26・特級魔獣と従魔の術
「出せっつってんだろゴラアアアアア!」
馬車でどこかへ運ばれる道中、ディートハルトはずっとわめき続けていた。
途中三度ほど、黙れと言わんばかりに誰かが箱を蹴っとばしてきた。敵が苛々しているなら好都合である。
「心乱れろバアアアカ!」
さらに大声でわめいてやった。
護衛の魔術師が倒れた時点で殺すチャンスはあったのに、城内では殺さず、わざわざ箱詰めにして運び出すということは、敵はディートハルトに今死んでもらっては困るのだ。
捕らわれただけなのか、しかるべき死に場所へ運ばれているのかは知らない。
しかし、少なくとも移送中の現時点ではまだ殺されない。
外部に自分の存在を知らしめる手段は大声だけなのだから、出せるだけ出してやろうと決めた。
「誰か助けてくれー! 殺されるー! 殺されるー! 殺されるー! ……いでっ!」
一段と大きく箱が蹴りとばされ、揺れた箱に頭をぶつける。「やめろ」と蹴った者をたしなめる男の声がし、馬車内にいる敵は二人以上だと悟る。
(そうだ、そうやってどんどん情報を出してこい)
おまえらが何者か掴んでやるぞ。
体感的に三十分ほど馬車に揺られただろうか。
馬車は停車し、ディートハルトは箱詰めにされたままゆっくり運び出されるのを感じた。
ディートハルトはわめくのをやめ、耳を澄ませた。
(足音は二人分か)
敵は二人と、ほかに御者がいるだろう。
(俺の武器は短剣一本と風魔法)
二人で人間ひとり入った頑丈な箱を危なげなく運ぶのだから、敵はかなり筋力があると思われる。これで戦闘慣れしていたら勝てる確証はない。
(足音が変わった? 建物に入ったか?)
二人の足音が土の上を歩く音から石床の上を歩く音に代わった。踵の硬い靴の音だ。
ディートハルトの入った箱が床の上に下ろされる。
蓋の鍵が開けられる音。
ディートハルトは短剣を握り、構えをとった。
そして蓋が開くと同時に、箱が乱暴に横倒しにされ、ディートハルトは石の床に転がされた。
(また魔法陣か)
予想はついていたことだ。床に描かれた転移魔法陣を横目に、ディートハルトは二人の男のほうを見た。室内は小さなランプの乏しい明かりだけで薄暗かったし、どうせ覆面をしているのだから顔なんか見ない。
確認するのは二人の体格。
(ほかに印をつけてやる)
ディートハルトは素早く短剣を薙いだ。
深くえぐるような手応え。
「つっ……!」
頭側にいた男が右手の甲を押さえる。
押さえた手指の隙間から血が滴るのを確認すると同時に、ディートハルトの視界が暗転した。
「で? ここはどこだ。王領の森か?」
ディートハルトは服についた落ち葉を払いながら立ち上がった。
シャツ一枚の通常服に短剣一本で魔物のいる森に転がされるとは、なんとも心許ない。
敵の目的はわかった気がする。
「お馬鹿な第一王子は無謀な狩りに行って魔物に殺られました」という筋書きがほしいのではないか。その筋書きに説得力を持たせるために、実際の魔物に襲わせたいのではないか。
地方への調査の際、「魔物狩りの趣味が高じて辺境まで行く馬鹿王子」ということにしておけば、王都の既得権益層の反感を煽らずに済む。だから馬鹿と言われるがままにしておいたが、裏目に出たかもしれない。
(だとすると、ジェッソは今ごろどうなってるんだ)
護衛の死体が部屋に転がっていたら、さすがにその筋書きは無理が生ずる。護衛を殺してまで狩りに行きたがる奴だとは、いくらなんでも思われていないだろう。
護衛の魔術師も魔物の毒にやられたことにして、死体を森に転がすのか? それとも、死体は秘密裏に処理して行方不明を装うのか?
(ジェッソ……)
ああ、あいつが今ここにいたらな。
物凄く心強いんだけどな。
何考えてるかまるでわからない奴だけど、めちゃくちゃ頼りになったんだよな。
こちらが何も指示しなくたって、先手先手で動いてくれて。
(あいつ自身のこと、もっといろいろ訊いてみるんだった)
ミアのときといい、ジェッソといい。
なんで自分は、大事な身内が敵に傷つけられてから、己の至らなさに気付くんだろう。
「すまない……。ジェッソ」
浮かんでくる涙を手の甲で乱暴にぬぐって、ディートハルトは夜空を見上げた。
星空だ。月も出ている。
星の位置とおおまかな時間から、方向がわかる。
ここが王領の森だとしたら、どちらへ進めば出口か大体わかる。
行かなければならない。
――自分は、この国を率いねばならない王族だから。
しかし、そのまますんなり森から出られるとは、ディートハルトはもちろん思っていなかった。
自分がここで魔物に殺られなければ、敵は困るわけである。
「三匹目」
ギャッと声を上げて小型の魔物が息絶える。魔法の風で切り裂いた屍から、小さな魔石を拾いあげる。
この魔石は敵を短時間痺れさせる効果がある。
ないよりまし程度の効果だが、大切にポケットにしまう。
出口に向けて一時間かそこらは歩いているが、今のところ風魔法と短剣で楽に始末できる程度の小さい魔物しか出てこない。このまま終わるとは思えなかった。
敵はどこかでディートハルトを見張っていて、何らかの手段でそこそこ強い魔物をけしかけてくるだろう。まんまとディートハルトが死んだら服を着替えさせ長剣を持たせ、ディートハルトが自ら森へ赴いたように工作するのだろう。
(でも人間がけしかけられる程度の魔物なんて、そこまで大したことな……)
ディートハルトは足を止めた。
――大したことなくなかった。
(なんで本命が出るんだよ!)
ディートハルトは短剣を構えた。さすがに手が震える。
蛇に似た頭部の蛇に似た目が、ディートハルトを見つめている。
鬣のある獅子の躰。尻尾も蛇で、背中からは毒のある棘が生えている。
そしてデカい。
ペルーダだ。
狩ったことはある。ガウのパーティーで狩ったことはあるが、弱点である尻尾を切り落としたのは老いてなお神業レベルの剣さばきを見せるガウだ。地属性の魔力を持つ兄弟が魔物を足止めし、ディートハルトとミアは魔物の気を尻尾からそらす役割だった。
五人いてやっと倒した魔物を、単身で? しかも短剣しか持たずに?
「いや、無理……」
ディートハルトはじりじりと後ずさった。
まさかペルーダを誘導できる人間なんていないだろう。これは偶然だ。運が悪すぎる。
(死ぬのか? マジで? まだ何もやってないのに?)
脳裏にオレンジの髪の少女が浮かぶ。
ミアの笑顔はディートハルトにとって民のしあわせの象徴だ。
ミアのあの、お日様の下に咲く野の花のような笑顔を守ることが、王族に生まれついた自分の役割。
あの日。あの祭りの日。
ミアの輝くような笑顔を見てそう決めた。
だからこそ、ミアに似た境遇の者たちの平穏のために、地方の悲惨な現状をせっせと調べて王都へ持ち帰った。最近ようやく話を聞いてくれる貴族も増えてきたというのに。
これからなのに。
これからだったのに。
(まだ死ねない)
駆け出しそうになったディートハルトの足元を、なにか丈の低いものがするりと通り抜けて行った。ぎょっとして足を止めたら、同様にいくつも走り抜けていく。ペルーダに驚いた小動物かなにかだと思ったが、体が長い。
(――蛇?)
なぜ蛇が、何匹もいきなり。
ペルーダに蛇を使役する能力などあっただろうか? ないはずだ。頭部は蛇に似ているが、そんな話は聞いたことがない。
ディートハルトは月明りにおぼろに浮かんだペルーダを見た。
さっきから全く動かない。
こちらが動き出すのを伺っているのかと思い、ペルーダの全身を眺める。
ペルーダの体は、まるで固まっているかのような違和感があった。
(動かないのではなく、動けない?)
違和感はそれだけではなかった。ペルーダは薄緑の燐光のようなぼやけた光をまとっている。魔力由来の現象のように思えるが、ペルーダは魔力を使わない魔物だ。
(どういうことだ? あの光は)
ディートハルトが近寄って見てみようか逡巡していたら、人間の声が聞こえた。
「なぜ動かない……うわ、うわ、うわああああ!」
声は悲鳴に近かった。ディートハルトははじかれたように声の方向へ走った。ここに人間がいるなら間違いなく敵だろう。
木々の合間に、尻もちをついた男が見える。男もこちらを見ているが、立ち上がろうとしない。いや、立ち上がろうともがいてはいる。
立ち上がれないのか――?
(ペルーダも動けず、男も動けない。何があったんだ)
ディートハルトは大股で男に近づいた。男は「ひいっ! 王子」とうわずった声をあげ、なんとか距離をとろうと腕の力で後ろに下がろうとした。しかし逃亡はかなわず、尻もちをついたまま剣を抜いて対峙しようとする。
ディートハルトは風魔法で男の手から剣を弾きとばし、足が動かないのか?と男の足を見た。
思わず息を吞む。
石化している。
膝から下が、服ごと。
ディートハルトの足元をまた一匹、蛇が走り抜けていく。
(石化魔法……蛇が逃げる……。まさか)
バシリスク! 特級魔獣だ!
敵の手から弾きとばした長剣を急いで拾う。
バシリスクは小型だ。しかし魔力が強く、視線にも致死効果があると言われている。視線を合わせただけで猛毒か石化が付与される。
狩ったことなどない。
実物を見たこともない。
王領の森などという、人間の棲みかのすぐ近くに出る話など、聞いたことがない。
正直、神話の中でしか知らなかった!
「貴様、特級魔獣を持ち込んだのか!?」
男を跨ぐようにして、奪った長剣の先を敵の心臓に向ける。
「特級魔獣など知らない……!」
「では、ペルーダは? 『なぜ動かない』と言っていたな。どういう意味だ」
「それは……」
「答えろ」
「答えるわけには……。うわ! う、うぐ、ぐふうっ……!」
男はある一点を見つめたかと思うと、突然泡を吹いてがくりとうなだれた。
視線を合わせただけで猛毒か石化が付与――。
(バシリスクが俺の後ろにいるのか!)
じっとりと脂汗が流れた。
振り返るわけにはいかない。おそらくもう助からない敵の男を見ているしかできない。
ペルーダのことを聞きそびれた。「なぜ動かない」とはどういうことだ。
こいつは、ペルーダを意のままに動かせたとでもいうのか?
魔物をあやつるなんて、古代の神話じゃあるまいし――。
古代の神話を思い出したディートハルトは、男の手首を見た。
神話に出てくる従魔の術。魔物と主従の契約を交わした魔術師は、その腕に契約の紋が刻まれるというおとぎ話。
(――待て。なんであるんだよ。変な入れ墨みたいのが、手首に)
泡を吹く男の左手首には、ぐるりと一周植物の蔓のような文様があった。
(嘘だろ……)
今自分は、前に従魔術師、後ろにバシリスクという状況なのか?
古代かよ!
こんなの、絶対生きて帰って報告しなけりゃいけないじゃないか。
ポケットを探る。
麻痺の効果を与える魔石がみっつ。
(長剣も手に入れたし、武器が増えたな、うれしいな――なわけないだろ!)
こんな装備で、生きて森を出られる気なんて全然しないぞ!




