第七八話「幕間:ある傷ついた少女の話」
※前回に続き三人称視点です。
エーデルブルート王国の首都ヘルマーに存在するカナン教の大教会では、僅かばかりの寄付を対価として怪我人の治療などを行っている。
女性の大天使シャロームもその治癒術師の一人であり、この日も午前の往診から帰った後、軽く休憩を取ってから午後の診察に入るところであったのだが――
「シャロームさん、宜しいですか? 急患です」
さて昼食に手をつけようとしたところで扉をノックされ、シャロームは小さく溜息を吐いた。昼食が冷めてしまうが急患であれば仕方ないので、彼女は「どうぞ」と扉の向こうに居るであろう天使ハロムへ声を投げかけた。
「失礼します。……ああ、お昼でしたか、申し訳ない。ですが……」
「ええ、分かっています。その様子であれば診ない訳には参りませんわ」
ハロムが心底申し訳なさそうにするのを手で止め、シャロームは真剣な表情を浮かべながら急患の少女を見る。少女の年の頃は一三歳程であろう。貧しい育ちであるのか手入れのされていないぼさぼさの長い髪に、粗末な衣服、足に至っては素足である。
そして少女の右目は眉から頬の上に掛けて大きな裂傷が出来ており、当然瞳は開いておらず、左目から絶え間なく涙を流していた。
「……これは酷いですわね。治療をいたしますので、何があったのか詳しく教えて頂けますか?」
「で、でも、あたしお金持ってない……」
「今度、余裕が出来た時で構いませんわ。今は気にしないで」
シャロームは清潔な水とアルコールで手早く少女の顔半分の消毒にかかる。神術で傷は治せるものの、処置を間違えると化膿したりする可能性があるからだ。
「っつぅ!」
アルコールが染みるのであろう、少女が苦痛に顔を歪ませたが、背後のハロムがしっかりと肩を押さえているために逃げ出すことは叶わない。
「ごめんなさい、染みるでしょうけれども我慢してくださいまし。傷口が膿まないように必要な処置ですの。……それで、一体何がありましたの?」
「……四番街の裏路地で、強盗に遭ったんだ」
少女はぐすっと鼻を鳴らし、至極単純な理由を語った。
王都ヘルマーの四番街と言えば、少女のようにあまり裕福で無い民が暮らしている地域であり、治安も悪く国王も頭を悩ませている。
「そうだったのですね、ハロムさん、騎士団には連絡を?」
「巡回中の騎士団に見つけてくださったそうです。残念ながら犯人の姿は無かったそうですので、処置が終わり次第騎士団をお呼びしますよ」
「お願いします。聖霊よ、少女の傷を癒しなさい、〈治癒〉」
消毒が終わったので、シャロームは神術での治療に取り掛かる。彼女はカナフェル大司教からもお墨付きを貰っているほどの優秀な治癒術師であり、少女の傷も問題無く治ると確信しているものの、視力について戻るかは賭けだな、と考えていた。
「……どうしました? 痛みますか?」
神術を展開したところで、少女の顔が苦痛に歪んでいることに気づき、シャロームは術を続けながら問う。
「いえ、……ちょっと、気持ち悪くて」
「ああ、その傷ですと骨まで達していますからね。気分が悪くなるのも仕方ありませんわ。もう少ししたら楽になりますわ」
「はい……」
少女は唇を噛みながら、何かに必死で耐えているような、そんな表情を見せたのだった。
「ふぅ、処置はこれで一旦終了ですね」
「お疲れ様でした、シャロームさん。では、私は騎士団を呼びに行ってきます」
「はい、お願いします」
少女の右目を覆うように包帯でぐるぐる巻きにした後、シャロームはようやく安堵の溜息を吐いた。
「ありがとう……ございます……」
「泣かないでくださいまし、包帯が濡れてしまいます。……神の愛はいつだって貴女たちに平等ですわよ」
左目から涙を流しながらシャロームに深々と頭を下げた少女の頭を、大天使はにっこりと微笑みながら撫でた。
処置も終わったところで別室に案内しようと立ち上がりかけたシャロームに、何やら思い詰めた表情の少女が「あの」と声を掛ける。
「お願いがあるんです」
「はい?」
濡れた左の瞳で、少女はシャロームを真っ直ぐ見つめる。
「あたしをこの教会で働かせて貰えませんか?」
「……それはシスターになりたいということですの?」
シャロームの質問に、左側だけの真剣な表情で少女は頷いた。すでに覚悟は出来ている、という意思を感じ、大天使は脳内で人員配置などに熟考する。
「貴女、ご両親は?」
「両親も居ないし、家もありません、だいぶ前から……」
「……そうなんですの、ごめんなさい」
物価がそれなりに高い王都で、それはかなり大変な思いをしていたのだろう、とシャロームは考える。いよいよお金も尽きそうなところで強盗に遭うとは、泣きっ面に蜂もいいところである。
「貴女、お名前は?」
「ミヒャエラです」
「あら、いい名前ですわね。ご両親はうちのミカエル様から名前を取ったのかしら」
カナン神国の天使で、御前の天使を除く階級では最も上位に位置する熾天使、その筆頭であるミカエルを思い浮かべ、シャロームは少し顔を綻ばせる。
ということは、この少女の両親はそれなりに敬虔なカナン教徒であり、その教育を受けた少女もシスターになれる素質は十分にあるということである。
「分かりました、認めましょう。担当の者と話して参りますので、その間にそこにある食事を取っていて良いですわ。冷めていて申し訳御座いませんけれども」
「え、そんな、悪いです……」
「これからは一緒に食べるのですもの。気にしないで。では」
シャロームがさっさと扉を閉めて出て行き、ミヒャエラだけが部屋に残される。
少女は、ふぅ、と溜息を吐き、食事を取ることもなく包帯で覆われた右目にそっと触れた。
「サマエルめ……、この右目の借りは必ず返すぞ……」
少女らしき何者かはその表情に憤怒を浮かべ、傷をつけた悪魔を思い歯軋りをしたのだった。
◆ひとことふたこと
大天使シャロームはリーファちゃんの骨折やら『獣』にやられた傷やらを治した方です。
骨折もあっという間に治せるくらいに優秀なんですよ。
シャロームはヘブライ語で「平和」とか「平安」ですが、普通に「こんにちは」「さようなら」という意味でも使われます。
「あなたに平和がありますように」という形で使われているのですね。
最も有名な天使であろう、ミカエルの名前が出てきましたね。
旧約聖書にも登場し、階級は熾天使で、彼自身を崇める人たちも多かったとか。スゴイ。
ミヒャエラだけでなく、マイケルやミッシェル、ミカエラなど、世界各地で彼の名前を持つ人物は多くいらっしゃるくらいですからね。
ミカエルの意味はヘブライ語で「誰が神のようであろうか」「神に似たる者は誰か」とかそんな意味です。
ちなみに旧約聖書の外典ではミカエルとサマエルが戦っています。
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次回からリーファちゃんの視点に戻ります。
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次回は明日21時半頃に更新予定です!