第一章 その4 理不尽な現実
老婆は険しい目つきでジェンを睨んでいる。
手にナイフを持ってはいるが、その腕は少し震えており、とても手に馴染んでいるとは言い難かった。
「うちには何も盗む物なんかないよ! とっとと出てっとくれ!」
今にも引きつりそうな声で、老婆がジェンを威嚇する。彼女の目には子供たちだけは守るという強い意志が込められているのがよく分かった。
「驚かせてしまって申し訳なかった。別に盗みに入ったとか、そういう訳じゃないんだ」
「黙りな! 盗人はみんなそう言うんだよ!」
「……君はドミって言うんだな。その人の誤解を解いてくれないか」
ジェンは、ドミと呼ばれた男の子に向けて話しかけた。
ドミは突然の事態にオロオロしており、彼を落ち着かせる意味も込めて、である。
すると気分が落ち着いたらしいドミが老婆に向かって話しかけた。
「お母さん、この人は盗人じゃないよ。助けてくれた人なの」
「助けてくれた人だって?」
(お母さん……?)
ジェンはドミの言葉を聞いて驚いた。
大変失礼な事だが、どう見ても十歳にも満たないと思われる男の子、さらにはその下に妹がいるという女性には見えない。髪の色は白く染まっており、肌には皺やシミもあって、その上やせ細っている為にかなり高齢の老婆としか思えないのだ。
「……何が目的だい? 見ての通り、金目の物なんてないよ」
老婆は手に持ったナイフを下ろすと、すぐ横の台の上へと置く。
「目的は……ただ道を聞きたかっただけだ」
「道だって?」
「そう、その子が買った薬を理不尽に奪った連中がいてね。そいつらから取り戻して薬を返そうと後を追ったら道に迷ってしまった」
「なんだいそりゃ? 薬だって? そんなものを買う余裕なんてうちにはないよ」
「本当だよ、お母さん。リミの熱が下がらないっていうから、心配でお外に薬を買いに行ったの」
「外に出ただって? 何でそんな馬鹿な事をしたんだい!」
「だってリミが心配だから」
「あの子の熱は放っときゃ勝手に治るよ! それよりもドミッ! リミの寝てる所に行ってないだろうね?」
「うん」
「そうかい。本当に良かった」
老婆は心の底から安堵したという表情でドミを抱きしめる。彼女の息子へと愛情は本物だと思える姿だった。
だがその光景を見ながらジェンは少し違和感を覚えた。母親の兄に対する言動と妹への反応がどうもおかしいのだ。
それが少し気になり、ジェンはその原因をちょっと調べようと考えた。
「ところで、その薬なんだが……」
「薬……そういえばドミ、この薬を買うお金はどこから?」
「貰ったお小遣いを貯めてたの」
「……本当に?」
「うん」
「そう。それなら良いわ」
「いやだから、薬なんだが」
「うるさいね、こんなの適当に飲ませときゃ良いだろ!」
「いや、その薬は抗ウイルス薬だから、対象のウイルス以外には効かないぞ? 妹さんの病気の原因わかってないんだろ?」
「もういい加減に他人の家の事に関わるのはやめとくれ! 道を知りたいなら教えるからとっとと出てっておくれよ!」
全く取り付く島もなく元の場所へと向かう道を説明されると、ジェンはあっさり家から追い出されたのであった。
◇◇◇
地下から階段を上がって地上へと戻ってきたジェンは突然声をかけられた。
「全くもうっ! あんまり勝手に動くなっていつも言ってんでしょうが、このバカッ!」
突然怒鳴りつけられたジェンは、声掛けをしてきた相手の方を見て呑気に名前を口にする。
「……アオイか」
「アオイか、じゃないわよ! ホントに心配ばっかりさせて!」
そこにはジェンと似た様な外套を身に纏いフードを被った人物が立っていた。彼よりも頭半分ほど背が低いが、それ以外は性別も含め分かりづらい姿なのは同じである。
だが口を開く度にコミカルに動く姿が妙にしなやかであり、その口調と相まって傍で見ると女性であるというのがすぐに分かる。
「よくここに俺がいるって分かったな」
「ひょっとして私の感知能力を舐めてる? ジェンなんてどこにいようがバレバレよ!」
「そうなのか。凄いな」
ジェンが感心した様に言う。するとアオイが強い口調で言い返した。
「何を暢気に感心してんのよ! アンタが約束の場所に来ないから、仕事で何かあったのかもって心配したのよ!」
「悪かった。道中ちょっと気になる事があってな……ひょっとして新しい仕事に結びつくかもって思ったんだが」
「そう言っときゃ何でも免罪符になると思わないでよ? アンタにそんな気がないのは知ってるんだからね!」
「ごめん」
「またそんな叱られた犬みたいな顔をする。何よ私が悪いみたいじゃない」
頬を赤く染めるアオイの可愛らしい顔がフードの奥からチラリと見えた。
青い瞳でジェンを見据えていた彼女は不機嫌そうに頬を膨らませるとプイッと顔を背ける。それはこれで彼女のお説教は終わりという合図でもあった。
アオイのそういう癖をよく知っているジェンは何事もなかったかのように話題を変える。
「それでアオイ、仕事の方だけど」
「胸糞悪い肉屋の方は片付いたんでしょ? もう一つの方は情報が入って、急遽今夜決行する事になったわよ」
「それは確定なのか? 俺への指示書は?」
「あのねぇ、時間通りに約束の場所に来なかった癖に何を言ってんのよ! 今回の指示書は私がもらったわ。アンタは私の補佐よ」
「補佐って事は?」
「当然取り分は減るわね。自業自得」
「げえー」
「文句があるんだったら寄り道せずに、さっさと集合場所に来なさいよ」
アオイの言う事は正論なので、ジェンはぐうの音も出ずに黙るしかない。
すると彼女が何やらおずおずとこちらに語り掛けてきた。
「……まあ、あれね補佐として役に立ったら……食事くらいなら、奢ってあげても良いわよ?」
「そうか分かった。なら補佐役を頑張るよ」
「うんっ! 頑張れっ!」
アオイが急に上機嫌になったのだが、ジェンは全くその事に気が付かずいつも通りに動き始める。
そうして二人は連れ立って街の人込みの中へと姿を消したのであった。
◇◇◇
時が過ぎ、夕刻になった。
街外れの閑静な住宅街。その中に一際大きな屋敷がある。
ジェンとアオイの二人はその屋敷の入り口を見張れる場所で周囲の様子を探っていた。
周辺の街灯の数は程々なので明るすぎず暗すぎず丁度いい塩梅だ。
情報によると二人の監視している屋敷では本日、客を招待してのパーティーが行われるとの事でさっきから何台も馬車がやってきては客を降ろしているのが確認できる。
そうして時間が進み、やがて門が閉められ屋敷内ではパーティーが始まった様子だった。
「パーティーか。あの中でどんな物を食ってるんだろうな」
周囲の警戒を怠らないようにしながらジェンがアオイに話しかけた。
「さあね。でも私は食事って何を食べるかより誰と食べるかの方が大事だと思うけどな?」
アオイも周辺を確認しながらジェンに返事をする。
「ふーん。アオイは変わってるなあ。因みに誰と食うのが一番うまいんだ?」
「へっ? えっと、その、だ、誰って……」
アオイがごにょごにょと言い始めたその時、ジェンが彼女の口の前に指を一本立てるジェスチャーを行なった。
それにすぐに反応してアオイも口を噤む。
屋敷に近づく様に一台の馬車がやってきたのだ。
パーティーが始まってそれなりに時間が経っているのだが、そんな屋敷の方へと向かっていくのである。
馬車の荷台はこれまでの豪勢な造りのものとは違い明らかに薄汚れていた。だが同時にかなり頑丈そうな金属で覆われておりちょっとやそっとじゃ壊れそうもなさそうでもある。
「どうやらビンゴかな?」
「ええそうね。あれが屋敷内に入ったら、情報通りショーが今日なのはまず間違いないわ」
アオイの言葉通り、馬車は再び開かれた門の中へと入っていく。
「ちょっと確認してみる。見張り頼む」
「了解。周囲に人の気配はないわ」
ジェンは少しだけ屈むと、そのまま勢いよく空中へとジャンプした。
あっという間に十メートル近く上空へと跳び上がると、そこから屋敷内の馬車の所在を確認する。
空から発見した馬車の荷台からは小さな子供たちが降ろされているのが見え……
「おいおい、マジかよ……」
ジェンが思わず絶句したのは無理もない。
何故なら子供たちの中には彼の見知った顔、ドミの姿があったのだから。