第六二話「女神様は再び自分を見失う」
「ただいまぁ~」
「シャラおねえちゃんだ!」
いつも通りアンナに魔術や読み書きを教えていると、玄関から聞こえたシャラの声で妹が嬉しそうに立ち上がり、駆けて行った。やれやれ、すっかり懐いてしまったものだ。一番姉の座を奪われないよう気を付けないと。
「シャラ、おかえり。今日も遅くまでお疲れ様」
「ん~、リーファちゃん、おつかれさま……」
ん? 何やら本当に疲れているようだぞ? ふらふらしている。顔色も悪い。
「ちょっとちょっと、顔色悪いじゃない。熱中症にでもなった?」
「あはは、別にそういうワケやあらへんけど……、なんやちょっと疲れとるみたいやな……。先にお風呂入ってきてええか?」
「う、うん、勿論良いけど、その状態だと一人じゃ危ないから私も一緒に入るよ」
「アンナも!」
慌ててシャラを支えながらアンナと一緒に風呂場へ向かう。うーん、この調子で森まで帰ってきたのか。危ないなぁ。
その後お風呂でもぼうっとしていて危なっかしいシャラを手伝いながら、今日は夕食もそこそこに、早めに寝てもらうことにしたのだった。
「……ん?」
それはすっかり森が寝静まった夜中だった。
何かの物音に目を覚ました私は、ふと視線を動かした先にあったもう一つのベッドに、シャラの姿が無いことに気が付いた。
「んー、トイレかな?」
シャラは早めに寝てしまったのでそういうことかも知れない。
しかしそれにしても寝苦しい夏の夜だ。水の精霊を操作して涼しくしたいところだけれど、母さんに「そういう楽をしてしまうといざと言う時に身体が付いていかないわよ」と言われているので我慢だ我慢。
……しかし遅いな。もしかしてリビングに居るのかな?
「丁度良いや、寝苦しくて眠れないし、様子を見に行こう」
私は部屋を出てリビングへ向かう。少しだけ水を飲んで体の火照りを落ち着かせるか。
「……あれ?」
しかし、シャラはリビングにも居なかった。一応トイレの様子も確認するけど、気配は無い。
「……その流れを我に映せ、〈魔力探知〉」
何かの胸騒ぎを感じた私は、リビングに置かれている短杖を使って自宅近辺の魔力の流れを追った。
「……居た。シャラだな、これは。なんで森に? いや……山に向かってる?」
〈魔力探知〉により脳内に映し出された女神の膨大な魔力の点が、山の方へと動いている様子が窺える。
私は短杖を置き、急ぎ部屋に戻って自分の長杖を持ち出すと、パジャマのまま玄関から飛び出した。再び〈魔力探知〉を使ってみると、やはりシャラは山の方へと向かっているようだった。
「この方向って……サマエルさんの封印があった古代遺跡だよね……? 一体なんでそんなところに?」
って、考えていても仕方ない。追わないと。
私は急ぎ足で、シャラの向かっている古代遺跡へと向かった。
到着したその現場、かつてサマエルさんの封印されていた古代遺跡では、予想だにしない光景が広がっていた。
「シャ、シャラ……? 一体これは……?」
私は思わず上擦った声でそう尋ねたけれども、聞こえていないだろう。シャラは虚ろな瞳でサマエルさんの封印されていた古代遺物に手を翳し、彼女が持つ膨大な魔力を注ぎ込んでいるのだ。
周りには遺跡を守っていた兵士の皆さんが倒れている。どうやらこれもシャラがやったらしい。魔力が感じられるので生きてはいるだろうけど、怪我をしているかも知れない。
「……まさか、あのこびりついた魔力を剥がしただけじゃ、ダメだったのか?」
私はメタトロン様やラグエル様と一緒にシャラの封印を解いた時、彼女を異常たらしめていた魔力片を奇跡で取り除いている。
でも、彼女はこうして再び異常な行動を採っている。恐らく、既に魔力片は彼女の身体を冒していたのだろう。
「空っぽの筈の封印に対して何をしてるかは分からないけど、たぶんロクなことじゃない……。止めなきゃ……、でも、どうする?」
既にシャラと古代遺物との魔力のパスが出来ている。止めるならば、彼女を眠らせるなり何なりしないとならない。でも相手は我らが主ではないとはいえ女神だ。〈誘眠〉なんぞが効くとも思えない。
「……となると、力づく? 仕方ない、やるか」
覚悟を決めたところで、シャラがこちらを振り向いた。虚ろな瞳はそれでも私の方を真っ直ぐ見つめている。
「……天に満ちる第五元素よ……」
〈彗星〉か! でもそうはさせない!
私はシャラの詠唱が始まったところで、思い切り彼女に向けて駆けだした。
すると〈彗星〉の詠唱は止まり、シャラは手に持った双頭のメイスで私の頭を撃ち抜こうと応戦してきた。〈彗星〉は天から光の雨を降らせる魔術だ。自分を効果範囲に入れてしまったところで、肉弾戦をするしか無くなる訳である。
シャラの棍術がどれほどのものか分からないけど、大魔術をぽんぽん使える彼女と遠距離戦でやり合うつもりは無い。
「ふっ!」
大振りされるメイスを、私は長杖でいなしていく。封印への魔力注入を止めるにはシャラに気を失って貰う必要があるのだけれども、中々にその隙が見当たらない。それに私も男の身体の頃と筋力が変わっているので、鳩尾を狙ったりしているけれどそう簡単に倒れてくれない。流石に神様と言ったところか。
ならば、こうだ。
メイスが空振りしたその隙をついて、私はシャラのパジャマの襟首を掴み、背負うように投げ飛ばした。地面に叩きつけられ、彼女の口から呻き声が漏れる。ごめんよ。
すぐさま彼女を俯せに転がし、腕を捻り上げてから上体を反らさせると、背中からその首筋に手刀を叩き込んだ。意識を失ったようで、彼女はぐったりと脱力する。
「ふぅ……、なんとかなった」
倒れたシャラを見下ろして、私は大きな溜息を吐く。一体全体彼女は何をしていたのだろう。この古代遺物には既に何も無い筈なのに。
「……ん?」
なんだろう。古代遺物がだんだん……?
「マ、マズい、これ、何が封じられているか分からないけど、もう解けそうなんじゃないの? なんで!? 魔力の流れは絶った筈じゃ……!」
ふとシャラを見る。
しっかりとその瞳は開いていた。
彼女からのパスは切れてなどいなかった。あの程度で女神であるシャラが意識を失う筈などなかったのだ。
「しまった、油断してた! 〈聖壁〉!」
私はもう止めても無駄だと思い、咄嗟に私たちと古代遺物との間に神術防壁を張った。それと同時に古代遺物から猛烈な力が拡散し、私たちは防壁ごと吹き飛ばされたのだった。
◆ひとこと
リーファちゃんの手刀では気を失ってくれなかった様子。
流石は神、頑丈です。
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