第四一話「優しい悪魔のお姉さん」
お寝坊の『獣』との決戦へ出発する前日、私は城のお部屋で荷物を詰めていた。アンナも真似をして自分の荷物を可愛い鞄に詰めているけど、戦地へ連れていくつもりは無い。出発直前に教えることになるけど、泣かれちゃうだろうなぁ。
「薬……必要かなぁ? あの『獣』に攻撃を受けたらタダじゃ済まなそうだし、意味あるか分からないけど……、まぁ往復路の行程で何かあっても困るから、持っていくか」
そう、私はまだ認定式こそ終わっていないけど聖女なのだ。回復手段は多めに持っていくべきだろう。
「おーっす、リーファちゃん。昨日はサタナキア姉さんに美味しく頂かれそうになっちゃったみたいだねー!」
「……おいしく?」
「……サマエルさん、アンナの前ではやめてくださいよ……」
元気な声で要らんことを喋りながら、サマエルさんが部屋へと入ってきた。昨日の件で私は多少の恨みがあったために、半目で睨む。
「大変だったんですよ……? ああいう方だって知ってたんなら教えておいてくれても良かったじゃないですか」
「おっと、リーファちゃんが珍しく不機嫌だ」
全然反省していない様子で、ぺしん、と自分の頭を叩いてから、サマエルさんは手近の椅子を引っ張って座る。
「まぁまぁ、そんな顔しないでよ。お姉さんがめんどくさい伝令役を引き受けてあげたんだからさ。王様からリーファちゃんに伝言よ」
陛下から? 一体なんだろう。っていうか、サマエルさんがそんな雑事を引き受けてくれるなんて珍しいな。人間相手にへりくだりたくないーって普段から言ってるのに。
「まあ、内容は大したことないんだけどね。アタシたちが居た所とは別の封印場所で、王弟派の勇者と聖女が裏切ったんだってさー」
「王弟派が……やっぱりそうなったか……」
宰相の筋書きでは、最初から『獣』が手に入ることを前提として王位簒奪を画策していたんだろう。当人が死んでしまいそれは為らなかったけど、その情報が伝わらなかった彼らはご丁寧に命令通り動いてしまった、と言ったところか。
「国王派の勇者と聖女は負傷、王弟派の方は護衛の兵と王都に向かって進軍していたところを捕えられたみたい。本当は別の部隊と合流する手筈だったみたいだけど、王様が王弟派の兵を抑えていたから孤立無援になってたみたいねー」
「……人と言うのは、愚かですよねー……」
「おっ? リーファちゃんも分かってきた? 悪魔になる?」
「なりませんよ……」
しかし、他の勇者と聖女には頼れないのか。まぁ、あの『獣』に並の力が通用する筈も無いので参戦は微妙なところだけど、もし神術が使えるならば聖女の回復能力は欲しい所だったかもね。
「そう言えば、サマエルさんはもう準備終わったんですか?」
「まあねー。ま、アタシはほぼ荷物無いから」
手ぶらか、いいなぁ。いつも魔弓は何処から出しているんだろう? 謎だ。
ちなみに今回、このお姉さんは珍しく戦力として立候補してくれた。こういうのめんどくさがるタイプなのに、どういった心境の変化なのやら。
「作戦通りなら、私たちは『獣』の北側から向かうんですよね」
「そそ、で、南側が沼なのを利用して寝惚けてる『獣』を東西から攻撃して北側に追いやる。そこでリーファちゃんの出番となる訳だ」
そう、まず東西から魔術と兵器で攻撃。攻撃から逃れるために北に追い込まれた『獣』に対して、見晴らしの良い丘の上から「神の炎」を使う。その予定なのだけれども――
「そんな、上手くいくのかな……」
大砲や大魔術の威力は十分に知っているけど、あの『獣』に効くのだろうか。
勿論、昔より攻撃手段や威力が発達している。とは言え、御前の天使の筆頭や名高い魔王が勝てなかった相手だ。正直、追いやるという手は悪手なのではないかと思う。
魔術師も、兵器を運用している方も、生きている。『獣』に対して前線で戦わなければならないが、もし通用しなかったらそれは死を意味する。
そんな犠牲を生む可能性が高いやり方をすべきなんだろうか。だったら効果の高い兵力を一気投入した方が良いんじゃないのか?
「……やっぱり、奇跡を使える私が一人で向かった方が……」
そうだよ、犠牲が出ない方が良い。怖いけど、私一人が矢面に立てばいいじゃないか。
「なら、陛下にかけあって――」
「リーファちゃん」
一つの結論に達しようとしたところで、私の右手にサマエルさんの手が重なる。ハッとして彼女の顔を見ると、今までに見たことのないような真剣な表情だった。
「たかだか奇跡を使えるというだけの人の子が、思い上がっちゃいけないよ。一人で責任を負おうとしちゃダメだ」
「あ……」
サマエルさんの瞳は、私の心を見透かしていた。遥か昔に御前の天使であった彼女のその言葉は、私にとってとても重いものだった。
「キミ一人に任せるような人間たちを、救っちゃいけない」
「でも、私は聖女で……」
「リーファちゃんは聖女である前に、人間なんだ」
その言葉に、意識せずぴくりとわたしの肩が震える。
「たとえ神の力を使えるからと言っても、所詮キミはちっぽけな人間なんだ。一人で出来ることなんてたかが知れているんだよ」
サマエルさんは立ち上がり、そしてポンと私の頭に手を載せた。
「もっと、周りを頼っていいんだからね」
「…………はい」
嬉しかった。
私は自分自身を兵器扱いするところだった。それをこの悪魔のお姉さんは、きちんと人間であると教えてくれたんだ。
「おねえちゃん、かなしいの?」
「……違うよ、嬉しいんだ」
ぽろぽろと私の瞳から涙が流れてくる。アンナが心配そうに「よしよし」と頭を撫でてくれた。
私が落ち着いた頃には、サマエルさんは部屋から姿を消していた。
◆ひとこと
この世界の悪魔は堕天した天使というだけで、絶対悪という存在ではありません。
彼女も優しい一面を持っているのです。
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