第一七四話「地底に居た先住者は、大物だった」
ホールを抜けた後、大きく下る道をひたすら進む。道幅も狭く、小さな虫がぞろぞろ這っていてシャラが悲鳴を上げていた。元々豊穣の女神様だったのに虫が苦手なのかと聞いたら、「こういう暗いトコにおるんは別や!」と言われてしまった。よく分からん。
だいぶ下った後に、再び開けた場所に出る。ここは――
「お、なんやここ? 随分と広い水溜まりやな。湖か?」
「うん、地底湖なんだって。ということはだいぶ降りたんだねぇ。ここからまた登らないといけないのかぁ」
随分と広いんだな、この洞窟は。もう三時間は歩き詰め戦い詰めでへとへとだよ。
「ここで休憩にしよう。出たのも夜遅くだったし、本当は寝る時間だからね」
「せやな。リーファちゃんのお肌に悪いわ」
「……シャラのお肌には?」
「うちはほら、精霊やし」
「ずるい」
そんなどうでもいい会話をしながら、暖を取るため〈焚火〉の魔術を設置し、危険探知の魔道具を起動した。幾ら洞窟内が外より暖かいとは言え、仮眠中に凍死しました、というのは洒落にならない。
「……ん? 魔道具に反応?」
ランタン風の魔道具が、危険を示す赤色に変化している。通常であれば緑色なのだ。ということは、何かが近くに居る?
「なんやの? 魚か何か?」
「いや、これは敵意を感じると反応するんだ。ということは、何かが私たちを見てる」
私たちは置いていた長杖を持ち上げ、周りを見回す。陸の上には見た感じ、何者の気配も無い。となれば……
「……地底湖か!」
「あら、気付いた? その道具のお陰かしら?」
そんな悪びれも無い態度で、変わらぬ敵意を向けてきたのは――
「……なんや? 人間の女性……やないわな」
そうだねぇ、人間は地底湖に棲み着いて、顔だけ覗かせてこちらの様子を窺ったりしないだろう。
しかし先程の言葉は古代神聖語? ということは、相手はカナン神国由来の存在なのだろうか。
「一先ず、敵意は下げてくれませんか? 貴女の住処にお邪魔してしまったことは謝罪します。少し休息を取ったら出て行きますので」
今更聖女モードに戻る訳にもいかないので、水面から顔を出したまま警戒する女性へ素のままそう語りかける。
「……まぁ、いいわ。あたしも別に、ここを根城としている訳じゃないの。わざわざこんな所まで人間と上位精霊が来ていたから、気になっただけ」
そう告げた女性は陸の方へと近づき、全身を露わにした。水の中では目立つであろう腰まである長いピンク色の髪に、均整の取れた身体。人間で言うと年の頃は二十歳というところか。飛沫を立てることも無く移動するその姿は裸……だけど、所々鱗に覆われている。魚人という存在だろうか? でも古代神聖語を話していたしなぁ。
「貴女たちも杖を下ろしてくれない? あたしが水の中じゃないと本気を出せない存在なのは分かってるでしょ?」
「……せやな。リーファちゃん?」
「うん、魔道具も緑色になってるし、大丈夫」
こちらが誠意を見せたから、女性も敵意は収めてくれたのだろう。私たちも杖を下ろすことにした。
「取り敢えず、自己紹介をしましょうか。私はこのエーデルブルート王国で聖女と認められている一人、リーファと申します」
「うちはそのリーファちゃんを依り代にしている精霊のシャラや。元は南方の荒野で女神をやっとったけどな」
「女神……? ああ、カナン由来の存在じゃないのね。道理で精霊にしては存在がはっきりしてると思ったわ」
濡れた髪をかき上げながら、女性は何かに納得しているらしく頷いた。それにしても裸なので目のやり場に困る。
「あたしはベート。偉大なる大地の王ベヒモスと海の女王レヴィアタンの、二番目の子よ」
ベートと名乗ったその女性は、何処か誇らしげに胸を反らせた。って――
「ベヒモスとレヴィアタン……って、あのベヒモスとレヴィアタン、ですか?」
「たぶんその二人で間違い無いわね」
ふふん、と得意気に鼻を鳴らすベートさん。いやベート様。え、とんでもない大物だった。魚人だと思ってゴメンナサイ。
ベヒモスは神が直接創り出した大地を司る神獣で、レヴィアタンは川や海を司る。この二柱が子を成していたとは思わなかった。二番目の子だと言ってたし、兄か姉も居るんだろう。というか、二人どころかもっとたくさんの弟妹が居そうだけど。
「で、なんでこんな地底湖くんだりまで来たのよ? もしかしてここって、そっち側の出口から近いトコにあるのかしら?」
そっち側? ああ、ラウ山の方ってことか。ベート様は出口の存在も把握しているのだな。
「いえ、故あって反対側の出口から出なければならず、ここまでは結構な苦難を乗り越えて辿り着きました。そう易々とは来られないと思います」
「そうなのね。逆側にも出口があるというのは気付いていたけど、そこまで陸上を歩いて行く気にはならなかったからね」
そんなことまで分かるのか。空気の流れで気付いたんだろうか? すごい。
「でも、ベート様はここを根城にしている訳では無いと仰いましたが……?」
「様付けなんてしないで良いわよ。……一昨日大きな地震があったでしょ? それでここの湖と近くの川の間にある水路が広くなってね、来られるようになったから来てみたワケ」
「なるほど、そういうことでしたか」
海の女王レヴィアタンの娘だということだし、彼女も何か河川の管理などの使命を受けているのかも知れない。それで偶然このタイミングでここまで来たということなのかな。地図に彼女のことが載っていなかったのも納得だ。
「でもねぇ……帰れなくなっちゃったのよ。また崩落で水路が狭まっちゃって」
「…………は?」
どうしようかしら、と溜息を吐きつつもさしたる問題でも無さそうにそう呟いたけど、それ大問題じゃないの?
「せやったら、うちらと一緒に洞窟の出口から出たらええんやない? 陸の上でもある程度動けるんやろ?」
「まあ、水中の方が過ごしやすいだけで、あたしは普通に陸上で生活出来るからそれは問題無いんだけどね……、ただ…………いえ、これ以上は貴女たちが休息を取ってからにしましょ。詳しいことは起きたら話すわ。それまで周囲の警戒もしてあげる」
「あ、ありがとうございます……?」
なんだろう。何か面倒事の予感がする。眠れるだろうか。
◆ひとことふたこと
ベヒモス、レヴィアタンは共に有名な魔獣ですね。
ベヒモスはカバのような姿ですが、レヴィアタンは鯨、魚、爬虫類、海蛇と時代によって姿が安定していないようで。とにかくどちらも巨大な魔獣で、悪魔と捉えられることもあるようです。
これら二対の魔獣ですが、ベヒモスは雄、レヴィアタンは雌なのです。繁殖しないよう仲間は殺されてしまったんだそうな。かわいそう。
世界の終末には彼らが食糧にもなるんだとか。ほんとかわいそう。
神が創り給うた存在なので、本作では神獣と解釈しました。
ベートはオリジナルの存在です。
女性なので、レヴィアタン寄りの神獣ということにしました。
名前の由来はヘブライ語の文字アレフベートの二番目。たぶん上はお兄ちゃんでアレフという名前なんでしょう。
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次回は明日21時半頃に更新予定です!