第一〇八話「シャムシエルの苦悩を、私は分かってやれない」
「ふぅ……、ふぅ…………」
ミスティさん、母さん、アンナが攫われたその夜、私は案内の悪魔に付き従い西の山を登っていた。既にサマエルさんが封印されていた場所よりも標高の高い位置まで来ており、私は疲れで足取りも重くなっていた。
「……おぶって行くか?」
「……結構です」
案内であるアザゼルの言葉に、私はぴしゃりとお断りを返した。彼は「そうか」とだけ答え、再び辺りに沈黙が戻る。
何故こんな事になっているのか。そう、事は一時間ほど前に遡る。
「………………」
「………………」
「………………」
三人が攫われ、サマエルさん、シャムシエル、私の三人は手掛かりも見つけられないままに夜を迎え、疲弊したまま沈黙の支配するリビングに集まっていた。
アザゼルはと言うと、「心当たりがある」と言いつい先程出て行ってしまった。まぁ、彼に命令を下している者の犯行ならば、居場所の見当も付くのかも知れないね。
「……アンナ、寂しがってないかな……」
「そうだねぇ……」
サマエルさんも心配なのだろう。いつもアンナが大事にしているお人形を弄っている。私が造ってあげたものだ。
片やシャムシエルはというと、どうしたら良いのか分からない、そういった表情を浮かべてただ座っていた。
「……あのさ、シャムシエル」
「…………なんだ、リーファ」
少し応えに間があった。恐らく私の言いたいことが分かっているんだろう。
「シャムシエルは、本当はこうなるんじゃないかってこと、分かっていたんじゃない?」
「………………」
答えは返ってこない。図星なのか、それとも答えられないのか。
最近のシャムシエルはいつもこうだ。何をおいても明確な返答をくれない。もしかしたら彼女まで誘拐犯と繋がっているのではないか、とさえ勘繰ってしまう。
「シャムシエルはさ、何を隠しているの? ミスティさんに気を付けろとは言われたけど、具体的にどう気を付けたらいいのか、彼女の正体が何なのか全く分からない。黙っていないで教えて貰えないと分からないんだよ」
「………………」
「ねえ、シャムシエル、お願いだから――」
「リーファちゃん、そこまで」
矢継ぎ早に詰問する私を、サマエルさんが鋭い口調で止めた。少し怒っているのかも知れない。
「天使にとって規則っていうのは最も重要なことなんだ。それを破ると長い長い間幽閉されたり、神に背くような規則違反の場合は堕天使にされることだってある。シャムシエルだって言いたいのを我慢しているんだよ」
「規則って……、でも、だって……!」
私はそこまで言ってから、サマエルさんの言葉を頭の中で反芻し「ごめん」と呟いた。望まずに堕ちるというのは、彼女たち天使にとって耐え難き屈辱なのだろう。
シャムシエルは相変わらず何も言わず、再び沈黙が支配する。
そんな中、玄関のドアベルが鳴った。母さんたちが帰ってきた? と一瞬思ったけど、それならばドアベルを鳴らす必要は無い。
私たちは三人で玄関に向かうと、やはりというかなんというか、そこにはアザゼルが居た。
「アザゼル……、三人の居場所は分かりましたか?」
「……ああ」
そうか。となると、やっぱりこれはアザゼルに命令を下している者の犯行なんだね。
「それで、な。そこへ連れて行けるのは、聖女リーファよ、お前だけだ」
「………………」
何となく、そんな気はしていた。誘拐ならば向こうが良い条件となるように仕向けるだろうしね。
「三人を返して貰うための条件は何ですか?」
「それは現地で話すそうだ。そこまでは俺が案内する。夜の山道を往くので、足元に気を付けてくれ」
私は急ぎ出掛ける準備を始めた。山道ということだし、火を使わない魔道具のカンテラやコートを用意する。長杖は……持たせて貰えないだろうな。
「その……リーファ……」
急ぎ準備を進める私の背後で、シャムシエルの声がした。何かを伝えたいんだろうけど――
「……無理しないでください、シャムシエル。こちらはこちらで、なんとかいたします」
「…………すまない」
「ですが、その代わり――」
私はぴっと指を立て、項垂れるシャムシエルに一つのお願いをしておいた。
◆ひとこと
彼女たちのような天使にとって規則のような約束事はとても大事なものなのです。
約束を破る、嘘を吐くことは神に背くでもあるからです。
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次回は明日21時半頃に更新予定です!