第七六話「幕間:シャムシエルの孤独な戦い 中編」
※前回に続き三人称視点です。
「……う…………?」
脚に感じられる日差しの暖かさに、シャムシエルはゆっくりと瞼を開いた。
「気が付かれましたか?」
シャムシエルの耳に鈴が鳴るような乙女の声が響く。彼女は毒のせいで安定しない視界が落ち着くまで少し待つと、左の翼に傷を負っているためか左向きで寝かせられていることに気付いた。そして彼女の正面には、それなりの身分であろうことが分かる人間の少女が、椅子に腰かけ座っている。
「……クラウディア様、ですか?」
その少女は、シャムシエルが助けにきた侯爵令嬢のクラウディア・ジーベル・フォン・アルトナーその人であった。長い金髪を後ろで纏め、暖かな日差しのような微笑みを見せる彼女に、シャムシエルは「リーファの外面のようだな」という印象を受けた。
「はい。わたくしを救いに来て下さったのですよね、天使様。ありがとうございます。……ああ、無理はなさらないでくださいませ。毒がまだ効いています」
シャムシエルが身体を起こそうとすると、クラウディアと呼ばれた少女は慌てて天使の身体を支えた。
「私は……何日寝ていましたか?」
「三日です。強烈な毒で、人間でも一週間は意識が戻らないこともあるそうですが……流石に天使様は丈夫でいらっしゃいますね」
微笑むクラウディアとは対照的に、シャムシエルは頭の痛くなる思いであった。すぐにリーファを追わなければならないというのに、今から鬼人とヴァールブルクの人たちとを会わせ誤解を解き、クラウディアを解放するとなるとかなり時間が取られてしまう。彼女にとっては痛い時間のロスであった。
「クラウディア様が私を看病してくださったのですか? ありがとうございます」
「いえ、とんでもございません。わたくしを助けるために危険な場所へと飛び込んでくださった天使様のために、出来ることがあればと立候補したのです」
なんとも貴族らしからぬ貴族だ、と目の前で微笑みを浮かべる乙女を見ながらシャムシエルは思った。王が主権を持っているエーデルブルート王国では貴族の力がそれほど大きくないにせよ、これほど他人のために身を尽くす貴族というのは珍しいのである。
「クラウディア嬢、入って良いか」
部屋の外から男性の声が聞こえ、二人は思わずそちらを向く。部屋にはドアすらついていないのだが、彼の姿は見えない。土塊で出来た壁の向こうで待っているようだった。
「レト様ですか? 少々お待ちくださいませ。……シャムシエル様、そのお姿では殿方の目に毒ですわ。これを纏ってくださいまし」
「む? ……あぁ」
自分の身体を見下ろしたシャムシエルは下着姿であることに気付き、クラウディアから受け取った上着を素直に羽織った。恐らくはこの令嬢が服を脱がせてくれたのだろう、と彼女は推測した。とは言え上着には翼のための穴も空いていないため、本当に肩から羽織っただけで下着姿からあまり変わってはいない。
諦めたクラウディアが「どうぞ」と外に呼びかけると、一人の鬼人の青年が部屋へと入ってきた。シャムシエルにはその顔に見覚えがあり、「あぁ、あの時の」と思わず口にしていた。
青年はシャムシエルがやってきた時のリーダー格の鬼人であった。短く整えた髪に長い一本の角と鋭い瞳を備えた精悍な顔つき、二五〇センチはある鬼人でも大柄な身体を持ち、腰には普通の人間には持つことも困難であろう大きな片手斧がぶら下げられていた。
彼は何も言わずシャムシエルのベッドの隣に胡坐をかいた。彼の身長ではベッドで寝ている天使と話すにはこの位で丁度良いのである。
「青族の長の息子、レトだ。まずは謝罪をさせてほしい。天使シャムシエルよ、この度は我らの同胞がいきなり貴女を撃ってしまい、すまなかった。許してくれ」
レトという青年はその大きな体躯で、シャムシエルに向かって頭を下げた。
「頭を上げてくれ、レトよ。私もそれなりの覚悟は持ってきたのだ。矢の一本や二本でとやかく言わないさ」
シャムシエルの軽口に、頭を上げたレトは「寛大な心遣いに感謝する」とだけ答えた。
「私を矢で射た少女はどうなった?」
「今は謹慎処分としている。少なくても貴女がここを出るまでは外に出さないつもりではいる」
「……なるほど」
それはまた同じことをしでかす可能性があるということか、と捉えたシャムシエルは、溜息を吐いた。
「根深い問題だ。全面的に我々天使が悪いのだがな」
「まぁ、それは否定しないな。……さて、シャムシエルよ。俺は謝罪するためだけでここに来た訳ではない。分かるな?」
「ああ、分かっている」
シャムシエルはレトの言いたいことを理解していた。彼は大悪魔ベリアルについて詳細を聞くために来ているのである。
彼女は詳らかにベリアル復活から今まで起きたことを伝えた。もっとも「何故復活したか」という質問については王から口止めをされているために答えられなかったが。
「……嘘と欺瞞で人類を陥れる悪魔か……」
「天使たちでも煮え湯を飲まされている、ある意味『獣』よりも厄介な存在だ。お前たちが使節団を襲ったのも、誰か煽動した者が居たのではないか?」
「そうだな……、確かに見覚えの無い同胞が居たような気がする」
レトは渋面を浮かべ記憶を辿る。ヴァールブルクから兵がやって来た時に「奴等の侵略を許すな!」と積極的に矢を射かけていた鬼人の姿を、その後彼は見ていないのである。
「だとすれば、我々はヴァールブルクの兵へ一方的に攻撃を仕掛けてしまったことになるな」
「向こうはそう捉えているぞ」
「そうか……」
レトは片手で頭を抱え、唸った。一人の悪魔の所為でヴァールブルクとの関係が一気に悪化したのであるから、無理も無い話である。
「そう嘆くな、レト。町との橋渡しは私がしよう。だから――伏せろ!」
「きゃっ!」
途中まで言い掛けたシャムシエルが、クラウディアの肩を掴み床へと引き倒した。レトはと言うと、天使の声に従い大きな身体を伏せている。
すぐさまシャムシエルは顔を上げ、土塊の壁を見る。彼女の思った通り、そこには先日彼女を襲ったものと同じ矢が突き刺さっていた。
◆ひとことふたこと
毒を貰いましたが、実は天使とか関係なくシャムシエルは頑丈なので人間ほど苦しまずに済みました(笑)
鬼人族の平均身長は210cmのメタトロンよりも少し大きい程度です。
3メートルレベルは居ません。
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