第一八三話「私を繋ぎ止めたものは」
「ここは…………?」
周りは一面の白。何も無い。白いけれども、不思議と眩しくは――
「……いや、この感覚、この景色……、間違い無い、一度来た事がある」
そうだ、ここは神の御前だ。何故私はここでのことを忘れていたのか。『群体』に殺されたあの時、間違い無くここで主のお言葉を拝聴したのに。
『それは、ここより下界へ何をも持ち出すことは出来ぬからだ』
その懐かしい声が響いたので、私は膝をつく。どうやら私の考えていることも、当たり前のように主は把握しておられるようだ。
「主よ、お伺いします。私が再び貴方の元へ訪れているということは、私は再び死を迎えたのでしょうか?」
『汝は、死に至ってはおらぬ』
「……え? では、何故私は、ここに?」
神の御前に召される時は、死を迎えて魂が昇天した時ではないのか。
『だが、死に至る直前の刹那だ。ここへは、汝の意思を確認するために我が招いた』
「私の、意思……?」
どういうことだろう。
でも、そうか。死に至る直前、その瞬間なのか。度重なる強力な奇跡の行使で、恐らく身体が耐えきれなかったのだろう。サマエルさんには諦めるつもりが無いと言ったけれど、現実は厳しいものだった。
でも、覚悟をしていたからだろうか。残念とは思うけれども、それほど悲しくは無い。でも、唯一の心残りは、シャラを巻き添えにしてしまったことだろうか。
『汝に問う。生きたいか』
「……え?」
生きたいか?
そんなの、決まっている。だって――
「……心残りが、あるのです。いえ、心残りしか、ありません」
気付かぬうちに、私の瞳から涙が零れていた。
本当は覚悟なんて、出来てはいなかったのだ。
出来ることならば、戻りたい。そして、大好きな皆と一緒に、笑い合って過ごしたい。
「私は……私は、生きたいです! シャラを死なせたくないのです! そして、聖女としてではなく、人の子として生を全うしたいのです!」
私は不敬にも関わらず、天上を見上げてそう叫んでいた。主のお姿ははっきりと確認出来た。でも、なんと表現すれば良いのだろうか、言葉には出来ないお姿をしておられた。
『汝の想いは、聞き届けた。役目を果たした感謝として、御使いハニエルに奇跡を授けよう』
「ということは……」
私は、戻れるのか。皆の元へ。諦めかけていたけれど、再び――
『だが、奇跡の行使では、汝の身体を修復させるだけに過ぎぬ。汝が元より持っていた魂の器は、既に壊れてしまった』
「えっ……そんな……」
そんなの糠喜びじゃないですか、という言葉をぐっと飲み込むも、この考えも読まれているのだったか。
身体を修復させるに過ぎない、魂の器が壊れてしまった、ということは、魂を戻すことが出来ないということなのだろう。
『悲しむことはない、汝は、器を持っている』
「……器を、持っている?」
意味が分からない。身体に器が無いのではなかったのか。
『汝の指には、汝の母より受け継いだ魂の器が嵌められている。その器へ汝を還す。生を全うするまで、決して外れぬ鎖をかけておこう』
「母……指……あっ!」
母さんから貰った、おばあちゃんの形見の指輪! アレか! まさか最後の最後で、私を世界に繋ぎ止める役割をしてくれるなんて!
私の瞳から、再び涙が零れた。ありがとう、母さん。ありがとう、姿も知らぬ、おばあちゃん。
「……母の愛は、偉大ですね……」
『そうだな』
頭上から暖かい波動を感じる。常に事務的な我等が主だけど、ここに至って初めて感情らしきものを見せてくれたような気がした。
「……そうです、教えてください。私の役目とは、何だったのでしょうか?」
たぶん下界へ降りた時に忘れてしまうだろうけど、知りたかった。私が一体、主に何を期待されていたのかを。
『……我の力は、もう幾何も残っておらぬ。だが、その為に御使いは我に背くことを覚えてしまった』
「………………」
そうか、やはり我等が主の御力は、もう限界に近かったのか。神に背く天使たちが堕天しなかったのも、そこまで主が力を割ける余裕をお持ちでは無かったのだろう。
『……汝の考える通りだ。そして、奇跡を自由に操る汝は、世界に背く天使を打ち滅ぼしてくれた』
……それが、私の役目、だったのか。聖女として覚醒した自分は、来る天使たちの反逆に備える為の、戦士だったらしい。
結局、私も天使たちも、主の掌の上で踊らされているだけなのだ。仕方ない。私たちは、創られた存在なのだから。
『そのようなことはない』
「え?」
少し、主の御言葉に憤りが混じった気がした。
『でなければ、ここで汝の意思など確認はしていない』
「…………あ」
……なるほど。これは一本取られてしまった。
「……ふふっ、そうですね。失礼しました」
私はちょっと可笑しくなり、不敬であるにも関わらず笑ってしまった。人間臭い、と思ったけれども、人間を創ったお方なのだ。むしろ私たちが神臭いのかも知れない。
『……さて、最後に汝へ問おう』
「はい、お伺いします」
主とお話出来るのも、これで最後になるのか。
いや、最後ではない。また私が生を全うしてここを訪れた時に、主と共にこの時のことを懐かしむことが出来るじゃないか。
『汝は、男として生を全うしたいか、女として生を全うしたいか。選ぶがよい』
選べるのか。まあ、聖女で無くなり、身体が再構築されるから選ばせてくれる、という事なのだろう。
でも、私の選択は決まっている。
「……それは――」
◆ひとことふたこと
リーファちゃん、神の御前で慟哭。
心残りが無いなんて、そんなことはありませんよね。
最後の鍵は、母親であるアナスタシアから貰った指輪でした。
魂の器を入れるだけの代物ですが、今のリーファちゃんにとっては正に命と同等の価値がありましたね。
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次回、本作のエピローグは明日21時半頃に更新予定です!