第二章 その13 警備隊の思惑
国家安全警備局、都市警備隊ディンバイ支部。
その建物内にある副支部長べアークの私室にはべアーク本人とその仕事を補佐する補佐官の姿がある。
黙って書類に目を通しているべアークに対して、少し遠慮がちに補佐官が問いかけた。
「あの副支部長、よろしいでしょうか?」
「何だい?」
「どうしてこのタイミングで魔獣狩りに対して人を送ったのですか?」
「もちろんそれは訴えがあったからだが?」
「いえ、確かにそうですが、色々と拙速過ぎませんか? 正直な話、あの訴えの内容では魔獣狩りを疑う根拠に乏しいのではないかと思うのですが」
「ふむ……」
べアークは手に持っていた書類から目を離し、虚空に視線をさまよわせ始めた。
しばらくの沈黙の後、再び彼は口を開く。
「少し気になる事があってね。まあこれは私個人の興味というか勘によるところが大きいので詳しく説明はできないが」
「そうですか」
補佐官はそれ以上何も言わなかった。
べアークのこういう感性は警備局内において信用のおけるモノだというのが暗黙の了解となっているからである。
「それからもう一つ、本当に彼らに銃を渡して良かったのでしょうか?」
「そりゃあ、魔獣狩りのいる場所に出向くのだから必要だろう。彼らには普通の人間では太刀打ちできないよ」
「いえ、そういう意味ではなく」
「ん? 違うのかね?」
「その、大変言いにくいのですが……」
補佐官は少し奥歯に物が挟まった様な感じで言いよどむ。
あの四人は地上人の上流階級出身のエリートで、警備隊でも有名な問題児たちだ。
実は今回の諍いの訴えも彼らが持ち込んできた話なのである。
彼らの話によると訴え出た男たちは怪我が酷かったので病院に運ばれたという事らしいが、補佐官は正直信ぴょう性が低いと考えていた。
あってはならない事だが、あの四人なら罪の捏造など悪びれもせずにするだろうと。
そんな彼らにべアークは銃を渡してしまったのだ。
必要以上の力を手に入れたと勘違いし、とんでもない暴挙に出なければ良いが……と補佐官は考えたのである。
「ああ、そういう事か。それなら心配ない。礼節をわきまえていれば彼らが手を出す事はないよ」
「そうですか……」
それが心配なのだが、と補佐官が思っていると
「もちろんそうでない場合は好きにして良いと伝えてあるがね」
べアークは軽い口調で宣言した。
「え?」
「どうかしたかね?」
「いえ……あの、彼らとは魔獣狩りの事ではないのですか?」
「んん? どうして私が魔獣狩りの事などを言っていると思うのかね? 彼らとは部下の四人の事だよ」
「え、あ……いや、そうですよね。失礼いたしました」
「警備局の人間に敬意を払わぬ者に天誅が下るのは当然だろう」
べアークは目を通していた書類に署名すると、それを補佐官に手渡す。
しかし補佐官は少しばかり動揺しており、その紙を掴み損ねてしまった。
ひらひらと舞いながら床に落ちそうになる紙。
思わず補佐官は手を伸ばすが、指の間をすり抜けていく。
そこで不思議な出来事が起こった。
落下していた紙が風に吹かれたかの様にふわりと舞い上がったのである。
滞空している紙をべアークがキャッチすると、補佐官の目の前に突き出した。
「今度は落とさない様に」
「はっ、はい!」
補佐官はしっかりと紙を受け取る。
「今日はこれで終わりで良かったかな?」
「は、はい。そうです」
「うん。では外してくれるかね?」
「わかりました」
補佐官は敬礼をすると、一目散に部屋から退出した。
一人だけになり静かになった室内でべアークは独り言ちる。
「魔獣狩りか。果たしてあの仮面の二人がそうなのか? 勘が当たっていれば良いのだが……」
椅子にもたれかかりながらべアークはゆっくりと瞼を閉じるのだった。
◇◇◇
室内に鳴り響いた銃声は三発。
魔獣狩りの隊長であるコクローに向けて放たれたものである。
銃を撃ったのは三人。
それぞれが目の前に座っているリーダーの合図に従い引き金を引いたのだ。
その場で引き金を引いた男たち三人は全員が同じ光景を見た。
三発の銃弾が命中して崩れ落ちるコクローの姿である。
コクローが血を流しながら前のめりに倒れてゆく、その様子を三人全員が愉悦交じりの表情で眺めていたのだ。
異変はその直後に起こった。
テーブルに倒れ伏し、コクローの身体から流れていた血液が突如その流れ出る場所へと戻っていったのである。
逆流現象とでも言えば良いのだろうか。
やがてそれは自分たちが見た光景を反対になぞる様に巻き戻っていった。
コクローの怪我も、打ち放った弾丸も、全てがゆっくりと元通りになっていく。
男たちはそれをただ見ている事しかできない。
事象が巻き戻っていく間、身体を動かす事も声を発する事も何もする事ができなかったのだ。
そして一旦巻き戻った時間がまた動き出した。
三人の男たちは自分の意思とは裏腹に、さっきと寸分違わず同じ行動を起こし始める。
違う動きをしているのはコクローただ一人だった。
再び室内に三発の銃声が響く。
気が付けば銃を撃ち終わった三人の背後にコクローが立っていた。
その事実を男たちは誰も正しく認識できなかった。
いったい何が起こったのか全く理解ができないし、それを頭で理解しようとする事を本能が拒んでしまう。
だってそれを理解したら間違いなくここで死ぬ事になってしまうから。
三人は全員が一瞬でそれを悟ったのである。
そしてソファに腰かけていたリーダー挌の男もまた、何も理解できずに呆然としている男の一人。
彼の場合は、本当に何が起こったのか全く理解できず困惑の表情を浮かべるばかり。
話の途中でコクローが立ち上がって場所を移動したかと思うと、突然後ろの三人が彼が座っていたソファに向かって発砲したのだから当然だ。
「お前ら! いったい何故いきなり銃を撃った!?」
「いや、合図があったから」
リーダーの問いかけに一人の男が代表で答えた。
他の二人はただ黙って頷くのみである。
「どこを見ている!? まだ合図は出していない!」
リーダーの言う通り彼の左手は持ち上がったままだった。
室内に警備局の男たち全員の困惑と、何か異常な事が起こったのを認識して動揺が広がっていく。
するとそこで突然、部屋の扉が激しくノックされた。
銃声を聞き、誰かがやって来たのだろう。
そこで一番近くにいたコクローがそのまま扉を開く。
扉の隙間から顔を覗かせたのはジェンだった。
「隊長、今の音は何だ?」
「彼らが持ってた銃が暴発した」
「暴発だって? 大丈夫なのか?」
「全然問題ない。不幸中の幸いで今回は誰も怪我人がなかった」
「そうか、良かった」
「少し騒がしかったかもしれんな。ジェン悪いがちょっと周囲の様子を見てきてくれ」
「……? ……! ああ、わかった」
すぐに動き出したジェンを見送り、コクローがゆっくりと扉を閉めた。
その動作を警備隊の四人は黙って見ているしかできない。
自分の背中への視線を感じてコクローがおもむろに振り返る。
「さてと、それじゃあ話の続きをしようか。ああ、それから穴の開いたソファの弁償は警備局に請求して良いんだよな?」
惚けた事を言いながら、されども鋭いままの眼差しは、その場の空気を掌握するには充分だった。
◇◇◇
その後、警備局の男たちは黙って帰っていった。
もっとも発砲の件を不問に処す代わりに、何も言わせずに大人しく帰らせたというのが本当のところだ。
ジェンが周囲を探ってみたところ他に警備局の人間はいなかったという事も分かった。
発砲を機に何らかの部隊が突入してくるなんていう事も考えられたのだが杞憂だったらしい。
となると、相手の真意が掴めずコクローは苦い顔になる。
「警備局の人間が何故、俺とアオイを探してるんだろうな?」
「ああ、スミカの方を探しているのならまだしも、お前らを探す理由が見えないのがな……」
現在、ジェンはコクロ―の仕事部屋である隊長室で二人で話をしていた。
スミカの事はヌローワに任せてある。
「そもそもアイツらは被害者がいるって話だったんだよな? 俺もアオイもその件では誰も怪我させてないんだが?」
「ふむ、それが事実だとすると、どうにもきな臭いな。ちょっと探りを入れた方がいいかもしれん」
「スミカの方はどうするんだ?」
「本人がどうしても復讐を望むなら依頼はさせてやるさ。明日にでも聖堂まで一緒に行ってくれるか?」
「良いのか? 拘束するって言ってただろ?」
「あまり縛り付けても反発するだけだしな。お前が一緒なら、まあ大丈夫だろ」
「わかった」
コクローの指示に頷いたジェンは部屋を退出しようとした。
すると、そこでふと疑問が浮かび、出ていく寸前の彼に問いかける。
「ところで、アオイはどうした?」
「そういえば、まだ戻ってきてないみたいだな。アイツの事だから心配する必要もないと思うけど……」
「どうも何か嫌な予感がするな。念の為に探しに行ってくれ」
「ああ、わかった」
隊長室を後にしたジェンは準備をするとすぐに出発したのである。