第六三話「虚飾の天使の正体を探れ」
私が意識を失っていたのは数秒だっただろうか。すっぽりと私の懐に収まっているシャラの方はというと、こちらは瞳を閉じていた。
しかし魔力が弱々しい。あれほど魔力を注いでいたのだから当然か。神である彼女は力を失うと存在自体が危うくなるし、すぐに分け与える必要があるだろう。
「主よ、公平の神よ、恵みを施し給え、〈神の慈悲〉」
奇跡を行使し、シャラへと魔力代わりの神気を移す。この奇跡、あくまで私とシャラの間に神気授受のパスを作るだけなんだよね。だから彼女へは神の神気では無く私の神気を移していく。膨大な神気が必要になるけれど、聖女である私はこの程度なら大丈夫だ。
「ほう? 人の子が奇跡を行使しているのか。興味深いな」
突如頭上から降りかかった古代神聖語に、ハッと顔を上げる。
「てん……し……?」
そこにはこの世の何よりも美しい、とでも表現したら良いだろうか、そんな美貌と肩まである長い金髪、碧眼を持つ男性の天使が私を見下ろしていた。彼は普通の乙女であれば簡単に堕ちてしまいそうな蠱惑的な笑みを浮かべている。
……いや、何かおかしい。この天使からは神気を感じない。感じるのは魔力だ。
「……どちら様ですか?」
「ふむ、名乗るならば自分から名乗るべきではないかな、お嬢さん」
天使、いや、天使らしき何かは余裕の笑みを浮かべながら小さく肩を竦めた。正直不審者に名乗りたくなんて無いのだけれど、彼が言っていることももっともだ。
それに考えたくはないけど、彼の正体には心当たりがある。はっきりと確認しておきたい。
「わたくしはリーファと申します。もう一度あなたの名前をお伺いしてもよろしいですか? 『約束の地におわす主の御名において真実を語りますようお願いいたします』」
「……ふむ。僕はベリアルだ。しかしその一文を付け加えるとは、僕の正体に感付いていたと見える」
やっぱり、大悪魔ベリアルだったか。
ベリアルは主の御名を引き合いに出されると嘘を吐くことが出来ないとラグエル様から聞いていたので試してみたけれど、上手くいったようだ。
しかしベリアルの封印は王都より北にあった筈。何故ここに現れた?
「ああ、その表情は何故ここに現れたかと気にしているようだね。移動したのだよ、『獣』の封印内をな」
「………………」
……まぁ、先を読まれたのは良い。
けど、封印内を移動した? そんなことが出来るのか、この悪魔は。
それに何故封印されていた身で『獣』のことを知っているんだ?
「種明かしをするとこうだ。何やら最近『獣』に使われていた五つの封印のうち二つは解け、一つは消滅し、暴虐の大魔王は復活した。そんな話をそこで眠っているシャラ経由で僕は聞いていたのだよ」
「……シャラに何か仕掛けていたのは、貴方でしたか。それも封印内の経路を使ってですか?」
「そうさ、シャラは時々この空っぽの封印を使って僕へ干渉していたのさ。そして今日、僕がここまで移動を終えたところで封印を解除して貰ったというわけだ」
……神の奇跡で作られた封印内を自在に移動し、封印の外まで干渉する?
何なんだこの悪魔は。何もかもが規格外じゃないか。
しかし、そうなると私たちが想像していた、「奇跡を行使する何者かがシャラに干渉を行っていた」というのは的外れだったということか。してやられたな。
「まぁ、そう驚くことじゃないよ。僕は一番目に作られた天使だったからね、色々規格外なのさ」
「……一番目はルシファー様と伺っておりますが」
そう返すと、おや、余裕たっぷりだったその美貌がくしゃりと小さく歪んだ。どうやら触れてはいけない所だったらしい。随分とプライドが高いみたいだね、この大悪魔さんは。
「……まぁいい。それは兎も角、僕だけ封印の解除をしてくれなかったなんて悲しいじゃないか。お礼をさせて貰おうと思ってね」
そう言うと、ベリアルは偽の天使の翼をはためかせて飛び上がった。その美しい顔には、見ていて不快になるような嫌らしい笑みが貼りついている。
「何をなさるおつもりですか?」
「何もしないさ、何もしない。僕はね。ただ……」
「ただ?」
「人類の醜いところを、たくさん見て貰おうかな」
ベリアルはそう言い残すと、うっすらと茜色に染まり始めた東の空へと飛び立って行った。
◆ひとことふたこと
ミセリコルディアはラテン語です。
リーファちゃんと他者へのパスを作るだけで神の神気は与えません。
神の神気を受けすぎると聖霊化してしまったりと毒にもなるためです。
まぁシャラはそもそも神格ですが。
先に触れた「ベリアルに真実を話させる方法」がこれです(細かいことを言えば生贄も必要)。
とは言っても、これは聖書に記された内容ではなく、ゴエティアという魔導書に記載されている内容です。
ソロモン王の魔神が元ネタですね。
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次回は明日21時半頃に更新予定です!