第一三九話「私、私に押し倒される」
夕方になり、今日から自由に動き回れる場所が迎賓館全体と変わったので、私は厨房で調理のお手伝いをさせて貰っていた。
「本来であれば、お客様の聖女様を厨房に立たせるなど、言語道断なのですが……」
「良いのです。軟禁状態なのですから、少しでも気が紛れることをさせてくださいませ」
聖女に仕事をさせているために落ち着きの無い迎賓館専属シェフにそう返すと、私は巧みに包丁で芋の皮を剥いていく。……おっと、確かこのジャガイモっていうのは、芽と青い部分に毒があるんだっけ。きちんと処理しなくては。
「何と言いますか……手慣れていらっしゃいますな、聖女様」
「ええ、この程度でしたらお母様に仕込まれましたので、慣れております」
なんか大教会でもあったな、こんなやり取り。あの時はシェフじゃなくてシスターだったけど。
そんな訳で、シェフ見習いの方々と一緒に一品目を作り上げた頃に、厨房へラグエル様がやって来た。
「あら、今日は聖女リーファが料理したものを頂けるのですか?」
ニコニコと嬉しそうに厨房へ入ろうとするラグエル様。
その肩をがしっと掴み、私は彼女を厨房の外へ押し戻した。
「ラグエル様……。申し訳御座いませんが、天使の方は厨房へ入らないで頂けると……」
「え? 何故です?」
「翼が……その、不衛生ですので……」
「不衛生ッ!?」
あ、ショック受けてる。でもねー、こちらとしても髪の毛が入らないようにちゃんと帽子とか三角巾等で対応しているのですから、そこは弁えて頂かないと。特に一二枚も翼をお持ちなんですから。
「ばっちぃと言われました……」
うるうると瞳に涙を溜めて天井を仰いでいるラグエル様。意外とナイーブなお方だったらしい。
「そこまで申し上げてはおりません……。……あ、そうです、ラグエル様。マスティマの件も含めて、色々とお伺いしたいことが御座います。夕食の後、お時間を頂けますでしょうか」
「はい、承知しました……。……ばっちぃ……」
そう呟きながら、肩と翼を落としてラグエル様は去って行ってしまった。ちょ、ちょっと申し訳ないことをした気分になってしまった。
夕食も終わり、ラグエル様が私の部屋へやって来た。メタトロン様とサリエル様は別の仕事があるとのことで、二人だけで話をすることになった。
「先ずは、マスティマの件についてお話いたしましょうか」
「はい、よろしくお願いいたします、ラグエル様」
ラグエル様は持っていた紙の束を紐解いた。もう夕食前のテンションは引き摺っていないようだ、良かった。
「マスティマの所在についてですが、特定の霊体を探索する神術を用いたことで、この町の何処かに居る事までは分かっております。こちらの読み通り、聖女リーファの身体を狙っているのでしょうね」
「……やはり、そうですか」
私の身体は〈聖女化〉の奇跡を受けているため、使える魔力がほぼ無尽蔵と言って良い。その魔力を使えば、マスティマが「神罰」とやらの何かを起こすのに十分過ぎるのだろう。だから彼女は私の身体を狙うのだ。
それにしても、霊体を探索する神術なんてものがあるのか。是非機会があれば教えて頂きたいものである。
「そういった訳ですので、申し訳御座いませんが、引き続き聖女リーファには神術結界が張られているこの迎賓館に留まって頂きます」
「承知いたしました。仕方の無い事ですので、大丈夫ですよ」
しかし、このまま日に当たらない生活をしていると、そのうちもやしになってしまいそうだ。……いや、研究を続ける魔術師の生活とあまり変わらないか。
「マスティマの件は引き続き進展がありましたらお伝えいたします。……それで、私に聞きたいことというのは何でしょう?」
「はい、率直に伺いますが……性別を男性に変化させる術式について、何かご存知ではないでしょうか」
「男性になる術、ですか、なるほど……」
ラグエル様はその質問だけで、私の言いたいことが何かを把握したようだった。まぁ分かるよね。
「……それは奇跡や神術よりは、魔術の領分、ですね」
「魔術……ですか。確かに……」
ラグエル様の仰るように、〈変身〉など姿を変える術と言えば魔術だ。なんだけど……。
「〈変身〉の魔術を永続化すれば、或いは……。しかし、あれは非常に難度の高い術で、変身自体もですが、維持する方は遙かに難しいのですよ」
「……はい、存じております……」
私も魔術師の端くれですからね。その魔術自体は知っているし、師匠ですら使いこなせない程に難しいのも知っています。
「〈変身〉の永続化、それが出来るのでしたら、私も興味はありますが――」
と、ぶつぶつと詠唱を始めたと思ったら、ラグエル様の姿が――おお、私と瓜二つに。
「ラグエル様は、魔術もお使いでいらっしゃるのですね」
「ええ、立場上、そのことについては公言しておりませんが」
そう言って、悪戯っぽく聖女スマイルを見せてくれるラグエル様。声まで私に似せているとは、これでは傍から見たら区別が付かないだろうね。
「それは、何故です?」
「……サリエルなどのように、『魔術は悪魔が広めた物』などと毛嫌いする者も居りますので」
「ああ……」
魔術というのは、天使が広めた物ではない。今の言葉通り、悪魔が広めた物だ。サリエル様のような旧体制派が嫌うのも理解は出来る。
「それにしても……鏡でもないのにわたくしの姿が目の前にあるというのは、不思議なものですね……」
私は立ち上がって、私に化けたラグエル様をまじまじと観察させて頂く。へぇ、私の後ろ側ってこうなってたんだ。それにしても、難しい筈の〈変身〉をこんなに長く維持しているとは、流石は大神術師と呼ばれるだけある。
「ええと……聖女リーファ?」
「もう少し、近くで見せて頂け……わきゃっ!」
「きゃっ!?」
ラグエル様の隣に座ろうとして蹴躓き、私は私に倒れかかってしまった。彼女が手にしていた紙の束が周りに舞ってしまう。
「………………」
「…………ええと」
なんだこれ、私が私を押し倒している。二人とも何も言えず、奇妙な沈黙が部屋を支配した。
「リーファ、ラグエルが来ているだろう? 入るぞ」
「えっ!? メ、メタトロン様!?」
ごんごんと無骨なノック音と共に聞こえた声に、慌てて立ち上がろうとするも、手が滑っ――
「わぷっ!?」
「失礼す……って……」
私が私、じゃなくてラグエル様の胸に顔を埋めたところで、返事も待たずに入って来たメタトロン様が、状況を理解出来なかったのかそこで言葉を止めてしまった。なんで乙女の部屋へ勝手に入ってくる男ばっかりなの!
「……なんだ、その……。俺は何も見ていないが、神に背かない程度の行為にしてくれ、ラグエル?」
「ご、誤解ですメタトロン!」
変な気を利かせて部屋を出て行こうとしたメタトロン様に、目の前の私は泣きそうな声でそう叫んだのだった。
◆ひとことふたこと
実家に居た頃も、アナスタシアとリーファちゃんはシャムシエルを厨房へ近寄らせなかったようです(笑)
リーファちゃんがリーファちゃんに押し倒されてリーファちゃんのリーファちゃんが大変なことになる所でした!
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次回は明日21時半頃に更新予定です!