第一〇話「ロングスリーパーの彼女は元超偉いお姉さんだった」
「……リーファ、ここは神の御許か?」
「いや、たぶん死んでないからどいてくれると助かる」
吹っ飛んできたシャムシエルが僕の背中に圧し掛かっている。この天使さんは胸甲と腰鎧を身に着けてる上に翼まであるから重いったらありゃしないけど、女性にそれを言うのは憚られるので余計なことは言わずにおいた。ルピア……だった魔族の子は気を失っているのか、シャムシエルに抱えられてぐったりとしている。
聖女の力による〈聖壁〉でも爆発の力は抑えきれなかったらしい。っていうか穴が開いてたしね。そこからヒビが入って壁が壊れたけど、どうにか被害は最小限に食い止めることが出来たみたいだ。その証拠に壁の向こうの木がなぎ倒されて――
「……そっちを忘れてたなー……」
「え? ――あ」
顔を引き攣らせた僕の視線の方向を目で追ったシャムシエルも、事態を把握したようだった。
周りの岩が吹き飛んだ古代遺物の上で、一人の女性が立っている。褐色の肌に流れるような銀色のロングヘアと洋紅色の瞳を持ち、身長は僕より少し高いだろうか。フレッシュグリーンを基調としたポロシャツとモスグリーンのホットパンツ、左側だけ守る胸当てと、狩人のような服を身に着けており、年の頃は二〇歳くらいに見えるけどその感想はたぶん意味を成すまい。前髪で右目が隠れているのが印象的な人だ。いや、人ではなく――
「まさか、封印されていた悪魔、か?」
「だと思う」
シャムシエルの予想は正しいだろう。あの場所にいきなり現れた存在なのだから。
その女性は左目だけで僕たちをしっかりと見据え、小さく溜息を吐いた。
「まったく、手荒な起こし方をしてくれるじゃない? 流石のアタシも眠気が吹っ飛んだって。ねぇ、そこの天使と人間、魔族は――眠ってるかぁ」
これは、古代神聖語? 悪魔だというのに意外だ。それにしても意外と軽薄な感じの人だな、いや悪魔?
「す、すみません。いえ、起こしたのは僕たちじゃないんですけど、もしかして悪魔さんですか?」
自分でも間抜けな質問だと思うけど、他に言いようが無いので仕方ない。
悪魔らしき女性は僕の言葉にカラカラと笑うと、美しい髪を掻き上げた。その拍子に隠れていた右目も見えたけど、そちらは閉じられていた。もしかして見えないのだろうか。
「アタリ。アタシの名はサマエル。神に背いて堕天した愚かな悪魔。よろしくねー」
サマエル? はて、何処かで聞いたことあるな?
「サ……サマエル様、だと……?」
ん? シャムシエルが顔面蒼白になっている……様って言った? 堕天したって言ってたし、元上司なのかも知れない。
「えっと、シャムシエル、知り合い?」
「私程度が知り合いの筈が無い……三〇〇〇年以上前に、神の御前に立ち、我等能天使を率いておられた方だぞ……?」
ギギギと音を立てて首だけでこちらを見たシャムシエル。脂汗が凄い。
……て、え? 神の御前って、あの神の御前に居るという七天使? この悪魔さん、堕天する前はそんな偉い天使だったの!?
「ねえ?」
「うわっ!?」
気が付くと目の前でサマエルさんが不満そうに頬を膨らませていた。い、いつの間に移動したんだ。こわい。
「アタシは名前を教えたのに、そっちは教えてくれないワケ?」
「……あ、失礼しました、僕はリーファです。こちらはシャムシエル、こっちの気を失っている子は分かりません」
「ふーん、なんかキミ、オスの匂いがするね。女の子の格好してるけど、男の子なの?」
どっきーん。
「い、いえ、事情があって女の子やってます……」
「あっはっは、何ソレ、おもしろー」
ケラケラ笑うサマエルさんである。ノ、ノリが軽いなー。
「で、そこのシャムシエルはアタシを知っているの? アタシどのくらい眠ってたか正確に分かる?」
「………………」
「あーら、無視? まあでも? さっきの話を聞いた限りじゃ三〇〇〇年以上眠ってたみたいねぇ」
意地悪をされたにも関わらず、全然残念そうではない様子でサマエルさんは、小悪魔チックな笑顔を浮かべながら肩を竦めた。いや、話を聞く限りじゃ小悪魔じゃなくて大悪魔なんだけどさ。それとたぶん、シャムシエルは無視しようとしたんじゃなくて、悪魔、しかも元上司という相手にどう反応したらいいかわからなかったんだと思いますよ。
「さて、と。じゃあアタシは行くから」
サマエルさんが突然そう言った途端、彼女の背中から魔力で出来た六対の黒い翼が生まれた。どうやら堕天使だというのは本当だったらしい。古代神聖語を操っているのにも納得だ。
「行くって何処にですか?」
「久しぶりに目覚めたからねー。ルシファーくんの気配もするし、会いに行ってみようかなって」
ルシファーくんって……もしかして南の魔帝ルシファーのこと? なんかもう、スケールの大きな話ばっかりで驚かなくなってきた。
でも何だか、この悪魔をこのまま行かせては非常にマズい気がする。現場に居合わせた人間として。
それに、あの死霊が何故この悪魔さんの封印を解いただけで放置しているのか分からない。このお姉さんが知っている事情を聴けるなら、聴いておいた方がいい。
「お……お待ちください」
「んー? 何よ、シャムシエル」
「何故貴女がここに封印されていたのか、理由を教えて頂けませんか?」
シャムシエルもこのまま行かせてはマズいと思ったのか追いすがったけれど、サマエルさんはニコニコと微笑みながらも左目は笑っていない。たぶんさっきのことを根に持っているんだろう。
「えー、さっき意地悪されたし、イヤ。虫が良すぎると思わない?」
「それは……! その……、何と言いますか……どうお答えすれば良いか分からなかったのです。……申し訳ありません」
「あっはっは、じょーだん、じょーだん」
サマエルさんはケラケラ笑ってばしばしシャムシエルの肩を叩いた。傍から見ていて胃が痛いんだけど……。
「でも、そうだなー。教えても良いけど、条件があるよ」
「条件、ですか?」
「そう、ゲームに勝ったら教えてあげる」
取り敢えず飛び立つつもりは無くなったのか、サマエルさんの黒い翼が消え失せた。
そして彼女が説明したそれは、僕たちの力で彼女の射る矢を七本防ぐことだという、命懸けの過酷なゲームだった。
◆ひとこと
堕天使=本物の悪魔の登場ですね。
サマエルはシャムシエル同様旧約聖書にも登場しているようです。
この世界における神の御前の天使は他のどの天使よりも立場が上です。
サマエルはヘブライ語で「神の毒」という意味。コワイ。
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