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23・第二王子、聖堂を訪れる


「少し早く着きすぎたかな」


 ハルツェンバイン国第二王子フェリクスは、馬車から降り立つと聖堂入り口に目をやった。人気がなく、まだ昼休憩の時間帯のようだ。


「到着を伝えて参ります」

「いや、いい。急かしたら悪いだろう。少し中庭でも散策しよう」

 フェリクスは従者を連れて、中庭へ回った。


 素晴らしい春の陽気だ。由緒ある庭園には大樹が繁り、そよ風が新緑を揺らしていく。木漏れ日の落ちる小道の脇には、よく手入れされた色とりどりの花。聖女の国の聖女の殿堂は、こんなにも美しい。


 フェリクスは奥へ行こうとして、足を止めた。


 小道の先のベンチで、乙女が二人親しげに語らっている。

 美しい景色の中の清らかな乙女たちは、まるで絵の中の住人だ。


「美しいなあ。絵のように美しい光景だ」

「左様でございますね」

「この絵の中に踏み込んでゆくのは無粋というものだ。うむ、散歩は中断だな」

「よろしいのですか?」

「美しいものを見たからな。大満足だ。ゆっくりゆっくり来た道を戻ればよかろう」


 フェリクスと従者がゆっくりゆっくり来た道を戻ると、聖堂入口の大扉の前で老尼僧がそわそわと辺りを見回していた。フェリクスの姿を認めると、安心したように礼をとる。


「すまない、気を揉ませてしまったかな」

「とんでもございません、殿下。聖堂までご足労いただき光栄の至りでございます」

「聖女殿のご準備が整われるまで、待たせてもらうことはできるかな?」

「準備は整ってございます。殿下をお呼びするよう仰せつかっております」

「聖女殿はご休憩中では?」

「問題ございません」


 それならばと、老尼僧の後について聖女アンネリーゼの間へ急ぐ。


 フェリクスの怪我の知らせに、兄の婚約者である聖女アンネリーゼは城へ駆けつけてくれた。その後も城へ通うと申し出てくれたが、断った。多忙な聖女を独り占めするわけにはいかない。聖女は国の宝なのであるから。


 命に関わる深い傷ではないし、原因は自分の不甲斐なさなのだ。


 公務で王都郊外へ出た際に、空から飛来した魔物に襲われた。騎士に任せればいいところを、意地になって自分で応戦したために負った傷だ。無理をしたせいで護衛の騎士たちにまで余計な怪我を負わせてしまった。まったくもって情けない。


 だから自分のほうから聖堂へ出向くのが筋であると、フェリクスは思っている。


「失礼する」


 聖女の間へ入ると、いつものように従者と老尼僧は場を下がり、フェリクスはアンネリーゼと二人きりになる。兄の婚約者と密室で二人きりになるのは問題ではと考えたこともあったが、癒しには集中が必要なので他人の気配は邪魔なのだと聖女本人に言われ、それはそうだと納得した。


 自然の摂理を越えて傷や病を治すのだ。

 生半可な集中では成せないだろう。


「今日もよろしくお願い申し上げる。聖女殿」

「ふふ、フェリクス殿下ったら。そう固くならないで」


 聖女アンネリーゼが怪我人のこわばりをほぐすように優しく微笑む。この聖女の微笑みにどれだけの人々が安心を得てきたのかと思うと、フェリクスは尊敬の念が湧いた。


「上をお脱ぎになって」

「うむ」


 傷は背中だ。右肩から斜めに大きく三本。魔鳥の鉤爪にやられた。


「やや突っ張るが、痛みはなくなった。聖女殿のおかげだ」

「時間をかけてゆっくり治しましょう。なにもなかったように元通りにしてさしあげますわ」

「多少傷跡が残るくらい構わないのだが……」

「いけませんわ、こんな美しい背中に傷跡なんて」


 裸の背中に、なにかやわらかで温かいものが触れた。

 湯に浸して絞った綿だろうか? それにしては弾力がある気がするが。


 弾力のあるなにかが触れたのは一瞬で、その後は聖女の冷たい指先が傷に沿っていく。聖女の指はひやりとしているのに、傷がじわじわ温まっていくのが不思議だ。効いている、というかんじがする。


「気持ちが良いな」

「そうかしら。うふふ……」


 再び温かで弾力のあるものが背中に触れる。さっきより長い。

 フェリクスはそれは何かと尋ねたくなったが、聖女の集中を妨げて疲れさせてはいけないのでやめておく。


「フェリクス様……」

 暖かで弾力のあるものが離れ、聖女アンネリーゼが耳元でささやくように言った。

「なにかな」

「フェリクス様ったら……」

「? 終了かな、聖女殿」


 アンネリーゼが背中側から離れ、フェリクスの前に回り込む。濡れたような瞳で見つめられ、フェリクスは何かあったのかと慌てた。


「何か問題があったかな?」

「お気づきになっていらっしゃらないの?」

「もしや魔物の毒でも回って」

「毒はございませんし、治癒も進んでおりますし、問題はございません」

「そうか、よかった。では、何に気付いてないのかな、私は」

「フェリクス殿下……十八歳でいらしたわよね?」

「もうすぐ十九だが、それが?」


 アンネリーゼは答えず、あきらめたように小さく首を振る。そして「包帯を巻きますわ」と言って棚に手を伸ばした。


「包帯なら処置室に行こう。多忙な聖女殿のお手を煩わせるのは申し訳ない」

「準聖女は休憩時間でおりませんから」

「そうか、そうだった」


 フェリクスは中庭で語らう乙女たちを思い出した。彼女たちは準聖女の服を着ていた。


 アンネリーゼが慣れない手つきで包帯を巻こうとする。背中なので、覆いかぶさるようにして前へ手を回すため、フェリクスは背中から抱きつかれるような格好になった。


 勢い、アンネリーゼの頬が背中に触れる。

 そして頬を背中にぺたりとつけたままアンネリーゼが動かないので、何をしているのかと思ってフェリクスは尋ねた。


「これはなんのためかな、聖女殿」

「……フェリクス殿下の心音を聞いていますの」

「なるほど! 聖女殿は心音からわかることも多いということか。で、何がおわかりになるのかな?」


「フェリクス殿下の心音の乱れはまったくないということですわ。ええ、まったく! まったく平常どおりですわ!」


 なぜかやけくそな調子で聖女は言った。



     *****



「おかえりなさい、ミア」

 一日のつとめを終えミアがカレンベルク邸に帰りつくと、フローラが玄関まで出迎えてくれた。


 フローラは目を輝かせてミアの報告を待っている。

 何から話したらいいか悩ましい。


 喜ばしいことも不快なことも、伝えたいことも伝えるのをためらうことも、みっちりと詰まった一日だった。


「おつとめどうだった?」

「おつとめは楽しかった。怪我や病気で聖堂へ来る人たちがみんな喜んでくれるし」

「すごいわ、ミア。ミアはなんでもできるから」


「いやいやいや。準聖女頭のヤスミン様が、しっかり指導してくれたので」

「素晴らしいわね。準聖女のみなさんはいい方?」

「ヤスミン様だけは」

「えっ?」

「ゆっくり中で話しましょう……。ドロテアお姉様も交えて」


 正直、ミアは準聖女のご奉仕をフローラに勧めていいかわからなくなってきた。


 意地悪な女の子たちだけなら、ミアとヤスミンで何とかなりそうな気がする。


 しかし問題は、準聖女を物色しにくる貴族のボンボンどもだ。


 ミアは今日一日庶民部屋で普通のじいちゃんばあちゃん相手に気持ちよくご奉仕できたが、ヤスミンの話だと貴族部屋の常連は相当悪質だ。地位と財産をちらつかせて若い女を釣り上げにくる腐れ野郎ども。


 ミアは、うきうきした様子で後ろをついてくるフローラをちらりと振り返った。


(でも、何を言ってもフローラはきっとご奉仕に出るって言うだろうな……)


 カレンベルク家という守られた場所から、どこか別の守られた場所へ嫁ぐ人生。フローラに与えられたのはそんな人生で、それがしあわせかどうかはミアにはよくわからない。


 苦労がなくてしあわせと言う人もいるだろう。

 でもそれは、一度外を見てから噛みしめるしあわせであってもいい気がしてきた。


(もしドロテアお姉様が反対したら)


 わたしは冒険者に戻るけれど、上流階級の家で暮らしてみてよかったと思うって言おう。貴族だってすまし返った雲の上の人じゃなくて、自分と同じように笑ったり悩んだりすることもあるって知ることができたから。故郷の悪い領主しか知らなかったら、一生貴族に憎しみしか持てなかっただろうって。


 だから、フローラも屋敷から出ていろんな人たちと出会ってほしいって。


 そんなことを思いつつ、ミアはフローラの後押しを決心した。




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