第二章 その14 アオイの危機
ずっと尾行されている。
それが現在のアオイの状況だった。
どれだけ道を変え、距離を稼ぎ、人に紛れようと追跡は止まらないのだ。
当然だがアオイは自身を尾行している存在を逆に探していた。
だがそれが全く見つからない。自分に纏わりつく嫌な視線はそのままに、尾行相手は気配と姿を巧妙に隠しているのである。
感知能力の高いアオイが何とかギリギリで尾行に気が付けるレベルの追跡。そんな芸当が出来るという事は間違いなく相手は只者でない。
今はまだひたすら尾行に徹しているが、それもまた不気味さを感じさせる。
相手の目的がわからない。
どうして何も仕掛けてこないのか?
誘いを入れて動いているのだが、それについてもサッパリ反応がないのである。
「一体何なの? 狙いが全然読めない」
アオイの苛立ちが思わず口をついて漏れ出る。
さっさと屋敷に戻れないこの状況にひたすら焦りとイライラが募っていく。
そうして人通りの全くない路地の途中を進んでいた時だった。
突如何者かの不気味な声色が周囲に響いたのである。
『どうやら、気が付いているらしいねえー』
不安定な声色は相手の性別すらも不明。ただあまり長く聞いていたい声ではないのは間違いない。
ようやく動き出した相手に対し、アオイは声の出どころを探るため周囲に気を配る。
「ああ。バレてるんだし、サッサと姿を見せれば?」
『なるほどね、尾行に気が付いてはいたが、捕捉はできてないんだねえー』
対応の仕方が少し軽率だったかとアオイは反省する。元々ここまで尾行以外は何もしていない相手だ。
それは逆に言えば慎重な性格の持ち主だと、そう認識していなければいけなかったのである。
「話しかけてきたのは、こっちに用があるからじゃないのか? 用が無いなら失せなよ」
『ヒヒヒッ、つれないねえー。お前がどこの誰か、アジトを突き止めたかったが……バレてんじゃあ、しょうがないよなあー』
アオイは強い。それは間違いない。だがそれは直接戦闘において、という注釈が付く。
こうやって搦め手と策を用いる敵が相手だと、少し事情が変わる。
油断をしている訳ではない。むしろ警戒心は最大値まで跳ね上がっている。
だがアオイはこの状況を招いた敵が、自分からその存在をアピールしたのには意味があると、そこまで考え至らなかった。
「良いから、出てこい!」
『もう出てるよおー』
感知を最大限に広げ、全周囲の警戒に当たる。
どんな人物だろうとも、その動きを逃さない為に。
そう行動したアオイの足元に違和感が起こる。
それに気付き視線を動かすと、いつの間にか自分の左の足元に黒い猫がいた。
「え?」
『にゃあー』
アオイと目が合った黒猫は不気味な声で一鳴きすると、前足を彼女の左足に向けて一薙ぎしたのである。
次の瞬間、アオイの左ふくらはぎから足首の付近が切り裂かれた。
「な、なにぃー!」
突然の攻撃に驚き、アオイは体勢を崩した。
それを見越していたかの様に黒猫は軽く飛び跳ねると、再び前足で彼女の身体を切り裂こうとする。
「舐めるなっ!」
黒猫の追撃を防ぐためアオイは即座に「氷結」の能力を使用する。
前足の斬撃が狙う箇所に小さな氷の盾を作り上げ、ギリギリで直撃を回避。体勢を戻しながら黒猫から距離を取った。
『中々やるにゃあー、氷使いかあー』
黒猫も深追いはせずにアオイの様子を窺うのみである。
「どうりで尾行する人間が見つからないはずだ、まさかそうやって追跡してきていたとはね」
『いや、それでもアンタも大したもんだにゃあー。なにせ尾行に気付かれたの初めてだからにゃあー』
「お前は何者だ? 目的は何だ?」
『それにゃあー、こっちが同じ事を聞いたらアンタ答えるのかにゃあー?』
黒猫が馬鹿にした様な表情でアオイに語りかける。
「そりゃあ、そうか。なら死なない程度に痛めつける」
『にゃあーはっはっはあー、気が合うにゃあー! こっちも同じ事を考えてたにゃあー』
直後、アオイの頭上から何かが落下してきた。
そしてそれは気が付いた時には彼女の左肩に突き刺さっていたのである。
「なっ……ぐううっ!」
慌てて自分の左肩に突き刺さった、その生き物に攻撃を仕掛ける。
だがソレはアオイの攻撃が触れる前に羽ばたき飛び去ったのだ。
黒い翼を羽ばたかせながら飛ぶその生き物、それはカラスだった。
『カーッカッカッカッカアー! ビックリしたカアー?』
カラスもまた不気味な声色で語りかけてくる。
黒い嘴がテカって見えるのはアオイの血液が付着したから。
そんなカラスに対して奇襲だったとはいえ、またしても攻撃を受けた事でアオイの怒りの導線に火が点いた。
「遠隔操作系の能力者か。このままで済むと思うなよ?」
『カーッカッカッカアー! できるものなら――』
『――やってみろにゃあー!』
カラスと黒猫が同時に動き始めた。
上半身をカラス、下半身を黒猫が、それぞれ狙い定めた様に縦横無尽に動き回りながら、攻撃を仕掛けてくる。
アオイの方は足の怪我の影響もあり素早く動けず、あっという間に防戦一方になってしまう。
しかしそれでもアオイの戦意は衰えず、状況から相手の能力を分析していく。
最初は生き物を操る能力なのかと思った。
だがそれでは魔獣の気配を察知できるアオイの感知能力で気が付けないのはおかしい。
黒猫もカラスもアオイの感知には引っ掛からなかったのだ。
つまりこの能力は生き物を操っているのではないという事である。ならば他の可能性は何か?
アオイに思いつくのは二つ。
一つは猫もカラスも能力で作られた疑似生物であるというもの。
もう一つは何かの道具を幻覚の様な能力を使い動物に見せているというもの。
だが後者の可能性は排除できるとアオイは考える。
通常の混血者ならば持っている能力は一人につき一つ。
なので後者の場合は幻覚を見せる能力者の他に道具を遠隔操作する能力者も必要になるのだ。
アオイは自分の感知能力を過信するつもりはないが、それでも尾行者が二人いればどちらかは発見できた筈と思っている。
そういったリスクを考えると、答えは前者の疑似生物を作りそれを操れる能力者というのが濃厚だろう。
この状況になってもアオイの感知に変化は見られず、周囲には何も変わりがない。
何とか状況を切り抜ける為の有効な手段はないか、それを探すアオイ。
だが空からのカラスの攻撃がうざったくて考えがまとまらない。
業を煮やしたアオイは上空を舞うカラス目掛けて少し大きめの氷礫を射出した。
しかしカラスはその攻撃をあっさりと躱してしまい、飛んでいった氷礫はやがて上空で砕けてキラキラと光りながらやがて消えてしまう。
『カーッカッカアー! 万策尽きたカアー?』
「そうだな、一人じゃ無理だった」
『諦めたんならば、動けなくなるまで痛めつけてやるにゃあー!』
カラスがより空高く、黒猫は地を這う様な姿勢で溜めを作る。
それぞれが力を解放し最大限の威力の攻撃を放とうとしている様だった。
刹那、黒猫がこれまでで最速の爪攻撃を放った。
黒猫の攻撃の数瞬の後、カラスが狙いを定めアオイに向かって急降下を始める。
同時の対処は無理だと本能的に感じ取り片方の迎撃を諦めた。
上空と地上からの回避不能の連撃が襲い掛かり、アオイは大ダメージを受ける……その筈だった。
だが結果はそうはならなかった。
何故なら黒猫は氷に封じ込められ、カラスは更に自分よりも高い場所からの攻撃によって地面に撃墜されたからだ。
「よう、何とか間に合ったか?」
カラスを叩き落したのは空から降ってきたジェンだった。
アオイを探している途中で氷礫が打ちあがった事に気が付き一直線にやって来たのだ。
「遅いっ!」
「そうか、悪い。急いだんだけど……それよりも、よく俺が近くにいるって分かったな?」
「なに言ってんの? 前に言ったじゃん、ジェンは何処にいてもバレバレだって」
アオイはジェンに対し胸を張って、自慢げに答えたのだった。
◇◇◇
ジェンは合流したアオイの様子を窺う。
多少の怪我はある様だが、元々魔獣狩りという怪我の多い仕事をしているので気丈に振る舞っているのが分かった。
ただ瘦せ我慢の可能性もある為、早く屋敷に戻って治療した方が良いだろう。
そう考えたジェンはアオイに対し帰る事を提案しようとした。
しかしアオイにはその考えが読まれていたのか、機先を制すように先に口を開かれる。
「まずはコイツの尾行の目的を吐かせる必要があるわ」
「コイツって、この猫に聞くのか?」
まるで黒猫が人の言葉を喋れるという様なアオイの言い方に、ジェンは少し不思議そうな表情になる。
「この黒猫は能力で作られた存在なの。だから喋れるわ。因みにそっちのカラスもね」
「へえー」
そう言いながら叩き落したカラスへと視線を移すジェン。
すると突然カラスの表面が波打ち、ゆっくりと消失し始めたのである。
「おい、カラスが消えだしたぞ!?」
「こっちもよ。黒猫が消えた」
アオイの言葉通り黒猫も同様にその姿を消したのであった。