第一五九話「煽りすぎにはご注意を」
もう空輸され続けて二時間は経っただろうか。方向すら分からないので、今自分がどの辺りに居るのかは全く分からない。
そんな時、急に高度が下がっていく感覚がした。いきなりだったので気分が悪く、吐きそうになる。
「いたっ!?」
と思ったら、麻袋ごと乱暴に地面へ置かれたらしく、腰を打ち付けてしまった。い、痛い……。
そして麻袋の口が緩み、外から腕を掴まれて荒々しく引っ張り出され、外に投げ出された。誘拐ならもうちょっと丁寧に出来ないものなのか。
久しぶりの外だけど、周りは木々に囲まれた森のようで、残念ながらここが何処かは見当もつかない。まあ分かったとしても、どうにも出来ないんだけどさ。
「……やっと出して貰えましたね。貴女がたは一体、何が目的でこんな事を?」
私は目の前で腕を組み、無表情で仁王立ちする赤い鎧の天使を睨み付けた。それでも彼女は、無言で私を見下ろしたまま動かない。
何も答えてくれなければ、こちらとしても要求に応えられないんだけどな。……ここは一つ、煽ってみるか。
「……もしかして、サリエル様の派閥の残党ですか? だとすれば、流石は過激派ですね。ご自分の見当違いな正義で他人を傷つける事が神の教えだと信じているなんて、憐れな事です」
私の言葉に、赤い天使の眉がぴくりと動いた。どうやら効き目があったらしい。
「わたくしが奇跡を行使出来ることを、サリエル様は恐れておられました。貴女がたもその類なのですね? ご安心ください。貴女がたの畏れに免じて、奇跡は使わずに――」
赤い天使に左頬を殴られたため、私は最後まで煽りきることが出来なかった。それほど強い力で殴られた訳ではないけれど、軽く吹っ飛んで逆の頬が地面と擦れる。痛い。
「黙れ、咎人風情が生意気なことを」
「……咎人? どういう意味ですか?」
私は自由にならない身体を無理矢理起こし、軽く頭を振って頭をクリアにしつつ、やっと喋ってくれた天使に問い掛ける。マスティマは「偽りの聖女」と言っていたけれど、「咎人」というのは、一体どういうことか。
「自分の罪も分からないのか? 貴様は神を模した。大罪だ。カナンで裁かれなければならない」
神を、模した。
そうか、私が奇跡を行使出来ることについて、そう捉えているのか。それで、カナン神国まで連れて行って裁判を受けさせるというつもりなんだな。
「わたくしはエーデルブルート王国民です。神国で裁判を受ける権利など御座いませんよ? 貴女がたこそ、神国の集団が犯罪行為に手を染めているということがどれだけの大罪であるのか、自覚が無いようですね?」
「王国だろうが何だろうが、この世界は唯一の神のものだ。神の御意志に背く者はすべて正義の名の下に大罪人である。それを理解しろ」
私の煽りにも、赤い鎧の天使は無表情のままに何とも痛い答えを返してくれた。うわー、この天使、マスティマと同じ臭いがするよ。旧体制派ってみんなこうなの?
「神の御意志を拡大解釈している貴女がたこそが、大罪人ですよ。どうも旧体制派は少数派だということを理解されていないようですね。それとも裁判官に息が掛かった者が居るのですか? 流石、ご自分が正義だと嘯く方々はやる事が……ぐっ……」
煽り続けていたら、赤い天使が血走った目で首を絞めてきた。しまった、やり過ぎたか。
「黙れ黙れ黙れ!」
「カ、カマエル様! ここで殺してはなりませぬ! 裁判にて刑を言い渡し、サリエル様の汚名を雪ぐのが我等の使命ですぞ!」
配下の天使が止めにかかるが、一向に手の力は緩まない。この赤い天使はカマエルと言うのか。あ、駄目だ、気が遠く――
意識を手放そうとしたその時、ばすん、ばすんという破裂音がしたと思ったら私の首は解放されていた。身体が弛緩し、その場に崩れ落ちる。また地面で右頬を擦ってしまった。痛いったら。
「げほっ! ……一体、何が……?」
呼吸を整え、状況を確認する。破裂音はまだ続いている。首を絞められていた為にまだ視界がぼやけていてよく見えないけど……周りの景色が赤いのは、あのカマエルという天使の鎧という訳ではないだろう。辺り一面が血に染まっているのだ、これは。
「この矢……堕天使サマエルか! 姿を現せ!」
サマエルさん? ど、どうやって、ここが……?
私は再び身体を起こして、視界を縦に戻す。背を向けたカマエルの向こう側から足音が近づいてきて、彼女の魔弓〈魔弾の射手〉を手にしたサマエルさんが姿を現した。
「はいはい、お望み通り姿を現してやったよ。で、カマエル、ウチの可愛い妹分を攫った落とし前は付けて貰うかんね?」
「貴様! どうしてここが分かった!」
カマエルが吠えるも、サマエルさんは鬱陶しそうに身体を反らして彼女を睥睨する。ああ、うちの長姉は珍しく怒っている。
「事前にラファエルが、カマエルの一隊がこちらに向かっている情報を掴んでたんだよ。で、それを聞いたアタシはこっそりアンタたちの後ろからついていってたワケ。尾行にも気付かないとは、『破壊の天使』は壊すことしか出来ない脳筋だから困るね」
思い出した、『破壊の天使』カマエルか。確か大天使の軍団を率いる能天使の長で、単純な強さだけで言えば熾天使にも匹敵すると聞く、戦いのスペシャリストだ。この天使も旧体制派だったのか。
カマエルは悔しそうにぎりりと歯軋りをしていたけど、急に腰の長剣を引き抜き……いや、あれはただの長剣じゃない。所々が関節の様に曲がって、鞭のように遠距離を攻撃出来る連接剣という奴だ。
「死ね、悪魔め」
短くそう告げたカマエルが連接剣を振るった。剣はまるで手品のように伸びてゆき、微動だにしないサマエルさんを頭上から襲って――
そして、横薙ぎの一閃に弾かれた。
「サマエル一人だけだと、誰が言った?」
黒服の剣士は、薙ぎ払った姿勢のままにカマエルを睨み付けた。その剣は、先日まで手にしていたサーベルでは無い。切っ先の折れている、奇妙な長剣である。
「堕天使アザゼル……! 貴様も邪魔をするのかァ!」
そんなカマエルの咆吼など無視して、アザゼルは優しげな微笑みを私に向けた。
「待たせたな、聖女リーファ。いや、リーファ。すぐに片付けてやるさ」
◆ひとことふたこと
彼らはリーファちゃんが奇跡を行使することで神を模していると捉えたようです。
神は唯一、という考えに基づけば許されぬ行為だったのでしょう。
カマエルはケムエルとも呼ばれる、能天使の長です。「破壊の天使」とも呼ばれるのだとか。
苛烈な性格をしており、天使の軍団を率いて人間を罰する役目を負っています。
その為かちょくちょく堕天使扱いをされるらしく、ウリエルやラグエル同様、旧約聖書の偽典にしか登場していない天使なので本当に公式から堕天使とされた過去があるらしい。かわいそう。
モーセの天国行きを阻んだら、ワンパン食らって消滅したという。ほんとかわいそう。
名前の意味は「神を見る者」。貴様、見ているな!
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