第二章 その15 情報屋の矜持
夕暮れ時に差し掛かっている時間帯。
商店街の喧騒も徐々に収まってきており店じまいを始めている店舗もチラホラと見受けられる。
そんな中を少し足を引き摺る様にしながら移動する男がいた。
レマノヒ皇国では最もスタンダードな黒髪黒目で二十代半ばくらいの平凡な見た目の男性だ。
名前はリソンといい、スミカを追う連中の一員でヴィレーに雇われている男だった。
元々リソンは単独で能力を使いながら様々な人物の身辺調査や情報収集をする仕事を行なっていた。
だがそろそろどこか一所で働ければと考え、それなりの有力者であるヴィレーに将来的な後ろ盾になってもらえればとの思惑から自らを売り込んだのだ。
そもそもリソンは魔獣狩りという組織は知っていたが、そこに所属する混血者の実力を見誤っていた。
自分と同じ混血の能力者同士ならば、そこまで大差ないだろうと考えていたのだ。
その結果、本来ならばスミカだけを追っていれば良かったのに欲をかいてしまい、自分を有能に見せようとしてアオイやジェンに手を出し、その結果返り討ちにあったのである。
リソンの能力は自身の影を切り離し実体のある動物を作りだすという異能だ。
基本的には作り上げられた動物は全て黒色であり、その動物が得たあらゆる情報はリソンにフィードバックされる。
つまり動物がダメージを受ければ、能力が解除された時に切り離した影と同じ箇所の実体にダメージを追うのである。
という訳で現在、逃亡を試みるリソンだが彼の左腕の肘から先と右足の膝先は負傷した状態だった。
カラスと黒猫を戻した所為で追ったダメージである。
それでも自分の事までは察知されていない筈だと考えたリソンは、とにかくジェン達から距離を取る事を選択した。
最低限、アオイの「氷」を使うという情報だけでもヴィレーに伝えなければと考えたのだ。
現状、ダメージが大きく新たに動物を作り出せる状態ではない。
多少伝達速度は落ちるが確実に情報を渡す為にリソンは徒歩でヴィレーの宿泊予定の別荘へと向かう事にする。
足を引き摺りながらも一歩ずつ前に進むリソン。
そんな彼の進行方向に立ちふさがる様にして一人の男が立っていた
リソンはそれに気が付いて歩みを止めかける。
しかし不用意に態度を変えるべきではないと考えそのまま男の横を通り過ぎる事にした。
「すんなり逃げられると思うか?」
男との距離三メートルの地点で声をかけられた。
リソンは表情に出さない様に注意してその問いかけに答える。
「いきなり何ですか? 逃げるとか、意味がわからないんですがねえ?」
「だったら返事する必要ないだろ? 無視すれば良いじゃないか」
目を逸らす事無く男はリソンを見ている。
「明らかにこちらに声をかけたでしょうよ?」
「だから自分に対してだと判断したと? つまりそれは自分が逃げていると思ってるから、俺の言葉に反応したって事じゃないか」
ゆっくりと真綿で首を締める様にじわじわと会話を進めてくる男にリソンは不審な物を感じる。
どうしてこんな回りくどい事をしているのかと。
「だからあー意味がわかりませんねえ? 言いがかりはやめてもらえますかあ?」
「あくまでも関係ないと言い張るんだな。そうか、それじゃあしょうがない」
「何です? ひょっとしてこんな場所で暴力ですかあ?」
夕方近くになり、少し人の数は収まったとはいえ、それなりに人通りのある場所だ。
こんな所で何かが出来るなどと、リソンは考えてはいなかった。
「望むなら、そうするが?」
目の前の男のプレッシャーが跳ね上がった。
それだけでリソンは理解する。
この男は格が違うと。
リソンもそれなりに裏の世界を生き抜いてきた自負がある。
だからこそ覚悟を決めた。
自分は今日、今ここで死ぬのだなと。
だからこそ開き直る事もできる。
リソンは両手を上げると目の前の男に対し口を開いた。
「俺は何も話さない。殺すなら殺せ」
「降伏するってことか?」
「逃がすつもりはないんだろう?」
「こっちの知りたいことを話せば解放するが」
「それこそが俺を殺すって事だろ? 情報に携わる者が敵に捕らえられて仲間の情報を売る。それは忌避すべき最悪の行為だ」
「そうかい。まあ、そういうプライドってのは大事だよな」
突然リソンの目の前に立つ男からプレッシャーが消えた。
何故そんな事をしたのか理解できず訝しんでいると、向こうから話しかけてきたのである。
「次はないぞ」
立ち塞がる様にしていた男が体勢を変えた。
まるで、そのまま通り過ぎろと言っている様な態度である。
リソンは慎重に足を踏み出して、前へと歩き始めた。
すれ違いざま、男に対し告げる。
「……貸しを作るつもりはない。『あの女に文を送った』これ以上は何も言わん」
リソンは裏路地へと入り込むと、その場から離脱したのである。
◇◇◇
「どうして見逃したの?」
襲撃してきた能力者を見送ったジェンに対しアオイが背後から話しかけてきた。振り返りざまに少し不服そうな彼女に向けて告げる。
「警告はしたし、既に手は打ってるからな」
アオイは言葉の真意がすぐに理解できたらしく、不承不承ではあるが感情を吞み込んだ様子だった。
「……これからどうするつもり?」
「今ので全部終わらせたかったんだが……どうやら、そうもいかないらしい」
「手伝おうか?」
「いや、正式な仕事じゃないし、アオイは怪我してるだろ? 俺一人で大丈夫だ」
「あっそう」
少し拗ねた表情を見せたアオイに対して再び背を向けたジェンはその場にしゃがみ込んだ。
「それよりも急いで屋敷に戻る理由ができた。背負ってやるから早くしろ」
「へっ? え? えーっ!」
「怪我人が恥ずかしがるな! アオイを置いてく訳にもいかないし、時間が惜しい」
「うー」
自分の後ろで何やら逡巡しているのを少しの間待っていると、ようやくアオイが寄りかかってきた。
「……重いって言ったら凍らす」
「そんな事を言うかよ」
アオイを背負ったまま立ち上がったジェンは、そのまま勢いよく屋敷に向かって走りだしたのだった。
◇◇◇
ジェンがアオイを探しに屋敷から出ていって間もない頃、スミカはメイド服から別の服へと着替えなおしていた。
空いている部屋へと案内された時に、もっと動きやすい物を、とお願いして準備してもらった服だ。
普段は道着の様な衣装を身に纏っているが、今の彼女の姿はレマノヒでは一般的な服でブラウスにズボン姿である。
サイズの関係で胸が少しキツイが後は概ね問題がない。
メイド服姿の時は結っていなかった長く伸びた黒髪を頭の後ろで紐で結ぶ。
部屋に備えてあった鏡で確認していると、何か部屋の窓をが叩く音が聞こえた。
少し不審に思い、用心して音の鳴った窓の方へ視線をやると、小さな黒い鳥が縁の所にいた。
さらにその小さな黒い鳥は口に何か紙を咥えている。
「手紙?」
スミカは慎重に窓に近づいていく。
すると黒い鳥は窓の縁に手紙を置いて、そのまま空へ向かって羽ばたいて飛んでいった。
何が起こっているのか分からない。
だが手紙の内容を確かめねば何も始まらない。
そう考えたスミカは意を決すると、そっと窓を開けて縁に置いてあった手紙を手に取った。
「差出人の署名はなし。中を見ろという事か」
独り言ちながら封を開け、中に入っていた紙を取り出しそっと開いた。
中に書かれていたのは彼女の欲しかった情報。
今日の日付と時間、そしてスミカの復讐相手であるヴィレーのディンバイにおける拠点の場所だった。
◇◇◇
それからしばらくして、ジェン達が屋敷に戻った時には既にスミカは建物内のどこにもいなかったのである。