第一五七話「こんなの悩まずにはいられない」
私の為に長期間シュパン村へ滞在して頂くことになった為、ラファエル様はうちに泊まることになった。期間限定だけれども熾天使様が住むことになろうとは。いや、それを言ったらサマエルさんは元御前の天使なんだけど。
「ごちそうさま……。シャムシエル、アンナ、残りは食べてくれる?」
私は何となく食欲が湧かず、申し訳ないとは思いながら少し夕ご飯を残してしまった。後は大食いと食べ盛りに任せよう……。
「お姉ちゃん、食欲無いの?」
「ん、ちょっとね……」
食い意地の張っているアンナだけど、残りのご飯に目もくれず私を心配して顔を覗き込んできた。シャムシエルも同様に困惑している様子。
「おやおや、リーファちゃん、何か悩み事かい? おねーさんたちに話してみる?」
「そうですよぉ、医者であるわたくしの目の前で食欲が無いなどとは、見過ごせませんねぇ」
サマエルさんとラファエル様のお気遣いは有難いけど、こればかりは私の問題だ。お手を煩わせる訳にはいかないだろう。
「ありがとう。でも、大丈夫。先に部屋へ戻ってるね」
「あっ、リーファちゃん――」
母さんが何かを言いかけたようだけど、私は立ち上がり、逃げるようにしてリビングを後にした。
そして灯りも付けず、暗い自室の中、ベッドの上で座ったまま毛布を被り、只管に悩む。
「……さっき感じた、あの気持ち」
そう、私ははっきりと、男に戻るかも知れないということに対して不安を覚えていた。
――おぬしの魂は既に女性へと振り切っておる――
魂を視ることの出来る地竜王女、ペル殿下のお言葉を思い出す。殿下の仰ることによれば、私は魂までも完全に女性化してしまっているらしい。そして男に戻ることへの不安は、精神すらも女になっている証左に他ならない。
このまま半年間、男に戻る可能性について不安を抱えたまま過ごせるのだろうか。そして身体が男に戻ったその時、私の心がまだ女のままだとしたら、それに耐えられるのだろうか。
だって、女であった頃は「男に戻る可能性」があった為に心の何処かで「大丈夫」だと思えていたけれども、男に戻ったら「女に戻る可能性」はほぼ無くなるのだ。戻す理由が無いから。
「ああ、頭がぐちゃぐちゃだ……」
整理できない想いに、私の瞳から自然と涙が溢れてきた。
わたしはどうしたらいいんだろう。
「リーファちゃん、入るわね」
はらはらと流れる涙を止める事も無く毛布の中で呆然としていたら、部屋のドアがノックされたけど、私はそれに応える気力も無かった。返事を待つことも無く、母さんが一人で部屋へと入ってきた。そして、涙を流し続ける私が座るベッドに、一緒に座る。
「泣いていたのね」
「………………」
私は無言のまま、頷き応えた。
母さんは毛布にくるまったままの私を抱き寄せて、ぽんぽんと背中を叩いてくれた。……私が小さい頃を、思い出す。
「リーファちゃんが小さい頃を思い出すわね。ちょっと前まではアンナちゃんが寝る前にやってあげていたのだけれど、あの子も必要無くなったみたい。本当、子供の成長って早いわよね」
母さんも同じ事を考えていたらしい。まるで幼児になった気分だ。リリ曰く、もう結婚していてもおかしくない年齢なのに。
「それで、どうしたの? お昼に、男性に戻る可能性がある、って言われたこと?」
「…………うん」
母さんにはお見通しらしい。母親は偉大だなぁ、と常々思う。私もこんな風になれるのだろうか。
「リーファちゃんはもう、女性として生きていく覚悟を決めた、と言っていたものね。それなのに、選択肢も与えられずに男性に戻る可能性があるのだとしたら、それは不安になるのも当たり前よ」
「……うん、そう。不安だし、怖いんだ」
そうだ。高次の存在になってしまう可能性についてはラファエル様がどうにかしてくれるということを信じているので、それはもう怖くなど無い。
けれど、女で居られなくなる可能性が、とてつもなく、怖い。
男から女に変わった時は突然だったのでこんなことを悩む時間すら与えられなかったけれど、今回は半年間、不安に苛まれなければならないのだ。
私はこんな苦痛に耐えられるのだろうか?
「怖い、か……。ねえリーファちゃん、普通の女の子になったら、やりたいことはある?」
「普通の女の子に、なったら……?」
神の純粋な神気を抜かれたら、私は普通の女の子か男の子か、どちらかになるのだろう。女の子になってからやりたいことと言ったら、普通の女魔術師として生きて、いずれは結婚をして、子供を産むのかも知れない。
でも――
「……母さん、私はどちらになるのか、分からないんだよ? 結局それを考えた所で、男になってしまうかも知れない……」
身体を離し上目遣いで母さんを見ながら、そう答えにならない答えを返す。今の時点では、期待通りになるかなんて分からないのだ。
「そうね、だから……男の子になった時に何をしたいか、それも考えましょう?」
「え…………」
考えてもみなかったことを言われ、私は思考する。男になったら……?
「だって、リーファちゃんは元々男の子だったんですもの。男として何をしたいか、分かる筈よ? リリちゃんと恋をしてみたいとか、シャラさんと恋をしてみたいとか。勿論、女の子のまま恋をしてもいいのだけど」
「か、母さん!」
「あら、ちょっと元気になったかしら」
膨れる私に母さんは悪戯っぽく微笑み、そして、優しく頭を撫でてくれた。
「未来は得てして誰にも分からないものよ。リーファちゃんの場合は、少し変化が大きくて、そしてそれが必ず訪れることが分かっているだけ。もしかしたら、神の力は失っても、聖女の力はそのままなのかも知れない。何が起こるかは誰にも分からないのだから、怖がるよりも、期待した方がいいじゃない」
「怖がるよりも、期待した方が……」
私は母さんの言葉を反芻してみた。
そうだよ、考えてみたら、今までだって先の見えない未来を歩んできたじゃないか。
今回だって、結局何処に落ち着くのか分からないんだ。だったら、悩んでいても仕方ないんだ。
「……ありがとう、母さん。少し楽になった」
私がそう感謝の言葉を口にすると、母さんは私にウィンクして見せた。
「気にしないでいいのよ、私は、あなたの母親なのだから」
◆ひとこと
男へと戻る事に恐怖しているリーファちゃん。
完全に女の子となってしまったようです。
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