第一三三話「一枚岩で無いことがよく分かる」
「そちらから来てくれるのは好都合だな、マスティマよ。観念する気になったのか?」
抜剣して今にも飛びかからんとしているアザゼルの言葉にも、マスティマは残った左手で口元を覆い、クスクスと笑って見せた。
「ご冗談が過ぎますわ、アザゼル。一体何に観念する必要があるのでしょう? 貴方がたは神に背いた存在。ですからわたくしが神罰を与えに来ただけですわ」
「こちらは聖……女が一人、堕天使二人、天使が二人、それに加えて地竜や軍勢が居る。最早貴様一人がどうこうして抗うことなど出来んぞ」
アザゼル、今、聖女って言うの躊躇してたな。もう誤魔化しは利かないらしい。泣きたい。
でも彼の言う通り、単騎の、しかも片腕を失っているマスティマが私たちに抗えるとも思えないし、彼女だって分かっている筈だ。しかしそれでも悪魔の天使は、不気味に笑っているだけだった。
「あらあら、怖いですわね。でも、アレを見ても同じことが言えるのでしょうか?」
そう言ってマスティマが指さしたのは……エーデルブルート軍とナビール軍との戦場? 一体何が……って……?
「え、アイツらみんな、こっちに向かって来てない?」
本当だ。視力が高いサマエルさんでなくとも分かる。遠くで交戦していた筈の両軍が、怪しげな足取りでこちらへ向かっている。その中には地竜すらも含まれていた。
「……マスティマ、何をなさったのですか」
「わたくしは何もしておりませんわ、偽りの聖女よ。わたくしの可愛い死霊たちが、母を虐める背信者たちを許さぬ為に向かってきているだけですわ」
そこまでマスティマが話したところで、何かに気付いたようにアザゼルの顔色が変わった。
「貴様……そうか、巨人の死霊共を使ったのか!」
「使っただなんて人聞きの悪いことを。皆、自分の意思で彼らに取り憑いているのですわ」
……そうか、何時だったかミスティが私たちの元へと訪れた次の日、巨人の死霊がシュパン村を目指していたことがあった。彼女はこんな奥の手を持っていたという訳か。
ちなみにここから少し離れた本陣で指揮を執っているテオドールさんたちは、予想だにしなかった状況に大混乱している。無理も無い。
「聖女リーファ、念の為に聞くが、あれらの解放は……」
「……難しいですね。霊体であれば昇天させることは容易いですが……少々強力な奇跡が必要になります。それに……」
「分かっている。あの数だしな」
うん、見た感じ一〇〇人以上と一一頭が死霊に憑かれている。これを解放するのは……出来なくないけど、神気を使い果たしかねないね。
「何より、まずはマスティマを――」
「お待ちください、聖女リーファ」
私が長杖を構えた所で、後ろからザアフィエルさんに止められた。……そう言えば、この方は上司のサリエル様にマスティマの捕縛を命じられているんだっけ。
でもねぇ、マスティマが大人しく捕まる訳無いでしょ。捕まえた途端自爆魔術だって使いかねないよ、この狂人。いや狂天使?
「力天使マスティマよ、聞きたいことがあるのだが」
「まあ、ザアフィエル。貴女は偽りの聖女リーファ側に付いているのですか? この偽りの聖女に?」
偽り偽り五月蠅いなっ。私だって自分が本当は聖女なんかじゃないってことくらい分かっているんだよっ!
「……聖女リーファは、神国も認めている存在だ。貴様がどうこう言える立場では無い。弁えろ」
「貴女こそ分かっていらっしゃいませんわ、ザアフィエル。わたくしはこの者の側に居てはっきりと理解したのです。神の存在が唯一であることを否定し、存在してはならない筈の魔族を妹と呼ぶ。その上そのように二人も悪魔を従えている。これが信仰の否定でなくて何だと言うのですか」
いやあんただって悪魔だろがい! って言ったら「わたくしは天使ですわ」って返ってくるので言わないけど。「従えられてないしー」とか後ろでサマエルさんが抗議してる。ちょっと黙ってて。
「信仰を強制するな、マスティマ。そのような時代は一〇〇〇年も前に終わったのだ」
「人間が神を信仰することは、義務ですわ。強制と言われるのは心外ですわね」
うーん、傍から聞いていて平行線というか、噛み合っていないというか、マスティマの感覚が常軌を逸脱していて交わる気がしない。神国もよくこんな悪魔を飼っているなぁ。
「ザアフィエル、コイツと問答は不可能だよ。いい加減に黙って貰おう」
そう言ったサマエルさんの弓を引き絞る音がした次の瞬間――
「え?」
私だけでなく、他の誰かの口からも、唖然とした声が漏れた。
マスティマは額をサマエルさんの矢に貫かれ、勢いを受け、きりもみしながら後ろへと落ちていったのである。
……あれだけ神罰だの何だの言っておいて、あっさりと死んだ?
「……いや、まだじゃのう」
それまで黙って私たちのやり取りを窺っていたペル殿下が、丘の斜面に落ちて行ったマスティマを見ることも無く、私の考えを読んでいるかのようにそう呟いた。
「聖女様!」
と、おや? マスティマの死体を確認しに行こうかと思った矢先、本陣に居た筈のテオドールさんがやって来た。部下たちを置いて離れて大丈夫なんだろうか。
「聖女様、少しお話が御座います。我等に向かってきているあの兵たちなのですが……」
「あ、はい、テオドール様。あれは――」
いつもの強面、いつもの口調で話しかけられ、私は完全に油断していた。
だから――
一瞬で抜き放たれたテオドールさんの剣を、私は躱すことが出来なかった。
◆ひとことふたこと
マスティマは神の管理下へ戻る時、「役に立ちますぜ」と言って巨人の悪霊たちを大量に連れ帰っています。
いやホント……こんなの飼ってて大丈夫ですか神様。
リーファちゃん斬りつけられました!
安否は次回!
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次回は明日21時半頃に更新予定です!