鎌倉市
JR横須賀線のホームから階段を降りて改札へ。西口から出て海岸の方面へ歩く。目指すは「鎌倉市中央図書館」。マップを確認する。
御成通りの適当な十字路で右に折れる。徒歩7分と記されていたが、時間の経過を感じる前に図書館を示す看板が見えた。 もっとも、私は身長のワリに歩くのが速いからかもしれない。
小学校を右手に、ぐるりと緩い坂道を上る。 しばらくして建物が視界に入る。窓ガラスには一文ずつ[お][は][な][し][会]と印刷された紙が貼られている。ホームページには「駐車場3台」と載っていた。市立図書館の中核機能を備えた中央館にしては少ないキャパシティだ。 が、明治44年から続くひっそりとした佇まいは、妙な安心感を醸し出していた。
入るとすぐに、もう日常風景となった飛沫対策のビニール製のカーテン。2つ並んだカウンターには先客がいた。私よりも二、三十歳年上と思われるご年配の利用者が職員に話しかけていた。
「源頼朝の本を予約したんだけどね。やっぱりね、別の、これ、この本にしてほしいんだけどね。」
ホームページや、館内のOPAC(検索システムなどを操作するパソコン)を使えば、利用者自身が予約を変更することができる。しかし、コンピュータシステムに不慣れな利用者のために、ほとんどの図書館では、カウンターを通じて手続き可能だ。
「文庫本と単行本があります。どちらになさいますか?」
「寝るときに読む本だからね。小さい方がいいなぁ。」
「では文庫本でお探ししますね。」
やり取りをわき目に、もう一つのカウンターへ。 「すみません」と声をかけた。
「鎌倉市民ではないのですが、図書館カードを作れますか?」
「どちらにお住まいですか?」
自分の住む自治体の名前を言った。
「それでしたら、大丈夫ですよ。鎌倉市にお勤めですか?」
「いいえ。在勤ではないのですが・・・」
「お勤めでなくても作れます。もし在勤でしたら、リクエストができるのでお聞きしました。」
<リクエスト>とは未所蔵の資料に対する予約のこと。私はリクエストができなくても、特に問題は無い。
カードはすぐに発行してもらえた。名前の欄はブランクになっていて、本人がサインペンで記入する形式だ。 つづけて、職員の方が親切に館内の設備や利用の方法の説明をしてくれた。
貸出冊数の制限は通常[10冊]だが、今は外出を自粛している利用者のために、[無制限]としているとのことだ。
一通りの説明のあと、館内を見学する。2階には鎌倉の歴史に特化した書架も設置されていた。1階と同様に数台のOPACあり、「貸出機」という貼り紙を掲げる端末もあった。
利用者自身が資料番号をバーコードで読み取ることで、貸出処理が完了する仕組みだ。これも非接触を目指したものなのだろうか。 さっきの頼朝はこのハードルを越えることができるだろうか。
図書館を出てからは北に進む。今度は左手に小学校を見る形だ。正門。鎌倉に最初に住んだ文学者と言われる[高浜虚子]の字で書かれた校名の看板が眼を惹く。とても小学校とものとは思えない存在感。
約束の時刻までにはずいぶんと間があったが、今小路を経由して小町通りとへ抜ける。ランチに使えそうな店に目星をつけて、待ち合わせの場所、鎌倉駅東口へと到着した。
ほどなくして、彼らは姿を見せた。今日の来談者は二人組だ。
ひとりは、取り外した黒のワイヤレスイヤフォンをケースにしまうのにやや手間取っていた。「さっきアマゾンから届いたばかりだから」と解説を付け足しながら、黒いスニーカーの靴紐を結びなおす。
一方、チュールスカートが印象的なもうひとりは、そのやり取りの間も、どこか疲弊した表情を浮かべていた。
とりあえず私たちはランチを済ませ、今、御成通りのカフェにいる。小町通りにも同じ系列の店があったのだが、そこは少し混雑していた。少し静かな雰囲気を求めて、足をのばすことにした。道中は時々私とスニーカーが言葉を交わす程度。チュールスカートは、「・・・ちょっと、歩くのが早すぎます」と、ささやかに吐露しただけだった。私にとっては二度目の御成通り。
「もうひとり妹がいる。だけど・・・ずっと眠ったままなんだ。」と黒スニーカーが切り出した。
”1か月前から目を覚まさない妹”とチュールスカートの彼女は双子なのだと言う。
「あの日、妹の部屋からはずっとピアノを弾く音が聞こえていた。深夜になって静かになっても顔を見せない。だから、不安に思って覗いてみたんだ。そうしたら、もう意識は無かった。」
私が返す。「はい。そこまでは事前にお聞きしていた通りです。妹さんは資格を取得するために学校に通っていて、近頃は落ち込んでいた様子だとも。」
「妹が眠ってしまったけどあの日から、コイツが妹を”引き継いでいる”という話も覚えてるよな?」
「コイツ」と言われたチュールスカートの彼女が少し上目遣いでこちらを見た。私にはまだ彼女の心情を推し量ることができない。
「そこなんです。”引き継ぐ”とは具体的にどう言うことですか?何を引き継いでいるのですか?」
「全部。生活のすべて。妹の代わりに登校して、妹に届いたLINEににもすべて返信してる。」
聞けば、学校生活にも溶け込んで、勉強にも問題なくついていける。それどころか、学力優秀の成績上位。「だとすれば案ずるようなことは何も無いのではありませんか?」と、それが正直な感想だった。が、事態は少し特殊な方向に向かっていたようだ。
「コイツは過去のLINEのメッセージや、教室での会話の中で、交友関係も難無く引き継ぐことができた。・・・だけど、クラスメイトの中にひとり、妹との関係が推測できない男が居たんだ。」
黒スニーカーがチュールスカートに目配せすると、無言でLINEの画面を差し出してきた。その男はいつも同じ時間に他愛のないメッセージを送り続けている。{おはよう!}{元気?}{今日も一日頑張ろうね!}・・・と。
「お付き合いなさっている男性では?」
「・・・分からないんです。」
口数少ない彼女が、やっと気持ちを明らかにしてきた。
「毎日こんなメッセージを送ってくれるのだから、きっと好意があるのでしょう。だから、それにふさわしい返事をしています。ところが、学校ではまったく逆で・・・他のクラスメイトとは明らかに感じの違う接し方・・・むしろ避けられているように冷たく感じる事すらあります。それでも私はこの人との関係を継続しなくちゃいけない。でも、そもそも、その”関係性”が何なのか分からないのです。」
確かに、その男性と彼女の関係性は何なのか、今も眠り続ける<もう一人の彼女>しか知りえない。もしこの男性が「彼女と付き合っている」と思っているなら、それなりの出来事があったのだろう。しかし、そのキッカケとなる気持ちを、思い出を、<今の彼女>は持ち合わせていない。
「その男性は、今のあなたが別人だと言うことに気づいてないのでしょう?それはつまり、彼にウソをついていることになりませんか?いや、彼だけでなく、あなたの周りのすべての人に対してですよ?」
「・・・そうなのかもしれません。でも、そうだとしても、私が関係を壊してはいけないんです。ウソだとしても、もう後戻りできません。だから・・・もう、本当に苦しくて・・・」
重い沈黙が訪れた。
<カラーン>
沈黙を割いたのは、テーブルに投げ出された一組のワイヤレスイヤフォン。しかし、さっきケースにしまったものとは別のセットだ。色は白。
「ずっと探してたんだ。どこを探しても見つからなかった。でも、こんなところにあったんだ。バックのこのポケット。ウケるなー。どうして今まで気づかなかったんだろう。」
まだこの話にゴールは示されていない。いま私たちにできることは「彼を観察すること」だ。
彼と彼女の関係はこのまま分からないままなのかもしれない。でも、意外な形で答えが見つかるかもしれない。
私はこの物語の先を見届けたい。だから、また次の図書館を探すことにしよう。