第一〇九話「そんなこと出来る筈が無いだろう!」
名も無き山の名も無き道をどれくらい登っただろうか。かなり標高も高くなっており、寒さが辺りを支配している。私はコートを着込んでいるからいいけど、三人は大丈夫だろうか。
「あそこだ」
アザゼルが指を差したそこには――
「暗くて見えません」
「まぁ、そうだろうな。あそこには古代の神殿がある」
「古代の神殿?」
こんな所にそんなものがあったのか。こんな状況でなければ心躍っているのだろうけれど、生憎そんな気分ではない。
アザゼルの案内で建物の入り口をくぐると、奥の方に扉が見えた。
「あの奥に、今回の誘拐犯が居る。俺が案内出来るのはここまでだ」
「……分かりました」
私はアザゼルを置いて一人通路を進み、扉を開いた。
扉の奥の部屋では壁に松明が架けられており、結構明るく、中の様子をしっかりと照らしていた。
部屋の奥には祭壇が一つ。その上にはアンナが寝かせられている。今すぐ駆け寄りたいが、そうもいかない。
何故ならば、その左手前あたりに見覚えの無い悪魔が立っており、足元で倒れている母さんとミスティさんにサーベルを突きつけているからだ。
悪魔は人間で言えば三〇代後半くらいの男性で、アザゼルよりは背が低そうだけれども身につけた鎧の上からでも分かるくらいに体格は良い。きっちりと髪をオールバックにしており、鋭い眼光は見る者を萎縮させてしまいそうだ。黒い翼はアザゼルとは違い一対だけである。
「約束通り一人で来てくれたか、聖女リーファよ」
「……一人で来なければ人質の命は無い、と言ったのは貴方がたの方でしょう」
「そうだったな」
さして感慨も無い様子で答える(見た目は)中年の悪魔。この悪魔がアザゼルに指示を出したり、村を襲ったりしていたのだろう。
「先ずは自己紹介をしておこうか。私の名はシェムハザ。見ての通り悪魔だ」
「……そうですか」
はっきり言ってこの悪魔の名前とかどうでも良いんだけど。三人を誘拐した犯人なのだし、長い付き合いになることは無いだろう。
「それで、人質の解放条件は何ですか?」
「早速だな、聖女リーファよ」
「当たり前です。早く三人を解放してあげたい。そのためにここへ来たのですから」
「……そうだな。では、これを」
何か含みのある感じで、シェムハザは私の足元に向かって何かを放り投げた。小さな金属音が鳴り響く。
見ればそれは何の変哲も無いナイフだった。少しだけ刃が長いことくらいが特徴か。
「……これで自害でもしろと仰るのですか?」
私の軽口に、無言でシェムハザは祭壇の上を指さした。
……まさか?
「……あの魔族を殺して貰う。それがこの二人の解放条件だ」
「なっ!?」
アンナを殺すことが、母さんとミスティさんの解放条件だって!?
「何のおつもりですか! 私に妹を殺せと仰るのですか!?」
「そうだ」
憤慨する私にも、あくまで冷静に頷くシェムハザ。冗談じゃない! そんな事が出来るか!
「何故そのようなことをしなければならないのですか! 理由を言いなさい!」
「………………」
シェムハザは答えない。ただの幼い紅魔族の娘であるアンナの命を奪うことで、一体彼らに何の利があると言うのか?
「出来ぬのならば、まずは貴様の母親を殺す」
「くっ……」
私に、母親と妹の命を天秤にかけろと言うのか。頭の中が怒りで真っ白になる。
……いや、冷静になれ。
何故コイツはわざわざ私に手を下させるんだ? 私が来るまでにアンナの命を奪うことなど、コイツには容易であった筈だ。
もしかして、この状況にこそ意味があるのか?
だったら、もう躊躇うことは無い。
私はナイフを手に取り、アンナが寝かせられている祭壇へ近づく。シェムハザの居る場所を通りすがったけれども、彼は微動だにしなかった。こちらが何をしても対応出来るということなんだろう。
でも、一瞬の隙さえあれば良い。
「ふっ――」
「なにっ!?」
私はナイフをアンナへ振るう事無く、シェムハザの顔面へと投げつけた。まさかこんな愚行を犯すとは思っていなかったのだろう、彼は咄嗟に手にしたサーベルでそれを受けてしまった。
そのままシェムハザにタックルを仕掛ける。よろめいただけだったが、これで良い。
「来なさい、〈隠された剣〉! 私と相対する悪魔を斬り裂いて!」
そう叫んだ瞬間、開いたままだった扉の向こうからアザゼルの驚く声と、空気を斬り裂く音。
「くっ! 自動攻撃の剣か!」
超高速で飛来したにも関わらず、シェムハザはサーベルを使い巧みにそれを受ける。しかし相手は身体を持つ者が振るっている訳では無い、剣そのものである。剣技の常識が通じないようで、斬撃を受けることで精一杯のようだった。
家を出る前、〈隠された剣〉の主をシャムシエルから私に切り替え、私の後を一定の距離を離れてついて来るように命令しておいたのだ。自動攻撃してくれる剣であれば、一人剣士が居るのと変わらないからね。
今のうちに母さんを起こしにかかる。杖無しとは言え、〈隠された剣〉と魔術師二人ならば対抗出来る筈だ。
「お母様、起きてください!」
「んん……リーファちゃん、もう朝……?」
ああもう寝惚けてるよ! そんな状況じゃないんだってば!
でも母さんは目を擦り周りを見回した瞬間、どういう状況かを把握したようだ。すぐに立ち上がり、こちらはまだ気を失っているミスティさんを引き摺ってアンナの近くへと移動する。
さて、状況は変わった。これから反撃の時間だ!
◆ひとことふたこと
シェムハザは前述したアザゼルの200人ナンパ計画に乗っかった天使たちの代表です。
グリゴリという堕天使の軍団で代表の一人を務めていました。
名前は、シェム(名前)とアザ(強い)の合体語です。
三章ではクォデネンツ大活躍ですね!(笑)
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次回は明日21時半頃に更新予定です!