第三九話「対抗できる唯一の手段があるならば」
「『獣』はわたくしたちの居りました時代では割と新参の魔王ですわ。元は誰か他の魔王により生み出された怪物という話もありますが、定かではありませんの」
サタナキアさんの説明によれば、あの『獣』には名前が付いておらず、『獣』とだけ呼ばれているらしい。その理由は「『獣』は理性を持たない魔王で、仲間である筈の悪魔すら殺し、食らう」存在であり、悪魔からも恐怖の対象として見られ、それ以上力を与えぬように名づけられていないのだそう。魔術の常識でもそうだけど、名前を持つということは力になるからね。
「アレが触れた大地は腐り、吐き出す息は身を焦がす。その爪で抉られて出来た湖沼には生き物すら寄り付かない、破壊の権化。御前の七天使の筆頭であるメタトロンや、当時悪魔たちを統べていた魔王の中の魔王、サタンですら敵わぬ化け物と言われておりますわ。人類のみならず多くの天使や悪魔が殺されましたわね」
「王家に伝わる文書にも、あまりに手に負えない化け物であったために、其方らの力を利用することで御前の天使等が封印したという話は伝わっておる」
「他人を封印するだけではなく、力を勝手に利用だなんて、天使は傲慢ですわよね」
そう言って、サタナキアさんはちらりとシャムシエルとカナフェル大司教猊下を覗き見る。シャムシエルは気まずそうに目を伏せたけど、猊下は涼しい顔で「続きをどうぞ」と言い放った。強い。
「『獣』は高い再生能力を持ち、例え頭を潰されたとしてもすぐに復活します。ですが、弱点が無いことも無いのです」
弱点、という言葉で、会議室に緊張が走る。聞き逃すまいとしているのだろう。
でも、何故かサタナキアさんは小さく溜息を吐いた。
「それは、神炎。神の炎ですわ。メタトロンが神の代理としてその奇跡を行使した時に『獣』が苦しんでいたそうなのですけれども……、ここに居らっしゃる誰が奇跡を使えるという訳でも御座いませんし、この情報はあまり意味が御座いませんわね」
………………。
シャムシエルとサマエルさんから視線を感じるのは気のせいじゃあるまい。
「あの……、発言、宜しいでしょうか」
「む? どうした、リーファよ」
「おい、リーファ!」
陛下に対しておずおずと手を挙げた私を、慌ててシャムシエルが止めようとする。恐らく奇跡を行使出来る存在として今後運用されることを懸念しているのだろう。
ありがとう。でも、こんな状況で気にしてはいられない。
「黙っておりまして申し訳ございません。わたくしは、神の奇跡を行使することが可能です……」
会議室がどよめいた。それもそうだろう、人の子が奇跡を行使出来るなどとは前代未聞なのだろうから。
「真か、リーファよ。天使すらも限られた者しか行使出来ない奇跡を、其方が使えると? 冗談を言ってよい場では無いぞ?」
「はい、本当です。……ギュンター様、先日のプロディティオとの戦いで、わたくしは二度奇跡を行使しております。覚えておいでですか?」
私に話を振られたギュンターさんは数秒俯いて考え込んでいたが、ふと何かに気付いたかのように顔を上げた。
「……我等が倒れた時に一度、そして不死王を滅ぼした時に一度、ですか。魔術や神術にしては破格の力でしたので、おかしいとは思いましたが……」
「はい、その通りです。わたくしは諸事情により、神より神気を直接お借りすることが出来ます。それによって、強大な奇跡をも行使出来るようになったのです」
「し、信じられん……」
陛下を始め、皆さん愕然としていらっしゃる。ポーカーフェイスの大司教猊下までぽかんと口を開けている。母さんは……あ、ニコニコ笑ってるけど、あれは「なんで今まで黙ってたの?」っていう顔だ。後で間違いなく怒られる。
「しかし、人の子が神の純粋な神気を受けると、その身が聖霊に近づいていくことになります。使い続ければ人間を辞めることになりかねませんが」
猊下もシャムシエルと同じことを言っている。やはり、奇跡の行使は人の身にとって危険なことなのだろう。でも――
「……はい、承知しております。ですが王国の皆様に危険が迫っているというのに、聖女として何もしない訳には参りません」
そうなのだ、私には母さんやアンナ、お世話になった多くの人たちなど、守らねばならない者が居る。
だったら少しくらい神様から力をお借りしても、罰は当たらないよね。
◆ひとことふたことみこと
奇跡というのはつまり、聖人モーセが行った天からマナ(パン)を降らせたり海を割ったりとかそういうことですね。
この世界では普通の聖女はおろか、天使でも出来ないことのようです。
この世界においては熾天使よりも上の存在として御前の天使が居ます。メタトロンもその一人。
メタトロンという天使は聖書に登場しないのですが、タルムードというモーセが伝えたものをまとめた聖典ではサンダルフォンなどと一緒に御前の天使として扱われているようです。
聖書においては御前の天使にミカエル、ラファエル、ガブリエルら熾天使が並んでいます。
(ウリエルは出てきません。これについてはいずれ後述します)
サタンの名前が出てきました。
ルシファーくんの別名と考えて頂いて結構です。
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