第九一話「滅びの火矢が焼き尽くす」
シャムシエルからなます切りにされたベリアルは既に虫の息で、今にも滅びを迎えようとしていたものの、なおもその口端に笑みを貼り付けていた。
「やれやれだ、この僕が人間と能天使如きにここまでされるとはね」
「随分と余裕じゃねぇか、ベリアル。いよいよ観念したか?」
メタトロン様とサンダルフォン様がその巨大な剣と斧を突きつけても、ベリアルは気分の悪くなるような含み笑いをしていた。
「いやぁ、降参だよ。さあ、僕を殺すと良い。それでお前たちの日常はすべて元通りだ」
「………………」
明らかにおかしい。コイツは何かを隠している。
殺されれば神の御許へ送られ、我らが主の管理下に入ってしまうというのに、何か奥の手があるのか?
……いや、そもそも殺されてもどうにかなる手段がある? それは、もしかして――
「約束の地におわす主の御名において真実を語りますようお願いいたします。ベリアル、貴方は〈輪廻転生〉の魔術を使いましたね?」
「……ああ、そうだよ。チッ、魔術の知識にも長けているのか、この聖女様は」
ベリアルは忌々しそうに私を睨め付けた。ここに居る天使だけなら知らなかったかもだけど、生憎と私は一人前の魔術師と認められた者だ。その魔術の理論自体ならば知っている。
「リーファ、〈輪廻転生〉とは何だ?」
「魂を現世に縛り付け、その肉体が滅びてもいずれ別の知的生命体の肉体に魂を移す究極の魔術です。理論が構築されたのはベリアルが封印されていた間の数百年前で、実現した例は確認されていませんが、彼の言う通りならばその魔術を行使しているのでしょう。……何処でその魔術を完成させたのですか?」
「封印中だよ。暇だったものでね」
情報が限られている封印中に成し遂げるとは。まさか実現出来る者が居るとは思わなかったけれども、ベリアルくらいの存在ならば納得出来る。
「……なるほど、理解しました。ですが、貴方を現世へと舞い戻らせる訳には参りません」
「はっ、口では何とでも言えるがな。もう魔術は完成しているんだよ、聖女リーファ。どう足掻こうが僕は神の下へは送られない。いずれ復活し、再びこの世を混乱に陥れるために暗躍してやるさ」
あくまで余裕を崩さず、高笑いを上げるベリアル。
だけど、彼は一つ忘れていることがある。
「どうする、リーファ。ここで殺すのは容易いが……」
「いえ、止めはわたくしが刺します。ありがとうございます、シャムシエル」
「しかしリーファよ、このままだと再び現世に戻ってくるんじゃないのか? だったら、封印か幽閉でもしておいた方が……」
メタトロン様の心配もごもっともなんですけれどもね。私は生憎と、神の奇跡を使える存在なのです。
それに、シャラの仇だ。このままのうのうと生かしておく訳にはいかない。
「主よ、堕落した者たちへ正義の鉄槌を与え給え――」
「何をやろうが、再び舞い戻ってみせるさ、僕は――」
「〈滅びの火矢〉」
奇跡が完成すると共に、私の眼前に、ぽうっと蒼く光る火矢が現れた。
その火矢はゆっくりとベリアルの胸へと吸い込まれるように落ち、やがて浸食するようにベリアルの身体を燃やし始めた。
「な、なんだ、この炎は? 魂が焼ける……!」
ここに至り、ようやくベリアルの余裕の態度が崩れ始め、炎を消そうと慌て始める。
けれども、神の怒りの炎は消えない。お前の汚れた魂ごと燃やし尽くすんだよ、ベリアル。
「その昔、堕落した都市を滅ぼした神の火矢です。そこに住んでいた者たちの魂は汚れきっていたため、神の御許へと送られることはありませんでした」
私は「何故なら」と続ける。
「その炎は、矢が撃ち込まれた対象すべてを焼き尽くすのです。それは魂すら例外ではありません」
「止めろ! おい、この炎を消せ! ああ、熱っ……!」
炎が口まで届いた所為か、のた打つベリアルの言葉が途中で途切れる。一人の大悪魔が燃え盛るという凄惨な光景であるものの、蒼い炎はあくまでベリアルだけを燃やし、聖堂には延焼しない。
私たちは、ベリアルの燃え滓すら残らないまで、その光景を眺めていたのだった。
「そうか、シャラは逝ってしまったか……。すまない、俺たちが遅れたばかりに」
「……いえ、メタトロン様の所為ではありません。むしろ予定よりも急いでくださり助かりました。あの時逃がしていれば取り返しのつかないことになっていたでしょう」
空に逃げられては私では追うことが出来ない。メタトロン様は丁度良いタイミングで来てくれたと言える。サマエルさんが弓で狙っていただろうけれども、空中で追い落とすのは難しいだろう。
「終わった?」
サマエルさんと、サマエルさんを呼びに行ってくれたサンダルフォン様が、穴の空いたステンドグラスの向こう側から現れた。各一二枚の白い翼と黒い翼が対比となり、天から差す光に照らされてなんとも幻想的な光景だ。
「サマエルさん……。はい、終わりました。ベリアルは魂ごと滅ぼしました」
「相変わらず規格外の力だな、リーファちゃん……。……シャラちゃんは?」
「………………」
私は無言でかぶりを振った。それで察してくれたのだろう、サマエルさんは「そっか」と短く答えた。その表情は何とも言えない憂いを孕んでいた。
一息吐いたところで、私は懐へ大事に仕舞っていた種を取り出した。親指大の種ということは、これは普通に畑へ植えるものではなく、樹が生ると考えていいだろう。植える場所を決めてあげないとな。
「リーファ、それは何だ?」
「これは、シャラが遺してくれた種です。彼女は村を見守ることが出来る場所に埋めて欲しいと言っていました」
「……そうか。村に尽力してくれた彼女のことだ。そうしてあげられたら本望だろう」
短い間だけど家族として一緒に過ごしたシャムシエルも、思うところがあるのだろう。私に背を向けて天を仰いだ。きっと涙を堪えているんだな。
こうして大混乱を招いた大悪魔を滅ぼした私たちだったけれども、大切な女神様を犠牲にしてしまったことで、複雑な想いを胸中に王都を去ることになったのだった。
私は、彼女が架けられていた十字架を見つめ、思う。もっと早くシャラの元へ辿り着いていれば、結果は変わっていたのだろうか? いや、そもそもカナフェル大司教猊下が操られている可能性を考えていれば、こんな悲劇は起こらなかったのではないか?
「……もしも、などと考えても仕方ないのですよね。わたくしも、もっと成長しないと」
この命を救ってくれた、シャラの為にも。
◆ひとことふたことみこと
キリスト教には輪廻転生の考え方はありません。主にこの考え方はヒンドゥー教と仏教ですね。
ユダヤ教にはギルガルという輪廻転生の考え方があるようです。
聖書の中で、ソドムとゴモラという堕落した都市が登場します。
これらの都市はあまりに汚れていたため、神の火矢で滅ぼされてしまったのです。
アバドンは作中で既に消滅してしまった悪魔の名前ですね。
元々は天使で奈落の番人でもあり、実は黙示録の獣を1000年幽閉したのがアバドンです。
前述している通り、名前の意味は「破壊」です。
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これで物語はいったん終了。
次話は本章のエピローグになります!
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次回は明日21時半頃に更新予定です!