21・第三王子の侍女にスカウトされる(かも)
二週間後のある晴れた朝、ミアは馬車で大聖堂前へ乗り付けた。
「おおお、大聖堂~! 礼拝堂以外に入るのはじめてだなあ」
国内聖堂組織の頂点である王都大聖堂は、まぶしい朝日を浴び堂々たる風格だった。さすがの歴史的建造物である。
「ミア様、いじめられて髪とか引っ張られてもやりかえしちゃダメですよ。魔物狩りの猛者が手を出したらシャレになんないですから」
「戦うわけないでしょシシィ。素手だし」
「素手でも倒すじゃないですか、魔物」
「まぁちっちゃければ素手でも」
「何の話をしているのですか……。ミア様、くれぐれもカレンベルク家令嬢であることをお忘れにならないでください。ドロテア様がいらっしゃらなくとも、品位を損なうことはなさらぬよう」
「ドロテアお姉様はどうして大聖堂勤務じゃないわけ? ヘッダ」
「お考えあってのことです」
ドロテアも聖女であるので週に数日は聖堂で人々に癒しを施しているが、通っているのは最上位の王都大聖堂ではない。もっと庶民寄りの地区の中規模の聖堂だ。ドロテアに嫌がっている感じはないが、アンネリーゼなら下町の聖堂など絶対行かないだろう。
そう、王都大聖堂にはアンネリーゼがいる。
次世代の大聖女たるアンネリーゼと下働きの準聖女に接点があるかどうかは知らないが、ミアは極力接触を避けたかった。
「じゃあ初出勤いきますか」
シシィとヘッダを引き連れて、ミアは颯爽と聖堂の門をくぐった。
「わ~。なんか石像がいっぱいある」
門から正面入り口へと続く広い石畳の道沿いに、美しい女性の彫像がずらりと並んでいた。石の白さが眩しい新しい像もあれば、歴史を感じさせる古びた像もあった。
「聖堂に聖女を象った彫像を捧げるのは、貴族や資産家の権威誇示のひとつだそうです。寄付金が多くなければ寄贈が認められませんから」
「愛妻や恋人をモデルにした聖女像を寄贈するのが流行ったこともあるらしいですよ~。聖女のような君☆ってことで」
「意外と俗っぽいんだねえ。でもきれいだね。夜見たら怖そうだけど」
「動く聖女像の怪談もありますよ~。お話しましょうか?」
「う。遠慮しとこ……」
などとしゃべりながら列柱の装飾も重々しい入り口へと進む。
凝った飾りのある大扉は開かれていた。
聖堂の内部は人が行き交い、思いのほか活気がある。ミアがきょろきょろと辺りを伺うと、こちらに気付いた僧服の中年女性がにこやかに近づいてきた。
「こんにちは。聖堂へようこそ。お祈りでしょうか、癒しでしょうか」
「こんにちは。今日から準聖女見習いになります、ミア・カレンベルクと申します」
ミアもにこやかに名乗り、ドロテアにさんざん仕込まれた上流階級しぐさで礼をとる。上手に決まった!と満足して顔を上げると、相手は驚いた顔をしていた。
「あなた様がカレンベルク公爵家ご令嬢の。聖女アンネリーゼの妹君でいらっしゃいます、ミア様ですのね。門へお出迎えもせずに、無礼を致しました。申し訳ありません――」
「いえいえいえ、そんな。出迎えなんて。見習いにしていただく身ですから」
小さくなって謝る相手に、ミアはあわてた。下働きの見習いが出迎えてもらえるなんて、これっぽっちも思っちゃいなかったのだ。
聖堂内を行く人たちが、何事かと足を止め、こちらを見るのも困る。
「大僧正様がお待ちです。どうぞこちらへ」
「えええ! 大僧正様って……」
聖堂で一番えらい人だよね?と確認するような目で、ミアはシシィとヘッダを見た。二人とも顔が引きつっている。ミアが現場担当者と顔を合わせたら、さっさと帰る気でいた二人は、一番えらい人が出てくるとは思ってもいなかったのだろう。
(大げさだなあ。先が思いやられる……)
僧服の中年女性の後ろを、顔を伏せ気味にして小さくなって歩く。
広い石造りの廊下のあちこちに、簡易な僧服の少女が数人ずつ溜まってミアを見ている。あの女の子たちは準聖女かもしれない。じろじろ見られていたたまれない。
(こりゃあ、わたしが先に来て正解だったわ。第一位の聖女の妹だと、こんなに注目を浴びるのねぇ)
悪意も浴びなきゃいいけどと思いつつ、ミアは大僧正の部屋へ導かれた。
「お初にお目にかかります、大僧正様。カレンベルク公爵家四女、ミア・カレンベルクと申します。この度は準聖女見習いとして聖堂に入ることをお許しいただき、大変光栄に存じます」
立ち居振る舞いや挨拶の型はドロテアに徹底的に仕込まれたので、最初の一言までならミアは文句のつけようのない公爵家令嬢だ。
問題は、もっとしゃべるとボロが出ることだ。
「ようこそ、ミア様。ミア様のことはかねがねカレンベルク公爵から伺っております。準聖女へ志願されたとのこと、ハルツェンバイン国を思われるミア様の美しき心掛けに、胸が熱くなる思いです。聖堂を代表して感謝いたします」
ミアはにこにこした。
大僧正もにこにこした。
にこにこしていると、ただの気のいいおっちゃんに見える。
みそっかすの末娘とはいえ、ミアも貴族のお茶会など社交界の端っこに顔を出さねばならない機会は何度かあった。そこから学んだことは、挨拶と笑顔を交わし合えば、もうほぼ用は済んだということだ。デビュー前の年若い娘などそれで十分らしい。
あとは何か訊かれたら「はい」と「いいえ」で乗り切ればよい。
「ミア様は、北領キュプカ村のご出身とか」
「はい」
おっと、いきなり切り込んできたとミアは思った。
王都出身でないということは、上品な姉たちとは生まれ育ちが違うんだろと念を押されたようなものであるからして。
「民間魔物討伐隊に所属されていたとか」
「はい」
世間で「底辺稼業」と思われている冒険者をしていました。今もしてますけど。心の中でミアは答えた。
続けて嫌味や蔑みを言われるのだろうか。
来るなら来い!
「実は我が国の第三王子が」
「は?」
おっと、「はい」と「いいえ」以外の発言をしてしまった。
第三王子? そういえばハルツェンバイン国の王子は三兄弟、もう一人末の王子がいたっけ。まだ十歳にもならなかったはずだ。
「冒険者に憧れていらっしゃって」
「は……い?」
「第一王子が魔物討伐の名手でいらっしゃるので、その影響かと思われますが。とにかく活発でいらして。乳母も侍従も手を焼いているようです」
「……」
「はい」と「いいえ」で答えられない話には沈黙で答えるしかない。
「まだ幼くていらっしゃるので女性の手も必要ですが、乳母と女官の手には負えないそうで」
「……」
「現状、第一王子のおっしゃることしかお聞きにならないそうです。多忙な第一王子がそうそういつもお相手できるわけもなく、私も侍従長から相談を受けていたのですが」
「……」
「そのようなときにカレンベルク公爵から、ミア様の準聖女志願のお話がありまして」
「……」
「是非お会いしてみたいと思っていました」
「……」
「期待しております」
「な、なにを?」
しまった。また「はい」と「いいえ」以外のことを言ってしまった。
しかし大僧正はミアの質問には答えず、にこにこと笑顔を返すのみだった。
「ねえ、ねえ、今のなんだったの?」
大僧正の部屋を辞してすぐに、ミアはシシィとヘッダを振り返った。
「第三王子の侍女にスカウトするかもよって匂わされたとしか思えませんねぇ」
「そんな! 困る!」
「ドロテア様がお聞きになっても困惑されると思います。ミア様が王城勤めとか? 全力で避けたいですね。カレンベルク家のためにも」
「聖堂でなにか大失敗して『こいつ駄目だ使えない』って思ってもらおうか?」
「それも困ります。カレンベルク家の名を汚してはなりません。まだ何も言われていないのですから、正しくご奉仕に励んで下さい。フローラ様のためにも」
「うぐぐ」
フローラのためと言われると、評判を落とすような失敗はできない。
「そうね、まだ何も言われてないもんね。フローラのため、フローラのため、ついでにわたしの人探しのため。うん、落ち着こう、落ち着いた」
「落ち着きました? じゃあ我々は帰るので~」
「ええっそんな」
不安なミアを残して、メイドたちはさっさと行ってしまった。
廊下の先に案内の尼僧が待ってくれている。ミアは内心うろたえつつ、準聖女の控えの間に向かった。
準聖女控えの間は、廊下の続きのような石肌の質素な部屋だった。装飾のない清浄な雰囲気の部屋なのだが、空気はあまり清浄ではない。白粉と香水の匂いがきつい。
「こちら、今日から準聖女見習いとしてご奉仕される、ミア・カレンベルク様でいらっしゃいます。みなさま、よろしくご指導してさしあげてくださいね」
「ミア・カレンベルクです。よろしくお願いいたします」
冒険者として別パーティーと仕事する場合ならば、名乗った後に軽口の一つも言うところだ。
しかしここは全くそんな雰囲気ではない。
十代後半の気位の高そうな少女たちが、真顔でミアの頭のてっぺんからつま先まで眺めまわしてくる。
(新参者をそんなにじろじろ見るの、お茶会じゃ無作法って言われない?)
ドロテアに参加させられる貴族のお茶会は、居心地がいいとは言えないものの、あからさまに無作法な態度をとる参加者はいない。なのにここの女の子たちときたら。
しかもこの化粧臭さはなんだろう。少女たちの化粧の濃さ、聖堂では場違いではないだろうか……。
以前ドロテアが言ったことを思い出す。「準聖女は、資産家や下級貴族や訳ありの令嬢が、名家の令息と知り合うためになりたがるもの」。
準聖女たちの気合の入った化粧を見ると、どうやらそれは本当らしい。
服装は聖堂が支給するワンピース型の地味な僧服に決められているが、それがなかったらキラキラドレスで競い合ってえらいことになりそうだ。
「ミア様の僧服はそちらの棚に準備してございます。僭越ながらわたくしがお着替えのお手伝いを……」
「いえっ、わたしひとりでできますから」
「さようでございますか? では何か雑務のご用命がございましたらわたくしに。おつとめの疑問点などは、準聖女頭のヤスミン様にご相談くださいませ」
案内係の尼僧はそう言うと、一人の少女に視線を向けた。
褐色の髪を肩の下で切り揃えた少女が、厳しい目でミアを見ている。この中で化粧っ気がないのは彼女だけだ。彼女がここのリーダーらしい。
「よろしくお願いいたします、ヤスミン様」
ミアはむすっとしたヤスミンに向けて、精一杯の社交スマイルを浮かべた。
「……」
ヤスミンがふいっと目をそらす。無言だ。
(無視かーい!)
少し傷ついたミアだったが、こういうことは屋敷内でもまれにある。意地悪まではされないが、ミアの生まれ育ちが気に入らない使用人もいないことはないのだ。
案内の尼僧が出て行ったあと、ミアは僧服を取りに壁にしつらえられた棚に向かった。
服を手に取ると、ズザザザーッとなにかが流れ落ちる。
砂だ。
ミアの靴が砂で白くなっている。
くす、くす、と、あちこちで笑い声がこぼれるのが聞こえた。「お似合い」「冒険者の子でしょ」「令嬢ぶって」などと、わざと聞かせるようなささやきもだ。さすがに「賤民」という言葉が聞こえたときは振り返ってぶん殴ってやろうかと思ったが、フローラの顔を思い浮かべてミアはぐっとこらえた。
(あーあーあーこういうのひさしぶりだなっ。最初はお祭りの露店だったよね。あのときは凄く悲しかったけど、ディーのおかげで気分が変わったよね)
でも今、ディーはいない。
いないけれど大丈夫だ。今この場に味方はいなくても、アンネリーゼ以外のカレンベルク家の面々と、シシィとヘッダと騎士団のみんなは、ミアの王都での味方だ。彼らが今ここにいたら、きっと自分と一緒に怒ってくれる。
ミアはばっと勢いをつけて振り返った。
嗜虐の楽しみに歪んだ顔がいくつも目に映る。品がないなと思った。
心が下品な少女たちの合間をすり抜けて、ミアは僧服を手にドアへ向かった。
ドアを開いて廊下へ叫ぶ。
「すみませーん! 僧服のことでちょっと」
案内係の尼僧は近くに控えていたのか、すぐに駆けつけてきた。
「どうされましたか?」
「僧服がなぜか砂だらけで。着用に問題はありませんが、怪我人に包帯を巻いたりするのがお仕事でしょう? 衛生的にどうかと思いまして」
「まあ……。取り替えますね」
案内係はちらりと部屋の奥を見たが、怯えたように目を伏せて急ぎ足で去ってしまった。
(準聖女は富豪か下級貴族のご令嬢、案内係の尼僧はおそらく標準的な王都民。身分は準聖女が上で逆らえないってことね。あーはいはい)
急ぎ足で戻ってきた案内係から新しい僧服を受け取ると、ミアは室内に向き直った。
「着替える場所はありますか?」
「ないわよ」
誰かが言って、そのほかがくすくす笑う。
嘘つけ、あるんだろと思いつつ、それならそれで構わない、むしろ都合がいいとミアは考えた。
「ではこちらで着替えますね」
ミアはおもむろに着てきたドレスを脱ぎ捨てた。スカートを膨らませるパニエも脱ぎ捨て、胴衣も脱ぎ捨て、丈の短いシュミーズいっちょになる。二の腕とふくらはぎが剥き出しだ。
誰かがひゅっと息を呑む音が聞こえた。
ミアの下着姿は女性が見ても色っぽいから、ではないだろう。当然だ。
ミアは右手を握り込み、見せつけるように腕の筋肉を盛り上げると、さっき聞こえた「賤民」の声の主を想像して、空中に一発拳を放った。
静まり返った場に、ブンッとキレのいい空気の音が鳴る。
「わたし、脱いだらすごいんですよ」
おまえらなんか一発で天国へ送れるからな!




