第一章 その9 幼き混血の少女
「(置いていこう)」
「(それでいいのね?)」
ジェンの決断に対して、アオイが確認を取ってくる。
「(どう考えても、このままこの子供たちを連れて移動するのは色々とリスクが高過ぎる)」
「(まあ、そうね)」
「(無責任なのは百も承知だけど、命が助かっただけでも良しって思ってもらおう)」
「(まともな警備局の人間が来ればいいんだけど)」
「(そうだな)」
警備局の人間がどう動くか分からない以上リスクはある。
だが魔獣に生きたまま食われる以上の悲惨な状況など、そう簡単には起こらないだろうとも思えるのだ。
「君たちはこのままここに残ってると良い。じきに助けが来るから」
子供たちに一声かけておくと二人は同時に動き出した。
ジェンはアオイから手渡された外套を身に纏う。お互い顔を見合わせて頷きあい、すぐ傍にある出口へと向かおうと動いた。
するとジェンは纏った外套の裾を誰かに引っ張られた。何となく嫌な予感がして、その裾が引っ張られた方へとゆっくりと振り向ける。
予想通り、裾を引っ張っていたのはドミだった。相変わらずの躊躇のない行動に脱帽である。
黙ってドミを見ていると、小声でポツリと呟いた。
「一緒に行く」
「……あのな、お母さんに知らない人についていっちゃダメって言われてんじゃないの?」
「うん。でも知ってる人だから」
どうやら正体がバレていた様だ。それともあの時と同じ様な外套を纏った事で気が付いたというのが正しいのだろうか。
「俺についてくると危険な目に合う可能性が高いんだが?」
「一緒に行く」
仮面の奥の目を覗き込むようにしながら、ドミが宣言する。
このまま無理やり置いていってもいいが、これも何かの縁と判断しジェンはドミに背中を向けるとしゃがみ込んだ。
「家までは送ってやる」
「ありがとう」
ドミが背中に乗ると、その様子を黙って見ていたアオイに合図を送った。
アオイが先を行く形で、舞台の壁にある扉から外へと向かう。
十分後、三人はパーティー会場のあった屋敷から無事に脱出したのだった。
◇◇◇
ジェンとアオイは仮面を外して大通りから一つ隣の路地を並んで歩いている。
ここら辺りは、まだそこまで治安は悪くない。まばらではあるが、それなりに飲食店や宿などがある場所だからだ。
「罠の一つくらいあるかと思ったけど、何もなかったわね」
「どうやらあの暗殺者は徹底的に俺たちの事を敵にしたくなかったみたいだな」
「混血の事を知ってたみたいだし、ターゲットが被っただけのただの同業ではないと思うけど」
「まあ、こっちを狙ってこないなら今は放っといて良いんじゃないか?」
「そうね。それよりも、その子供はどうするの?」
アオイがジェンの背負っているドミへと目線を移す。
ドミはジェンの背中でいつの間にか眠ってしまっていた。
「一応、家までは送り届ける。それでこの子とはお別れだ」
「じゃあ行きましょう」
「えっ? 一緒に来るのか?」
「ダメなの? その後、仕事の打ち上げに一緒に食事でもって思ったんだけど?」
「奢り?」
「今日は割り勘。奢りは今回の仕事料を貰ったら改めてでどう?」
「了解。んじゃ、ちゃっちゃとこの子を連れていこう」
「そうね」
珍しくアオイが満面の笑みになった。
どうして急にこんなに機嫌がよくなったのかジェンにはその理由がサッパリわからない。だけど彼女の機嫌がいいなら特に何かを言う必要もないと黙って二人で連れ立って歩くのだった。
◇◇◇
薄暗い路地を抜け、ドミの住む家のある地下街へと向かう。
その途中でややこしそうなのが絡んできそうな雰囲気が何回かあったが、全員ジェンとアオイに睨まれた瞬間にそそくさと逃げていった。
地下へと続く階段を下りてドミの家までの薄暗い道を歩く。前回来た時と変わらず、ボロボロの家が建ち並ぶ中、所々にランプの灯りがあり、周辺には人影があった。
けれど地上の裏路地とは違い、地下に住む人々がこちらに興味を示す事はそんなにない。こちらに無関心であるならば、ジェン達も特に何かをする理由もない。
その結果、ドミの家にはすんなりと到着した。
いまだ自分の背中で眠るドミを背負ったままジェンはゆっくりと扉を叩く。何度か扉を叩いても中からの応答や反応はない。
ジェンはそっと扉に手をかけて動かすとやはり扉には鍵がかかっていなかった。
家の中には病気だという妹と年老いた母親がいるはずなのだが……
「留守なの?」
アオイが話しかけてくる。
「どうかな。ただ妹が病気らしいから、その子はいると思うんだけどな」
意を決して、ジェンは扉を開く。すると室内に誰かが倒れているのが目に入った。
慌てて家の中に入った瞬間、ジェンの身体に嫌な感覚が絡みついたのである。
「ぐっ……アオイ、ドミを頼む!」
咄嗟に背負っていたドミを扉の外へと放り出す。それを背後にいたアオイがキャッチした。
「なに、どうしたの?」
「家の中に入ってくるな!」
ジェンの身体中に纏わりつく嫌な感覚、そこから何か力を奪われていくのが分かった。
それでもジェンは何とか倒れている人物の元へと移動する。
想像通り、倒れていたのはドミの母親だった。しかも何故か昼に会った時よりさらに年老いており、殆んど生気が感じられない状態だったのだ。
「これは?! あの母親なのか、クソッ! 一体何が起こってるんだ!」
母親の身体を抱き上げると、一足飛びに移動して扉から家の外へと脱出した。
「ガハッ、ハア、ハア、クッ」
パーティー会場では息一つ乱さなかったジェンが、膝をつき必死に息を整える。
すると少し離れた場所にいたアオイが心配そうに傍に駆け寄ってきた。
「何があったの?」
「アオイッ! それ以上、家に近づくな!!」
ジェンの忠告にアオイの動きが止まる。
「一体どういう意味?」
「……力を吸われた」
「へ?」
アオイの頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。だがジェンは疑問には答えようとせず、家の入口に厳しい視線を向けたままである。
「なるほど、母親がこうなった原因はそういう事だったか」
ジェンが何かに納得した様に言葉を漏らすと扉の奥から小さな人影が姿を現した。
「お母さん、どこにいるの? お母さん……」
母を探しながら外へと出てきた小さな人影の正体はエメラルドグリーンの髪色に翡翠色の瞳をした幼い少女だった。
ただし、髪は整えられておらず伸び放題でボサボサでうねっており、衣服もボロ切れの様な粗末なものである。
「お母さん、怖いよう。リミを一人にしないでぇ」
まるで熱に浮かされた様に言葉を呟きながら、自らをリミと名乗った幼い少女はフラフラと外へと出てくる。
そして彼女が外に出た瞬間、周囲にいた人間全員が、自身の身体に何かが纏わりつく感触に襲われたのである。
「な、何よコレ! ち、力がっ! ま、まさかこの子!?」
「ああ、間違いない。このリミって子は、俺たちと同じ混血だ」
ジェンはアオイにそう告げたのであった。