第二章 その17 罠と知りつつも
もう既に周囲はかなり暗闇に染まっていた。
スミカは手紙の中に記入された簡素な地図を見ながら進んでいく。
屋敷を出てからこの場所に来るまでに他人とは誰一人として、すれ違うことはなかった。
どんどん人の気配がなくなっていく。周辺に建物がポツンポツンとはあるが、そこに誰かが住んでいる様な気配がない。
そんな道中を彼女は険しい顔をしたまま一人で進んでいる。
手紙には場所の情報の他に一文が書かれており、それを読んで慌てて屋敷から出てきたのだ。
そこに書かれていた内容はシンプルな脅し。
『来なければ、その屋敷にいる全ての人間を皆殺しにする』
家族や仲間を殺されたスミカのトラウマを抉るには充分な文言だった。
ジェンやコクローの腕が立つのは理解できている。
しかしそれ以外に見かけた屋敷で働いていた他の人々はどうだ?
中には年端もいかない幼い子供までいた。
自分が家族を殺された年齢の時よりもさらに幼い子供がである。
そんな屋敷を戦場になど出来るはずもない。
絶対にこれ以上、関係のない人々を巻き込むわけにはいかないと思った。
本当は彼らに復讐を代行してもらうのが一番なのかもしれない。
だけど幼い頃からの知り合いであるコクローは自分が復讐する事を望んでいないのを知ってしまった。
正直、彼の気持ちが理解できない訳ではない。葛藤はある。
だけど、穏やかで笑いの絶えなかった生活。優しく自分を育て導いてくれた周囲の人々。
彼らの笑顔が、大好きだった人たちとの生活がある日突然奪われたのだ。
もう一緒に過ごせなくなってしまった。
もう二度と見られなくなってしまった。
それが悔しくてやるせないから、どうしてもスミカは自分の手で殺された両親や門下生の敵を討ちたい。
復讐を遂げないと、これからの人生を自分の足で進む事ができないのではないか?
どれだけ頭で考えてもそんな気がするのである。
故にスミカは少し落ち込みかけた気持ちを再び奮い立たせる。
罠の可能性が高い誘いにあえて乗った。
自分たちが有利だと、そう認識しているのならばヴィレーが姿を現す確率は高いはず。
故に仕掛けられているであろう罠を乗り越える事が出来れば、それが復讐の最大のチャンスとなりうるのである。
「元より一人で果たそうとした復讐。某の心の弱さが、彼らに頼るという甘さに繋がり迷惑となってしまった」
様々な感情が渦巻き波立っていた心が、徐々に治まっていくのを静かに自覚しながら、彼女は一人で暗闇の中へと走り去っていった。
◇◇◇
スミカは手紙で指定された場所に到着した。
流石にいきなり突撃をするわけにもいかないので、入り口が見える場所から観察する。
人の気配がない別荘地の外れに一軒だけ灯りの点いた建物があった。
周囲の居住用のものと違い何か別の目的で使用する印象を受ける木と石で造られている建物だ。
「剣術の道場か」
スミカは目的の建物をヴィレーがディンバイに持っている道場だと判断した。
薄明かりの中にそびえ立つそれは暗闇に相まって不気味に見えている。
建物の周囲を石壁が取り囲んでおり、唯一と思われる入り口付近には人影があった。
「見張りは二人。正面突破は得策ではないか……」
向こうからの呼び出しなのだから当然あそこでは見張りの人数以上の人間が待ち構えている。
標的の最優先はヴィレーであり、そこにたどり着く前にやられる事はできない。
何とか気持ちを落ち着かせ、スミカは気配を殺しながら建物の裏側へと移動する。
どこかに侵入できそうな箇所がないかを探していると、裏側の石壁の一部が崩れて低くなっている場所があった。
「あそこからならば、どうにか侵入できそうだが……」
罠か否か。非常に判断が難しい。
ここに誘われた状況を考えると、自分にとって都合のいいことは全て罠に思えてくる。
考えていても答えは出ない。ならば意を決して飛び込んでいくべきだ。
しかし頭では理解していても、実際に行動に移すとなると話は別である。
そうして躊躇していたスミカの耳に突然、辺りを劈く女性の叫び声が飛び込んできたのだ。
その声の発生源が目的の建物からしたのは間違いない。
気が付けばスミカは半ば反射的に石壁を乗り越え敷地内へと侵入していた。
◇◇◇
石壁の向こう側に敵が待ち伏せているという事はなかった。
スミカのいる敷地内の裏庭部分、そこから道場らしき建物までの距離は凡そ五メートル。
慎重に周囲を確認し、拙速に動くと建物の壁に背を張り付ける。
少し離れた場所に窓があり、中の光が漏れていた。
音を立てない様にゆっくり移動して中の様子を覗く。
そして見てしまう。
建物内で行われている悍ましい光景を。
中には全部で十人の人間がいた。その中に目的の人物ヴィレーの姿はない。
いるのは屈強な体躯の男性八人とやせ細った中年の男性が一人。そして中年男性と同じく少し細めの年若い女性が一人だ。
女性は服を着ておらず、屈強な男性のうち四人も同様だ。
やせ細った中年男性はボロをまとってはいるが、頭を地面に押し付けられる体勢で男に組み伏せられている。
悲鳴を上げている女性は男たちに剣で切り傷を付けられていた。
建物内ではやせ細った男女が他の男たちに嬲り者にされている状況だったのである。
それを理解した瞬間、スミカの頭には一瞬で血が昇り、心は完全に怒りに染まっていた。
逆上したスミカは後先を考えずに、自身が覗いていた窓を叩き割って建物内に侵入するとそのまま中にいた男たちへと襲い掛かったのだ。
スミカの行動は確かに奇襲にはなった。
しかし、冷静さを欠いた意識のまま戦いに臨んでも充分なパフォーマンスは発揮できず、さらに人数差も容易に埋める事は出来なかった。
スミカの闇雲な攻撃では二人を打ち倒すだけで精一杯であり、それ以上に彼女の冷静さを失わせる、もう一つの要因があったのだ。
建物内を覗いた時にすぐには気付かなかった。だが突入した彼女は戦いの最中に気が付いてしまったのである。
内にいた八人の男たちの、その中に自身の家族を殺した仇敵の一人が混じっているという事に。
「お前はっ! ケングー!」
「……ふむ、少しだけ期待していたんだが、どうやら買い被りだったか」
スミカと相対したケングーと呼ばれた禿頭で無表情の男は、何故か失望混じりに呟いた。
「買い被りだと?」
「気にするな。お前が悪いのではない。こちらの勝手な願望だったというだけの話だな」
スミカは今のやり取りで即座に、自分は舐められているのだと気が付いた。まだ一合も打ち合っていないにも拘らず、である。
さらなる激情に駆られてスミカはケングーを狙って一直線に動く。
「ふむ……それが問題だと指摘したのだがな」
ケングーは鞘から剣を抜く事すらせずにスミカを相手取った。
それでも両者の実力差は大きかった。結果、スミカは敵であるケングーに打ちのめされて意識を失い、捕らえられてしまったのだから。