第三五話「黒幕が得意気な顔をしてやって来た」
私が意識を取り戻すと、相変わらずの曇天が広がっているのが見えた。どうやら時間はそれほど経っていないように思える。
「つぅっ……!」
身体を起こした瞬間ズキッという痛みが後頭部を襲い、顔を顰める。手で触れると、ぬるりという血の感触があった。石か何かが直撃したんだろうか。生きていて良かった。
辺りを見回す。近衛兵の皆さんだけでなく、シャムシエル、サマエルさん、それにルピアまで倒れている。皆私と同じように怪我を負っているようだった。
「……ん?」
私の背後には知らない女性も倒れていた。腰までありそうなバイオレット色の髪を持ち、年の頃は二〇代前半くらいで、かなりスタイルが良く目のやり場に困るような服を着ていらっしゃるお姉さんだ。
「……もしかして、サタナキアさんって悪魔かな」
怪我も無いようだし、ただ眠っているように見える。爆心地に居たのに無傷ってことは、たぶんそうなんだろう。サマエルさんと違ってお寝坊さんだ。
「万事、上手く行ったようだな」
「はい、ディートハルト兄上。あ、いえ、結局のところ、力を奪えた悪魔は一体だけなのですが」
プロディティオともう一人誰かの声がして、そちらを向く。そこには彼だけでなく、彼の兄にあたる宰相が立っていた。
「構わん。一体分あれば制御には十分だろう。よくやってくれた」
「いえ、兄上の為ならば」
そうして彼らは見上げる。私もそれを視線で追った。
そこには、熊のような躰に一〇本のねじくれた角が生えた七つの豹の頭を持つ、小さな山ほどもありそうなくらいに巨大な獣が居た。
「……あれが、『獣』……」
暴虐の魔王の封印が解けてしまったということか。どうやら、私の任務は失敗してしまったらしい。
獣はじっと佇んでいる。何を思い、何を考えているのかは分からないが、その膨大な魔力はここからでも感じられる。
……あれは危険だ、今まで出会ってきた何者よりも。
「ふむ、聖女は目覚めていたか。もっとも封印に近い場所に居たようなのに、頑丈なものだ」
宰相の声に、再び獣から二人の方へ視線を戻す。
「……あのような化け物を復活させて、貴方がたは一体何をするおつもりですか?」
「あぁ、いい質問だ、聖女よ」
両手を広げ、大仰なポーズをとる宰相。まるで私が出来の悪い生徒のようなリアクションだ。弟の煽りもうざったいが、こちらも中々だな。
「突然だが、聖女リーファ、我等の兄君である国王陛下をどう思うかね?」
「……思慮深く、器の大きな方だと思っております。何故に弟である貴方がたは似ていないのかと、不思議で仕方ありません」
即座に切り返した私の回答に、一瞬宰相の目が細くなる。そういうところだよ、器が小さいっていうのは。
「可愛い顔をして中々言うではないか。だが、君は分かっていない。あの王は生温いのだ。外交では融和政策を採り、貧しい国へは積極的に手を差し伸べる」
「素晴らしい王ではありませんか」
「君は政が分かっていない! 国の外へそのような上辺だけの情けは無用なのだ。そんな情けを、蛮族どもが理解する筈も無かろう。そんなやり方をしていては国が細るだけなのだ!」
ヒートアップする宰相。他国民を蛮族呼ばわりねぇ……。選民思想とかいうやつだったっけ。そういった考えを陛下がお若い頃に禁止なさったからこそ、諸外国から船がやって来て国が豊かになっているというのに。分かっていないのはこの人なんじゃないのか?
「わたくしには理解出来ませんね。しかしそれがどう『獣』の復活と結びつくと言うのですか? この『獣』は国内に現れている。我々の脅威となってしまうではありませんか」
そう言って、『獣』を見上げる。化け物は変わらず不気味な静けさを保っていた。しかしアレが暴虐の大魔王だと言うのなら、私たちは駆逐され、間違いなくエーデルブルート王国という国は細るだろう。
だけど宰相は、まるで私が愚かであるかのように高笑いを上げた。
「ハッハッハ! 要は『獣』を操る手段が有ればいいんだろう? あるんだよ、ここにな!」
「……それは?」
宰相が懐から出したのは、一本の長い針が入ったケースだった。
「コレはどんな強大な魔物でも意のままに操ることの出来る、王国の宝物でもある魔道具さ! コレにかかれば、如何な大魔王とて逃れられん!」
「……まさか、貴方がたは、それで『獣』を操って……」
合点がいった。
コイツが『獣』を呼び出したのは、兵力として扱うつもりためだったからだ。
「そうだ! あの化け物は他国からは最ッ高の脅威となってくれる! 国外にはもっと強力な対応をすべきなのだ! 国とは力だ! 国とは民などという甘っちょろいことを言っている兄君に、現実を見せてやらねばなぁ!」
興奮が最高潮の宰相。
だから、背後の動きに気付けなかった。
◆ひとこと
『獣』の姿でピンと来た人、そうです。黙示録の獣です。
ヨハネの黙示録ではサタンと同一として扱われていますが、この世界では別物です。
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次回は明日21時半頃に更新予定です!