第二九話「必ずしも聖職者の朝が早いなんてことは無いらしい」
「す、座ってもよろしいのですか?」
「いいんです。謁見の間じゃないんですから。陛下もお急ぎでいらっしゃいますので早くしてください」
ジト目で私を睨む大司教猊下。う、うぅ、こんなケースは淑女の特訓で想定してなかったよう。
「失礼いたします……その、陛下、お待たせしてしまい申し訳――」
「ああ、よい、よい。それと気疲れするような喋り方も無しだ。其方は平民であろう?」
う、それはありがたいですけど、流石に陛下相手には厳しい。
「……善処いたします」
「はっはっは、それにしても、あの時の子供が随分と美しい娘御となったものだ。それだけの時が経ったということなのだな」
え?
あの時の子供、って、どういう……?
「へ、陛下、恐れながらお尋ねいたしますが、わたくしをご存知でいらしたのですか?」
「ああ、すまんすまん。リーファよ、其方は昔に一度、アナスタシアと共に城下で余と会っておるのだ。其方は幼かったので覚えていなかったかも知れぬがな」
「そ、そうだったのですか……」
そう言えば母さんに引き取られてからすぐの頃、この城下町でお会いしたことがあるような気がする。お付きの兵士が多かったので印象は強かった。
「しかし、あの時は男児かと思っておった。まさか女児であったとはな、余の節穴を許せ、わっはっは!」
「え、あ、その」
豪快に笑う陛下に、私はカミングアウトするタイミングを失ってしまった。うぅ、隣の猊下の視線が痛い。
「陛下、そろそろ本題に」
猊下が催促した。何処となく眠そうに見える。陛下がお帰りになったらきっと二度寝する気だこの天使。聖職者の朝が早いとは限らなかった。
「ああ、すまん、カナフェル大司教。……リーファよ、今日は余がここに足を運んでまで伝えたかったことがある」
「はい、お伺いいたします」
陛下が直々に足を運んでまで私へ伝えることがあるって、どういうことだろう。
もしかして、あの宰相に聞かれたくないことなんだろうか。
「一昨日謁見の間で伝令が飛び込んできたと思うが、その時の内容だ。二つ目の封印が解かれた、と言えば分かるか?」
「…………はい」
やっぱりあの時陛下が伝令から受け取った情報はそうだったのか。するとあの死霊が起こした事件なのだろうか。
「恐らく犯人は其方が古代遺跡で戦った相手と見て間違いあるまい。だがな、今回は前回と異なる面があるのだ」
「……と仰いますと?」
「そこに封じられていた古代悪魔アバドンは、復活していない」
………………。
私の頬につぅーっと冷や汗が流れる。
え、ということは、サマエルさんは復活したってことを陛下はご存知ってことですか?
「はっはっは、そんな顔をするな! 古代悪魔サマエルの復活についてはアナスタシアから聞き及んでおる。別に其方を責める訳ではない、逆に黙っておいてくれて助かったのだ」
「そうなのですか……?」
「ああ、事情を知る他の者の耳にでも入れば、恐らく神国から天使を派遣させることになっていただろうからな」
まあ、普通はそうなるよね。というか、陛下の御立場からしてもそうすると思っていたんだけれども。
「それは、何か問題があるのですか? あ、いえ、サマエルさんを再封印してほしいという訳ではないのですが」
危険な何かを封じているこの地にとっては、サマエルさんを再封印した方が逆に好都合である筈だ。でも、陛下にはその気が無いらしい。
「うむ、他国から兵を呼ぶというのは、それなりに面倒なことになるのだよ。自国にとってはただの封印作業に呼ぶだけかも知れんが、別の国からはそう見られんからな」
「なるほど……」
「それにサマエルとやらも、黙って封印されるつもりは無さそうなのであろう?」
「はい、魔帝ルシファーと懇意のようで、そちらの方へ逃げると申しておりました」
「それが本当だとすれば火種でしか無い。であるから、今のところ余は見て見ぬ振りをするしか無いのだよ」
魔帝ルシファーが治める大帝国は、カナン神国と並ぶ世界最強の国と言ってもいい。そんな魔帝と懇意であるならば、手を出す訳にはいかないという話なのか。
「さて、二つ目の封印の話に戻すぞ。古代悪魔サマエルは復活したが、アバドンは復活しなかった。これは封印を守っていたダークエルフの魔術師が一部始終を見ていたので間違いない」
「一体、何故……?」
「消滅したからだ」
「消滅……」
私は古代遺跡での一件について記憶を辿った。私たちが遺跡に辿り着いたばかりの時、ルピアは封印を破ろうとしていたように見えていたけど、魔力の流れに違和感があった。封印を解除するなら力を与えるか循環させるかしないといけないのに、吸い取っているように見えたのだ。
「まさか、あの死霊に力を吸い取られたのですか?」
「其方も気づいていたか。そうだ、恐らく奴の一つ目の狙いは封印を解くこと。そして二つ目の狙いは悪魔の力を手に入れることだ」
なんと、一つ目の狙いにばかり目が行っていた。サマエルさんの時は結果的に二つ目の狙いを阻止出来たけど、今あの死霊はアバドンという強大な悪魔の力を得てしまったということか。
「陛下、あの封印は一体何を封じているものなのですか?」
「やはりそれは気になるか……、まぁいい、必要なことであるし答えよう。アレはな、『獣』を封じている」
……獣?
「『獣』とは、いったい?」
「太古の昔、この地で暴虐の限りを尽くしていた最悪の魔王だ。この国の前身が出来るよりも遥かに昔、御前の天使等が、サマエルのような力ある悪魔を利用して封印したと伝えられている。今もその魔王の爪痕により草木も生えぬ不毛な大地が残っているのだ」
そんなものを呼び起こそうとしているのか、あの死霊は。
しかし疑問が残る。確か自立した意識を持つ死霊というのは珍しい。普通は死霊術師などに使役されることが多いものだ。シュパン村に魔術を仕掛けた魔術師に操られているのだろうか。あの自立振りを見ると、相当な力を持った死霊術師と見て間違いないだろう。
「あの死霊の、封印を解いた先にある本当の狙いは何でしょうか」
「余にも分からぬ。が、少し心当たりがあってな。そこで王国の聖女たる其方への命――いや、まだ王国の聖女ではないため、余からの頼みとなる訳だが」
「頼み……ですか?」
陛下は居住まいを正すと、私を正面から見据えた。
「残る封印のうちの一つを守ってほしい。次に恐らく奴はそこに向かう筈だ」
それは陛下からの頼みとは言え、私にとっては聖女としての初めての任務であった。
◆ひとこと
アバドンは新約聖書の最後に記された有名な「ヨハネの黙示録」に登場する「天使」です。
5番目のラッパを吹くと現れる、蝗害の権化ですね。
でもキリスト教では堕天使、つまり悪魔として扱われている様子。ふしぎ。
ヘブライ語で「破壊者」などという意味を持ちます。
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次回は明日21時半頃に更新予定です!