこわばった不気味な人物になってしまう。
門番に警戒の目を向けられてさらに表情筋がカチコチになってしまうが、訊くべきことは訊かねばならない。
「昨晩、不審な馬車が通りませんでしたか……?」
「昨晩? おれの当番じゃなかったから知らない」
けんもほろろに追い返されそうになったそのとき、もう一人の門番が言った。
「あれの話かな? 交代のとき言ってただろ。出せ出せって小僧がわめいてた馬車があったって」
「小僧?」
「下っ端の小僧が悪さでもして仕置にあってたんだろって言ってたけど」
ジェッソは思案した。
ディートハルト殿下だったら、馬車に閉じ込められたらどうするだろう?
(恥も外聞もなくわめき散らしそうな気がする……)
「その話、もっと詳しく」
*****
ある朝ミアが聖堂に着くと、いつもよりざわついていた。
最近ようやく口をきいてくれるようになった準聖女仲間1に「何かあったのですか?」と尋ねると、「フェリクス殿下がいらしたの」と頬を紅潮させて答えた。
「あれ? お怪我は完治されたのでは?」
「貴族礼拝室のほうでしてよ。ディートハルト殿下がご病気で倒れられたため、快癒祈願のご祈祷だそうです」
「第一王子はお体が弱いのですか? 数年前にも倒れられたと聞きましたが」
「どうなのでしょう? 魔物狩りがご趣味だそうですから、魔物の毒に侵されたという噂もございましてよ。どちらにしても聖女アンネリーゼがついておられますから、問題ないと思いますが」
「魔物狩りがご趣味?」
「地方まで魔物狩りに遠征されるそうよ。ご公務も婚約者も放ってと、お怒りになる大臣が続出で……あっ、これは内密にお願いね」
「はあ」
「聖女アンネリーゼもご苦労なさるわね。ご結婚も延び延びで、お気の毒だわ」
お気の毒だわと言いつつ、王室周辺の悪い噂にうきうきしている様子だ。
わからないでもない。
ミアとて、聖女アンネリーゼだって相当なタマですよ!と悪口で盛り上がりたい。バレたら最凶の拷問をされそうだから言わないが。
アンネリーゼなんかと結婚しなきゃいけないなんて第一王子がかわいそうと思っていたが、噂に聞く限りでは王子のほうも問題ありの気がする。
(まあ第一王子にどんだけ問題あっても、アンネリーゼのほうがやばいと思うけどね)
「そうそう、第一王子もお名前に『ディー』がつくのですね。そこで少々お尋ねしたいのですが、あなたのご親戚にも『ディー』がつく二十歳前後の男性が……」
「おりましてよ?」
「その方は褐色の髪で風魔法の……」
「きゃあっ! フェリクス殿下だわ!」
準聖女仲間1は駆けて行ってしまった。空振りになったミアの質問が途中でむなしく消える。
ミアの「ディー」探しは進んだのか進んでないのかよくわからない。「知り合いに『ディー』のつく若い男性がいるかと尋ねると、全員「いる」と答えるのだ……。
「この国何人『ディー』がいるのよ!? いっそ上から順に第一王子から当たったろか」
ミアがやけくそのようにつぶやいていると、準聖女仲間2がやってきてミアの僧服の襟首をぐいっとつかみ、「仕事よ! みんなフェリクス殿下を見にいっちゃってずるいわ! 私だって見に行きたかった!」ときぃきぃわめきたてた。
「仕事?」
「今日は聖女精察の儀があるの」
「ああ、十六歳の誕生月翌月にやる儀式」
「私たちは満十六歳だったけど、聖女の予兆がある子はもっと早いわよ。今日は二十人が儀式の予定なの。準聖女もお手伝いよ。あーもうやんなっちゃう」
「お手伝いって何をやるのですか?」
「いろいろよ。まず最初に奥庭の聖女の泉から聖水を聖杯に汲んで、大礼拝堂に運ぶの。一杯ずつじゃなきゃいけない決まりよ。全員でやればすぐに済むのに、みんなサボるんだから! ずるいわ!」
きぃきぃうるさい準聖女仲間2は、「ほら、さっさと行くわよ!」とミアを引きずっていった。
ほ~これが聖杯。装飾的でずっしりしている。
ほ~ここが聖女の泉。キラキラと神々しい。
ミアは聖杯に汲んだ泉の水を覗き込んだ。澄み切っていて聖杯の底までよく見える。この聖水をどうしたら聖女の判定ができるのか、儀式未経験のミアにはわからない。
「あの~これどうやったら……」
「しゃべっちゃダメ!」
怒られてしまった。判定法は後で訊こう。
奥庭から回廊を通って、表庭に出て大礼拝堂へ向かう。
重い聖杯を額の高さに掲げて運ぶので、前を行く準聖女仲間2の腕がぷるぷるしてきた。鍛えているミアはへっちゃらである。後で腕立て伏せを勧めてみよう。
聖水の入った聖杯を祭壇に並べると、ミアと準聖女仲間2はしずしずと場を辞し、大礼拝堂を出た。
関係者エリアに入ってすぐに準聖女仲間2が文句を言い始めた。
「もう腕つかれちゃった~。みんな呼んでくるわ。ミア、あなたもう二往復くらいしてよ」
「いいですけど。あの聖水って、どうやって聖女の判定するんですか?」
「は? あなたもやったでしょ。一口飲むだけよ」
「飲むだけですか?」
「やったでしょ?」
「やってないです」
「もしかしてミアって十六歳になってないの?」
「十五歳になりたてですよ」
「先に言いなさいよ! 聖杯係は十六歳未満ダメなのよ!」
「えーっ! なんでですか?」
「聖女かもしれない子が運んだら誤判定出ちゃう場合があるじゃない。飲むだけって、飲むのが目的じゃないのよ。唾液混ぜるってことよ。ぺっぺっとやったら汚いでしょ。唾液なんてちょっとしたことで混ざるじゃない」
「あーなるほど」
「なるほどじゃないわよ! ちょっと、ヤスミン! この子十五歳だって知ってたぁ?」
こちらにやってくるヤスミンに、恨みがましく準聖女仲間2が言う。
「知ってたわよ。精察の儀の手伝い、ミアは外してって言いに来たんだけど……」
「どうするの? ひとつ運んじゃったわよ」
ヤスミンがしまったという顔でミアを見る。
「取り戻しに行きましょう。まだ儀式は始まらないもの。あなたは聖水を運ぶのを続けてて」
「え~~~」
不満顔の準聖女仲間2を残して、ミアとヤスミンは大礼拝堂へ向かった。
「ミアが運んだのはこれね」
「はい。間違いないです」
ヤスミンが祭壇からミアの運んだ聖杯を下ろす。
「この聖水どうするんですか? 聖女の泉に戻すとか?」
「まさか。大僧正様に伺ってみましょう。きっと儀式済みの杯として扱われると思うわ。精察して三日間保管したのち、奥庭の聖木の根元に注ぎます」
「わたしなんてどうせ聖女じゃないし、このまま使っても問題ない気がしますけどね」
ミアがつい本音を言ったら、真面目なヤスミンににらまれてしまった。




