第九〇話「私は怒っているんだ!」
「別れは済んだかな、聖女よ」
ベリアルの全身から煙が立ち上っている。恐らくサマエルさんの毒にやられているのだろう。見た目余裕そうではあるけれども、かなり弱っていると見える。シャラを看取っている間に攻撃出来なかったのは、先程の槍に力の多くを費やしたからだろう。
「なに、すぐに貴様も神の御許へ送ってやろう。まぁ、異端だったシャラが同じ場所へ逝けたかどうかは分からないけどね」
左の瞳で余裕の表情を見せているベリアル。
その表情を崩してやる。
「黙りなさい、二番目」
「……なんだと?」
私の言葉が聞き捨てならなかったのか、ベリアルの表情は凍り付いた。
「ルシファー様に及びもつかない二番目が、虚勢を張るなと言っているのです」
みるみるうちに美しい天使の顔が、憎しみに彩られて醜く歪んでいく。やはりこの言葉は何よりも効果的だったらしいね。
「貴様……、人間の分際でこの僕を愚弄したな? 楽には死なせてやらんぞ!」
「二番目風情が、やってみなさい! 主よ、万軍の神よ、救い給え、〈神の恩寵〉!」
まずは先手、〈神の恩寵〉で身体へのダメージを無効化する。これでどんな攻撃が来ようが持ちこたえられる。
「何をしたのかは分からないが、その身体に風穴を空けてやる! 〈苦痛の弾丸〉!」
ベリアルが伸ばした手から、光の弾が真っ直ぐ私の右太腿を狙い、そして直撃する。流石は大悪魔だ、大魔術すら詠唱無しで放つとは。
でも、こんな衝撃、耐えてみせる。
今の私は怒っているのだ。
「耐えた……? 防御の奇跡かッ!」
ベリアルが舌打ちをして、今度は近づいてくる。衝撃自体は有効と気づいたのだろう、近接戦で圧倒するつもりか。だけど、そうはさせるか!
「主よ、許しを請う者に慈悲を与え給え、〈壁〉!」
「げぶっ!?」
私に向かって渾身の拳を叩き込もうとしたベリアルの顔が、見えない壁にぶつかってなんとも無様な声を上げた。奇跡で造られた〈壁〉は、いかな大悪魔と言えど破ることは出来ないだろう。
「このッ! ならばこうだッ! 煙に塗れて窒息しろ! 恨みの炎よ、この聖堂ごと燃やしてしまえ!」
何の魔術を展開するのかは分からないけど、火事を起こして私を無力化するつもりか!
でもその程度も予想済みだ!
「〈神域〉!」
「〈地獄の業炎〉――なに!?」
私は丁度ベリアルの魔術が展開されるタイミングで、魔力の術式を許さない結界を造る〈神域〉の神術を展開した。大魔術が単純な方法で防がれてしまったベリアルの表情が驚愕に歪む。こんな神術はベリアルの膨大な魔力で容易く破られるかも知れないけど、一度だけ防げればいいのだ。
そして近づいて隙を見せてくれたこの機会こそ、私が望んでいたものだ。
「主よ、私に悪を討ち滅ぼす聖者の槍を与え給え! 〈竜殺しの槍〉!」
先程シャラを貫いたものとは比べものにもならないほど太い光の槍が、眼前に翳した私の手から生まれ、隙だらけのベリアルの胸を貫いた。槍は勢いを殺さず、大悪魔は胸に槍を生やしたまま吹き飛ばされる。
「ぐぅ……っ!?」
でも、これで終わりではない。この悪魔は、徹底的に滅ぼさねばならない。
何しろ私は怒っているのだ!
「主よ、どうかそのお力で、正しき怒りを示し給え! 〈怒り〉!」
「ぐふっ!?」
神の怒りを、放物線を描いていたベリアルの頭上から撃ち付ける。見えない衝撃は彼の身体を床へと強く叩きつけた。派手な音を立て、大悪魔は床にめり込む。
「く……そ、貴様、いつか必ず滅ぼしてやる! それまで待っていろ!」
ベリアルは偽の天使の翼から魔力を放出させると、先程サマエルさんが空けたステンドグラスの穴に向かって一直線に飛び立った、逃げる気か!
が、穴から出たところで何かに跳ね返されたかのように、再び聖堂内へと飛び込んできた。そしていつもは信徒の方々が座っている席の中に突っ込む。既に全員カナフェル大司教猊下と共に避難しているので、人的被害は無い。
「おいおい、何処へ行こうってんだ? 貴様はここで滅びるんだよ、ベリアル」
そう言って穴から入ってきたのは、一二枚の光り輝く翼を持つ、私もよく知っている褐色肌の巨漢の天使。……だけでなくもう一人、もう一回り大きな体躯を持つ男性の天使も居た。巨漢の天使が二人とか凄い絵面だ。
「メタトロン様!」
「おう、リーファ、遅くなって済まない。あ、こっちは弟のサンダルフォンだ。よろしくな」
「………………」
メタトロン様とよく似た顔のサンダルフォン様は何を言うこともなく私に対して軽く頭を下げて見せただけで、再び油断なくベリアルの方を睨み付けた。私も慌ててそちらを向く。
「く……くくく…………、奇跡を使う女に御前の天使の筆頭が二人? 何の冗談だ、おい」
這い上がったベリアルは、その表情にようやく絶望の色を見せた。
「ベリアル、貴様の悪行もここまでだ。大人しくしていれば楽に死なせてやるぞ」
「冗談を言え、成り上がりのメタトロン。僕は逃げ延び、いつか貴様等への復讐を成し遂げて見せる。だから――」
と、ベリアルの言葉が終わらないうちに聖堂の玄関が開け放たれ、一人の天使が入ってくる。
マズい、よく見えないけれど、もしかして操られている天使か? だとしたら逃亡に手を貸してしまう恐れがある!
「おい! そこの天使! ベリアルの名において命ずる! 僕が逃げるまで時間稼ぎをしろ!」
「…………ベリアル。そうか、貴様が」
ん? この声は……?
天使は鞘から剣を抜き、ゆっくりとベリアルに向かって歩みを進め始める。
「おい、何をしている? おい――」
ベリアルはようやくその天使が自分の傀儡でないことに気づいたのか、へたり込んだまま後ずさる。
「貴様には世話になったからな、ベリアルよ。ここで〈隠された剣〉の錆にしてくれよう」
ようやく見えたシャムシエルの顔には、凄味のある笑みが浮かんでいた。
◆ひとことふたことみこと
リーファちゃんガチギレです、無理もありませんが。
アスカロンは聖ゲオルギウスという聖人が、悪しき毒竜を倒す為に振るった槍です(槍ではなく剣となっているお話もあります)。
聖ゲオルギウスは毒竜に困っていた国に「俺が倒しに行く」と言って向かったのですが、毒竜に首輪を付けて戻ってきました。
そして彼は「キリスト教に改宗するなら竜を殺してやるぞ」とその国の王様を脅したのです。聖人とは……(笑)
サンダルフォンはメタトロンの弟で、御前の天使です。
メタトロンと同じく、聖書ではなく聖典、タルムードに登場します。
メタトロンもとんでもない大きさを持つ天使なのですが、サンダルフォンは人間が500年歩いてもまだ到達出来ないほどにデカい天使らしいです。マジパネェ。
名前の意味は「兄弟」。赤ちゃんの性別を決める役目を持った天使なのですよ。
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次回は明日21時半頃に更新予定です!