第一六七話「大地を冒す星が落ちてきた」
※リーファちゃんの一人称視点に戻ります。
「リーファちゃん、無事だったか」
外で村の警備担当の方々から被害状況を確認していたら、サマエルさんとシャムシエルが飛んで来た。二人とも仕事中だった筈だろうに、文字通りすっ飛んできてくれたんだな。
「はい、大丈夫です。お二人の方こそご無事で良かったです。ただ、リリが怪我をしてしまって。今コルに薬を取りに戻って貰っている所です。自宅の方も気になりますが……」
「そっちは先に見てきた。ママさんがすぐに結界を強化したから被害無しだよ」
お、見てきてくれたのか。流石仕事が早い。母さんもアンナもラファエル様も無事ということか、良かった。
「……そうです、お二人とも。『ニガヨモギ』という言葉に聞き覚えはありますか?」
私が先程警備してくれていた天使の一人が零した呟きについて、二人に聞いてみることにした。
が、その単語を聞いた瞬間、サマエルさんとシャムシエル、二人の顔がさっと青ざめた。
「……誰が、それを?」
「え、いえ、警備を担当してくれていた方のお一方が、南の山の向こうに落ちる物体を見て、そう呟いて……」
かつて無い程に強張った表情のシャムシエルに問われ、私はしどろもどろにそう答えるしか無かった。何か禁忌の言葉だったのだろうか?
「……マジか。この騒ぎは一体何かと思ってたら、『ニガヨモギ』が落ちたのか」
「ということは……『聖別されし者』が起動したのでしょうか?」
「間違い無いな」
二人は私を置いてきぼりにして何やら真剣に語っている。……って、え?
「あの……『聖別されし者』が、起動したのですか?」
「……ああ、ここではなんだし家に戻って話そう、リーファちゃん」
真剣な様子の二人に気圧されるようにして、コルが戻ってきた後、私はすぐに帰路へと就くことにした。
それにしても……『聖別されし者』が起動したということは、メタトロン様は失敗したということなのだろうか。それ程までに、過激派たちは手強かったということか……。
家に戻った私たちは、すぐに客間でラファエル様にお話を伺うことにした。
母さんはアンナの面倒を見ているので不在だ。アンナの記憶に例の無い程の大地震が起こった為に、怯えてしまっているらしい。トラウマにならなきゃいいけど。
「結論から言いますと、先の大地震は『ニガヨモギ』の落下によるものだと断定して結構ですねぇ」
「…………そうかー。何やってんだよメタトロン」
神術でゲーベル沼と情報をやり取りしているラファエル様が言うのだったら間違い無いんだろう。サマエルさんが頭を抱えて盛大な溜息を吐いた。
「……そろそろ教えて欲しいんですけど、『ニガヨモギ』って、一体何なんですか?」
いい加減一人だけ何も知らないというのは辛い。古代神聖語で苦蓬が、あの落ちてきた球体と頭の中で結びつかないし。
「『ニガヨモギ』というのはですねぇ、空に浮かぶ無数の小さな星の一種です。『聖別されし者』は、あれらを落とす力を持っていると聞いております」
「……星」
ラファエル様の説明に、呆然と呟く私。ゆっくりとはいえそんなものが落ちてきたのか。そりゃ大地震も起きるし礫も飛んでくるワケだ。そして南の山の向こう側には恐らく、生き残っている人は居ないだろう。
「でね、リーファちゃん。その『ニガヨモギ』の怖い所はそれだけじゃないんだ。あれは毒の塊で、それが含まれた苦蓬のように苦い水を飲むと死んでしまう。災厄の一種なんだよ」
「……だから、『ニガヨモギ』と呼ばれていたのか。そうすると、南の山の向こう側は……」
「猛毒に冒された土地になってるね。数百年単位で元には戻らないと思う」
なんというか……初めて『聖別されし者』の恐ろしさを認識出来たような気がする。そりゃ世界を滅ぼせる力を持つと言えるでしょうよ。
それにしても……
「ここの南に落ちた理由って、もしかして……」
「恐らくリーファの居るここを狙って、外したのだろうな。制御が上手く行っていないとか、そんな所だろう。我々は助かったものの、犠牲になった人々を思うと、辛いな」
悲痛な表情を浮かべるシャムシエル。やっぱりそうだよね。先ずは私を狙うだろうね、そりゃ。
でも流石に連発は出来ないんだろう。まだ次の『ニガヨモギ』が落ちてくる気配は無いけど――
「ゲーベル沼の部隊に何とかして頂かなければ、また『ニガヨモギ』が落ちるのも時間の問題ですよねぇ。ですが……」
「兵器が起動されたってことは、負けたんだろうねぇ。だとすれば、メタトロンは望み薄か」
溜息を吐くラファエル様とサマエルさん。お二人ともメタトロン様が無事だとは思っていないんだろうな。私もそうだ。
「しかし、制御が効かないとは言え敵は『聖別されし者』を手に入れた訳だ。ゲーベル沼の次に狙われるのは、いや、実際に狙われたのだが……」
「……あ」
そのシャムシエルの言葉で気が付いた。
そうだよ。のんびりしている暇は無い。兵器がコントロール出来ない以上、直接私の命を狙って、この村に天使の軍勢がやって来る可能性があるじゃないか。
意を決した私は、長杖を手にし、部屋を出ようとした。
「おいおいリーファちゃん、何処に行くの」
「………………」
部屋を出ようとしたものの、私の行く手を阻んだサマエルさんに睨み付けられ、沈黙する。
「そうですよ、ここで奇跡を使ってしまったら、治療が台無しじゃないですか~」
「……命あっての物種ですよ?」
「でも、リーファちゃんが奇跡を使っていたら、神になって皆から認識されなくなっちゃいますよ?」
「…………それは」
そこを突かれると痛いです、ラファエル様。
でも……
「……私がここに居るという理由で、村の皆を危険に晒したくないんです」
私は小さい頃、遠い国で実の両親を亡くした。
そんな時拾ってくれた旅人の母さんと私を、この村は温かく迎えてくれた。……魔術師は怖がられるからって外れの森に家を建てた母さんだったけど、それでも村の皆は変わり者だとも思わずに接してくれたのだ。
「……恩を、仇で返す訳にはいきません」
「……そっか」
サマエルさんは、分かってくれたらしい。通せんぼのために広げていた手を下ろした。
「……シャムシエル、やっちゃって」
「えっ――」
サマエルさんのその言葉に振り向く間も無く、私の首の後ろに強い衝撃が与えられ、全身から力が抜ける。
「あ…………」
そして私の意識は、闇の向こう側に沈んでいったのだった。
◆ひとこと
ニガヨモギ、という言葉は聖書の中では特別な意味を持ちます。
というのも、ヘブライ語でニガヨモギはלענהと記すのですが、呪いという意味も持ちます。なので聖書にたびたび登場する訳ですね。
また、ヨハネの黙示録の中では第三のラッパが鳴らされた時に星が川や水源に落ち、そのせいで水がニガヨモギのように苦くなり、それを飲むと死んでしまうと記されてもいます。この星自体をニガヨモギと呼ぶみたいですね。
余談ですが原発事故のあったチェルノブイリはロシア語でオウシュウヨモギという意味を持っているらしく、原発事故の汚染もあった所為なのか、このヨモギとニガヨモギを混同されることが多いようです。
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少し前の感想にあったので補足。
「星が落ちる」と言われていますが、現代知識で星と言えば恒星、惑星、小惑星、準惑星、衛星だと思います(であってるかな)。
ただそんなものが落ちたら世界の滅亡どころか地球が壊れるわけで。
そこまで科学が発展していないこの世界では隕石レベルのニガヨモギでも「星」と呼びます。
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次回は明日21時半頃に更新予定です!