第一八二話「最後の奇跡、そして私は――」
「サ……サタンだと……? サタンを連れてきたのか……?」
クシエルは目の前に佇む、一二枚の黒い翼を持つ美しい悪魔を目の前にして、がちがちと歯を鳴らしていた。
「かつてはそう呼ばれていた事もあるがな。朕の名はルシファーだ。間違えるな」
「ひっ!?」
ルシファー陛下に睨み付けられたクシエルは、正に蛇を目の前にした蛙のようだった。
何しろルシファー陛下は神に創られた最初の天使であり、そして最初に堕天した悪魔でもあるが、古代より現代まで長きに亘り、最強の名を縦にしてきた存在なのだ。あの『獣』とも対等に渡り合ったという話もある。そんな最強を目の前にして慄かない筈が無いのだ。
「貴様の罪は何だ? 答えろ、智天使クシエル」
「ひっ……あ、はぁっ…………」
クシエルは陛下のプレッシャーに当てられ、まともに答えも出来ないようだった。彼の側近の天使たちなど、既にそのプレッシャーだけで気絶している。
「どうした? 答えろ。答えなくとも、朕が直々に裁いてやるが」
「はぁっ、はぁっ…………ふ、ふふふふふ」
息も荒い様子だったクシエルが、突然不気味に含み笑いを始めた。身構えた私たちを、反逆の天使は愉快そうに睥睨した。
「……まさか!」
「もう遅い! 最後に貴様等を道連れにしてくれ――」
気付いた私を嘲笑って何かを言いかけたクシエルの首が、綺麗な切断面を残して吹き飛んだ。嘲笑を貼り付けたまま、クシエルの首が転がる。一拍遅れ、残った切断面から血が噴き出した。
「……遅かったか」
何時の間にか抜剣していたルシファー陛下が、静かに剣を納めながら空を見上げた。どうやら陛下が首を刎ねたらしい。全く見えなかったけど。
しかし……そんなことは、最早どうでも良いことだった。
「……そのようですね」
私も空を見上げる。
そこには、こちらを目指してゆっくり落下する最後の『ニガヨモギ』があった。再使用に二日掛かるというのは間違いだったらしい。単に二日掛かったのは、シュパン村を正確に狙う為、『聖別されし者』をメンテナンスしていたとか、そんな所だろうか。
「……最後の、仕事ですね」
私の口から、無意識にそんな言葉が漏れた。
そしてゆっくりと長杖の先を、落ちてくる猛毒の星へ向ける。
「リーファちゃん! 無理して止めんでも、ここから急いで逃げれば――」
「駄目です、シャラ。ここには川があります。汚染された水は、海へ注がれる。どの道、あれを消し去らねばならないのです」
汚染された水はやがて海へ辿り着き、多くの生命を殺すことになる。そんなことを、許す訳にはいかない。
「そんな…………」
ありがとう、シャラ。私を気遣っての事だよね。
でも、もう限界を超えているのは分かっていたんだ。だって――
「……リーファ、奇跡を使うつもりか」
「シャムシエル、もう止めませんよね?」
「……ああ」
シャムシエルは、私の顔を見て答えている……そのつもりなのだろう。
その凜々しい瞳から、ぽろぽろと涙が零れた。
「……そうだ……っ、もう、私には……リーファの姿が……見えていないのだから……!」
先程、私の顔を二度見した時から、薄々気付いていた。
この中で、シャムシエルや陛下のお付きの悪魔たちは座天使以下の存在であり、私の姿が認識出来ていないような態度を取っていた。シャラだけは、私を依り代にしている為に見えていたのだろう。
「……そうだったのか、リーファちゃん。馬鹿だねぇ……」
「サマエルさん……」
うちの長姉は、長杖を構える私の身体を、そっと後ろから抱き締めた。戦いで火照った彼女の身体が、温かくて心地良い。
「馬鹿だけど、大好きだよ。シャムシエルに、ママさん、アンナには見えなくなっても、アタシはリーファちゃんの側に居てあげる」
「…………はい、ありがとうございます」
優しい悪魔のお姉さん。本当に、彼女にはお世話になった。
そしてこれからも、私は彼女のお世話になるのだろう。
「でも…………」
私は一旦言葉を切り、空いた片手で涙を拭った。
「……諦めるつもりは無いのです。絶対にまた、皆と笑い合えると、信じています」
「……そっか」
そこまで話し終わった所で、サマエルさんは私から腕を解いた。
「もう、時間はありません。奇跡を行使し、あの星を落とします」
私は後ろに居る皆へそう告げると、術式の構築に入った。
……もう、この身体も限界だろう。視覚的に認識出来るとか出来ないとか、それ以前に私の身体が保たない。そんな気がする。神へと昇華してしまうのではないだろうか。
でも、愛する者たちを守れるのだ。何を迷う必要があるというのか!
「主よ、創造の光であるべきはじめの姿へと揺り戻し給え――」
私は術式を紡ぎ――そして、最後の奇跡を展開した。
「〈光あれ〉!」
◆ひとことふたことみこと
世界最強の悪魔、しかも一国の皇帝陛下に睨まれたら、そりゃ気絶もしますよね。
既にリーファちゃんの身体は神と等しくなっていたようで、能天使であるシャムシエルには見えなくなっていたのでした。
悪魔に神が見えるのかという話にはなりますが、力自体は天使時代のそれと等しいのでアザゼルたちにも見えているようで。
ベートにも見えていたのですが、実は彼女、シャムシエルより遙かに格が上でした。世界創造の時に創られた神獣たちの娘ですしね。
リーファちゃん最後の奇跡。
果たして彼女の運命や如何に。
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