18・お忍び帰省旅行
その後もミアは公爵家で踏ん張り続け、聖女覚醒期限の十六歳まであと一年と少しを残すのみとなった。
カレンベルク公爵家にやってきて間もない十歳の頃、当時十五歳のアンネリーゼに「封印・解除の力が覚醒したら、フローラの聖女の力を封じろ」と命じられ、「逆らったり、公爵かドロテアに告げ口したりすれば、生まれ故郷の村に害をなす」と脅された。しかし結局フローラは聖女の力を覚醒させなかった。
命令は無効になったわけだ。
アンネリーゼは、聖女にならないフローラに興味をなくしたらしかった。
脅された当初、ミアは誰にも言えず思い悩んでいた。食事ものどを通らないでいたら、公爵が心配してガウを屋敷に招いてくれた。ホームシックだと思われたようだ。
公爵かドロテアに言うなとアンネリーゼに脅されていたものの、ガウに言うなとは言われていなかったので、ミアはガウに相談した。
ガウはこう言った。
「封じりゃいいじゃねえか。あとで解除すれば」
目からウロコだった。
そうだった。古代の聖女は魔力や聖なる力の封印ができるが、封印解除もできるのだった。肩から力がどっと抜けた。
ガウは村をクソ領主の好きにさせないよう、王都の大臣に頼んでみるとも言っていた。以前ディーの提案で大臣に意見書を送ったおかげで、ある大臣がクソ領主の専横に目を光らせてくれるようになったとか。クソ領主ことヴァッサー伯爵は、王都の大臣に目をつけられている悪い領主らしい。
「世の中そう簡単に十五の小娘の好きなようにはならんよ」
数々の修羅場をくぐり抜けてきた老人の言葉に、ミアはほっとして食欲を取り戻したのだった。
そしてミアはもうすぐあのときのアンネリーゼと同じ十五歳だ。
聖女になる予兆は訪れない。
聖女の覚醒時期のピークは十二歳、十五歳で覚醒した者は、記録上でもほんの数人だそうだ。
フローラが聖女にならなかったくらいなのだから、自分もならないと予想している。アンネリーゼもそう思っているのか、屋敷内でたまに行き会っても、使用価値のない人間はゴミも同然とばかりに目も合わせてこない。
長女ドロテアがアウレールと無事に結婚したから、そろそろ次女アンネリーゼの番でいいのだが、先ごろ身罷った王太后の喪を理由にまだ嫁がずにカレンベルク家にいる。
貴族の間では、アンネリーゼは第一王子ではなく第二王子と結婚したがっていると噂が立っているらしい。
そんなこと、ミアにとってはどうでもいいことだった。
聖女の覚醒期限である十六歳になったら、キュプカ村に帰るのだから。
村に戻る下準備として、年に数回キュプカ村に帰省している。ヘッダとシシィと護衛の騎士を連れての楽しいお忍び旅行だ。
「ねぇねぇシシィ、今日のお夕飯なんだと思う? ロンヌ地方特産ワニガモのロースト、笹茸ソース添え~!」
ミアは喜び勇んでメイドたちのいる宿屋の部屋に駆け込んだ。
「わっすごいじゃないですかぁ。笹茸、もうそんな季節なんですねぇ。香りが良くて大好き」
「どうして夕食の献立をご存知なのです……?」
「さっき厨房で聞いてきたから~」
「貴族の令嬢ともあろうお方が、宿の厨房に出入りなさってはいけません」
「いいじゃんお忍びなんだし」
「そのお言葉づかい!」
「ああごめん、狩りモードが抜けなくてつい」
ミアはキュプカ村に帰省すると、ガウとエリンとクリンのパーティーに参加して魔物狩りをするのだ。別のパーティーと合同の狩りも行くし、そんな場で令嬢ぶっていたら浮いてしまう。
「もう王都はすぐそこなのですよ。いつまでも気楽な旅行気分ではいけません。慎みを思い出してください」
「ヘッダは厳しいな~。だんだんお姉様に似てくるね」
「厳しくするよう仰せつかっておりますので」
「デザートはなにかしらぁ」
「デザートは春桃のカスタードタルトだって、シシィ」
「……シシィ、あなたも同調してどうするのです」
「今ごくっとなったでしょ。ヘッダの好物だもんねぇ、春桃もカスタードも」
「なっていません! 私はそんな!」
「なったなった」
メイドとは別に下級貴族の侍女を持てとのドロテアの提案をミアは断っている。ミアは自身を貴族だと、ましてや上流貴族だなどと思っていない。あと一年ちょっとしたらキュプカ村に帰る身だ。
村のおねえさんたちとノリが近いシシィと、ミニドロテアみたいなヘッダとの三人組がいい具合に楽しくて、ミアが村に帰ってもたまに遊びに来てほしいと思っていた。ミアが王都を訪れることがあったら会ってほしいとも。
シシィとヘッダは遊びに来てくれるだろうし、王都で会ってもくれるだろう。しかし大貴族である父親と、ドロテアとアウレール、そしてフローラとは、住む世界が変わったらそれっきりになってしまうかもしれない。
そう考えるとさみしくて、王都に戻ることがあと何回あるだろうかと、数えて悲しくなってしまう日もあった。
アンネリーゼを除けば、公爵家は思ったより悪くなかった。
学ぶべきことは一通り学べた。
今のところミアの王都での心残りは、家族のことを除けばディーを見つけられないことだけだ。
*****
ハルツェンバイン国第一王子ディートハルトは二十歳になっていた。
王都を抜け出した十五の春からもうすぐ五年経つ。
地方へ視察に出向く途中、宿場街の四つ辻に立ち、ディートハルトは北の地へ思いを馳せた。
目の前の道を北へ向かえばキュプカ村だ。
十五歳の半年間を過ごした国境の村。
みんな元気にしているだろうか。
ガウ、エリンとクリン、そして小さなミア。
僻地の村の小さな子供が豊かに暮らせる国を目指して、ディートハルトは奮闘している。しかし、王都の貴族たちの目を地方に向けさせるのは至難の業で、無力感に打ちのめされる日々だ。
地方の現状を知るため自ら視察の旅に出ているが、王都を留守にしがちな自分に王の資質を疑う貴族も多い。
(だから弟が王位につけばいいんだけどな)
聖女の婚約者も誰かが引き取ってほしい。
王太后の喪中を理由に結婚の儀を先伸ばしにしているが、延期もそろそろ限界だ。
あの気位の高い婚約者を愛せる気がまるでしない。聖女の力は強いらしいが、聖堂での奉仕はおざなりで、病や怪我の治療も貴族にしか施そうとしない。
貴族の奥方の肌荒れを治すよりは、魔物に襲われ重傷を負った民の治療に当たってほしい。昔そう願い出たこともあったが、婚約者の返事は冷淡なものだった。
――わたくしに平民に触れろと?
耳を疑うような返答だった。
ああ、触れろ。そして救え。ディートハルトはそう言い返した気がするが、怒りのあまりよく覚えていない。
以前は義理を感じながらも贈り物や手紙を送ったが、もうそれすらしていない。家臣が勝手にやっているようだが、そんなことは婚約者だって見抜いているだろう。
(このまま視察先から帰りたくないな)
二度目の出奔をしてやろうか。
そんなことをちらりと考えつつ後ろを振り返れば、近ごろ抜擢された凄腕の魔術師が目立たないように控えている。護衛の名目で付き添っているが、どちらかといえば見張りだろう。ディートハルトは逃げた前科がある身だ。
「そろそろお部屋にお戻りください」
護衛の魔術師が静かに言った。ディートハルトはこの魔術師が苦手だった。顔を隠すように伸ばした黒髪の隙間に見える、抜け目のなさそうな眼差しに息苦しさを感じる。
感情を出さないし、何を考えているのかよくわからない男だった。
あっちへ行けと言いたくなるのをこらえて、ディートハルトは「わかった」と短く返事をした。
もう一度なつかしい村へ続く道を見てから、くるりと回れ右して宿へと向かう。
煉瓦敷きの通路を歩いていると、頭上の窓から数人の若い女の声がした。
「ねぇねぇシシィ、今日のお夕飯なんだと思う? ロンヌ地方特産ワニガモのロースト、笹茸ソース添え~!」
「わっすごいじゃないですかぁ。笹茸、もうそんな季節なんですねぇ。香りが良くて大好き」
「どうして夕食の献立をご存知なのです……?」
その宿の宿泊客らしい。明るく楽しげな女たちの声だ。
ディートハルトは微笑ましく思い、歩みを緩めた。
「さっき厨房で聞いてきたから~」
「貴族の令嬢ともあろうお方が、宿の厨房に出入りなさってはいけません」
「いいじゃんお忍びなんだし」
「そのお言葉づかい!」
「ああごめん、狩りモードが抜けなくてつい」
貴族の令嬢のお忍び旅行か。狩りが趣味とは活発な令嬢だ。何を狩るのだろう。ウサギか、キツネか。
(魔物だったりして)
そんなありえないことを思ったのは、令嬢の声がミアに似ているような気がしたからだ。
「もう王都はすぐそこなのですよ。いつまでも気楽な旅行気分ではいけません。慎みを思い出してください」
「ヘッダは厳しいな~。だんだんお姉様に似てくるね」
「厳しくするよう仰せつかっておりますので」
「デザートはなにかしらぁ」
「デザートは春桃のカスタードタルトだって、シシィ」
「……シシィ、あなたも同調してどうするのです」
「今ごくっとなったでしょ。ヘッダの好物だもんねぇ、春桃もカスタードも」
「なっていません! 私はそんな!」
「なったなった」
笑い声が窓からこぼれる。
(侍女と仲がいい令嬢なんだな。楽しそうだ。聞いているこっちも楽しい)
どこの家の令嬢だろう? 興味が出てきたディートハルトだったが、自分などが興味を持ったら迷惑だろう。性格がきつくて手を焼く婚約者がいる身だ。
ディートハルトは窓から歩み去った。
もしも、もしも自由の身になれることがあったら。
こんなふうに楽しく話す女の子と所帯を持って、狩りでもしながら生きていきたい。




