第八八話「呪いの槍は、絶望という形を成して貫いた」
そして大聖堂に辿り着いた私の瞳に飛び込んできた光景は、信じたくは無いものだった。
「シャラ!」
「リ……ファ……ちゃん…………」
シャラは息も絶え絶えと言った様子で私の声に応えるも、動けないで居る。
何しろ、祭壇の前で十字架にかけられ、カナフェル大司教猊下とハロムさんに身体のあちこちを斬り刻まれているのだ。いくら丈夫な女神様だと言っても、あの様子では無事という訳にはいかない。
「お止め下さい、カナフェル大司教猊下、ハロムさん! 主よ、憐れな贖罪の羊を――」
「見なさい、神の信徒たちよ。あそこに居るのは神の怨敵。神の力を用い偽の奇跡を行使する邪悪な悪魔で、この神を騙る異端の存在の仲間です」
血に塗れたサーベルを手にした猊下が、私の方を見て嘯く。大聖堂で猊下の蛮行に戸惑っていた信徒の方々の視線が、一斉に私へと注がれる。猊下とハロムさんの魔力片を取り除こうと奇跡を使おうとしたけれども、この状況はマズい。いくら私が有名となった聖女とは言え、ここで奇跡を行使すれば、猊下の言葉を信じた信徒に取り押さえられてしまうだろう。
拝廊から外に出るにも、信徒の方々が大勢居る中で逃げ出そうものなら、悪魔であることを認めたことになり、外へ出る前に捕らえられるだろう。
「良い様だな、聖女リーファよ」
頭上から聞こえた声に、私はハッとその方向を向く。
そこには私が初めて対峙した時と同じ天使の姿をしたベリアルが、教会の天井近くに悠然と佇んでいた。
「ベリアル……! 貴方はなんということを!」
「ふっ、いいぞ、その表情。神に仕える聖女が何も出来ず憎悪の表情を向ける。なんと甘美なことか」
いや、別に神に仕えている訳ではないんだけれども。それでも神の力をお借りしている私はこの悪魔にとって疎ましい存在なのだろう。
それにしても教会の最奥の天井近くから美しい天使の姿で見下ろしているのだから、信徒にとっては神々しく見えるのだろうな。何人かは涙を流しながら手を組んでベリアルを見つめている。
「さて、遊びは終わりだ。さあ神の僕たちよ、そこな神の怨敵を捕らえ、そこの異端と同じように――」
ベリアルの言葉はそこで切れた。
教会のステンドグラスを突き破り飛び込んできた矢が、彼の背中から心臓を正確に貫いていたのだ。
「〈聖壁〉!」
私は咄嗟に落ちてくるステンドグラスの欠片からシャラとカナフェル大司教猊下、ハロムさんを守るため、防御の神術を展開した。無詠唱で粗い造りだけれども、ガラスの欠片程度だったらこれで十分だ。
「ぐ、な……サ、サマエル……! またしても貴様か!」
心臓を貫かれたにも関わらず、憤怒を浮かべて背後を振り向いたベリアルの額に、またしても矢が突き刺さる。相変わらず正確無比な射撃だな、サマエルさん。それにしてもどうやってステンドグラスの向こう側から狙ったのやら。
さて、サマエルさんが隙を作ってくれたので私は私の仕事をしなければ。
「主よ、憐れな贖罪の羊を救い給え、――〈祝福があるように〉」
私が奇跡を展開した瞬間、大司教猊下とハロムさんの頭から煙が立ち上り、二人が苦しみ始める。その間にもまるで蜂の巣にするかのようにベリアルの身体に矢が次々と突き刺さっていき、遂に力を失った大悪魔は大きな音を立てて床に落ちた。
「ん? あれ? 私は一体……?」
「え? ……な、シャラさん!?」
奇跡により正気を取り戻した猊下とハロムさんはキョロキョロと周りを見回したものの、血塗れのシャラと自分が持つサーベルを見比べ、その顔が青ざめる。猊下が慌てる姿とか貴重だな。
「お二人はベリアルに操られていたのです。他の大教会に務めていらっしゃる方々も同じかと思いますので、ハロムさんはわたくしの前へ連れてきて頂けますか。猊下は信徒の方々の混乱を収拾させてください。その間にわたくしはシャラを解放いたします」
ベリアルはピクリとも動かないので、その内にシャラの拘束を解いた。傷は多いけどどれも致命的なほど深くは無い。逆に言うと、できるだけ苦しむように浅い傷にされていたのか。
「シャラ、遅くなって申し訳御座いません」
「リーファ……ちゃん、……来てくれる……思うてたで……」
「喋らないで。今傷を癒します。主よ、暗き葦の灯火を――ぐっ!?」
癒しの奇跡を展開しようとしたところで、強い衝撃を受けて訳も分からず私は吹き飛び、壁に叩き付けられた。胸を強く打ち呼吸が一瞬止まる。
「おいおい、僕の存在は無視か? 舐められたものだな」
犯人の予想はついていたけれども、やはりベリアルだったらしい。彼は全身から矢を生やした状態で私に向かって手を伸ばしていた。どうやら魔力弾か何かを撃ったのだろう。右目が見えていない状態なのに、私をピンポイントで狙えたのか。
「サマエルには後でじっくりと礼をするとして、まずは聖女、忌々しい貴様を殺してやる。貴様さえ居なくなれば洗脳が解けることは無いからなぁ」
「ぐっ……」
ベリアルの見込みは正しい。私さえ潰せば奇跡を行使出来る存在が居なくなり、洗脳の魔力片を消し去ることが出来なくなる。
身体を動かそうにも、先程のダメージが大きくて上手く力が入らない。その間にもベリアルは残った渾身の魔力を槍の形に変え、私を狙おうと――
「神の御許へ逝け、聖女よ」
ベリアルが振りかぶり、魔力の槍を、私の心臓を目掛け、投げる。
そして、それは間違いも無く。
横から飛び込んできたシャラの左胸を、貫いていた。
「……シャラ?」
私の口から、何とも間抜けな声が零れた。
シャラは心臓を貫かれたにも関わらず、なおも私を守るように、その場に立っていた。
が、力尽きたのだろう。
膝を折り、その場に崩れ落ちた。
◆ひとこと
サマエルは魔力を放出している天使の姿をステンドグラス越しに確認して矢を射たようです。
天使は魔力ではなく神気を出してますからね、冴えてますね。
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次回は明日21時半頃に更新予定です!