第二章 その6 尾行の理由
ジェンは別に潔癖症という訳ではない。
表裏のどちらも仕事柄、着ている物が汚れる事も多々あるので慣れがあり、普段は細かい汚れなどは殆ど気にしなくなっている。
しかしである、いま現在、目の前にいるスミカという女性はさすがに色々とキッツかった。
身に纏った黒っぽい外套と隙間から見える衣服の色はどちらも、最初は生地の色が黒だと思っていたのだが、どうやらそれは勘違いの様だ。
多分元々はもっと明るめの色だったのが、汚れてしまっており元の色が分からなくなっているのである。
すなわちこのスミカという女性は、何故かこんな状態になってまで復讐に助太刀してくれる人物を探していた事になる。
当然ジェンはその理由に多少の興味はあるのだが……
「是非、是非、その噂について詳しく!」
「ち、近いって! ちょっと離れてくれ!」
ジェンは興奮気味にすり寄ってくるスミカを落ち着かせる様にして遠ざけた。
それにしてもいったい何をどうすればこんなにボロッボロのドロッドロに汚れられるというのか。
左手を前に突き出しながら残念な物を見る様な目でスミカを見ていると、何故か向こうは目を輝かせながら見つめ返してきた。
とそこで、少し離れた場所からジェンに対する冷たい視線が突き刺さってくるのが分かった。視線を送る者の正体は間違いなく囮から一転して、尾行者の尾行者になった相棒の視線だろう。
そっちは一先ず後回しにしておき、まずは意を決してスミカに話しかける事にした。
「ちょっと話をする前に、まず俺からも質問させてくれるか?」
「うむ、道理だ。何を聞きたい?」
「復讐の理由を」
一瞬動きを止めたスミカだったが、ジェンの目を見据えたまま静かに告げる。
「家族を殺されたからだ」
ジェンにとって、その答えは想定の範囲内なので特段驚くこともない。
「それは何故だ? どんな理由で家族は殺されなくてはならなかった?」
だからこそ、もう一歩だけ踏み込んだ質問をする。
復讐代行といっても、それをどんな相手に対しても絶対に行なうという訳ではないからだ。当然の事ながら自分勝手な私怨や理不尽な逆恨みなどでジェン達が動くことはないのである。
ジェンは真っ直ぐにスミカの瞳を見つめながら答えを待つ。しばらくすると、彼女は小さく息を吐き出して理由を語り始めた。
◇◇◇
『某の家は代々剣術指南を生業にしており、それなりに門下生もいる大きな道場だった。
『ジンマ一刀流という対人戦だけでなく魔獣を相手に想定した剣術なのだが、聞いた事はないだろうか?
『そうか知らないか……まあ今ではすっかり廃れてしまった流派だから無理もないな。
『六年前のある晩、ジンマ一刀流道場に複数の賊が押し入った。
『その日は道場の一人娘の誕生日で、道場では家族と数名の門下生がお祝いをしていたのだ。
『祝いに参加していた大人たちがそれなりに酒の入った時間帯に突然の襲撃があった。
『結果から言うと、その襲撃で生き残れたのはたった一人だけ。道場の師範の一人娘だけがかろうじて生き残ったのだ。
『それ以外の道場にいた者は皆殺しにされた。
『もう既に想像がついているだろうが、その唯一生き残った道場の娘が某のことなのだ。
◇◇◇
一度もジェンから視線を逸らす事なく、スミカは簡潔に起きた出来事を語り終えた。
彼女の語った内容に偽りはないだろうとジェンはそう思った。
もちろんスミカ自身ではなく家族の誰かが何かの理由で恨まれていたが故に起こった出来事の可能性はある。
だがその辺の裏取りはジェンの仕事ではない。
最終的に今の話が裏の仕事に結びつくかどうか、今のジェンにある思惑はそれだけだ。
なのでスミカに復讐代行の依頼の方法について教えてやる事にした。
「この町の外れに『ヒノカミ』を祀る聖堂がある。そこの受付窓口で『シノカミ』に寄進したいと伝えればいい」
「『ヒノカミ』ではなく『シノカミ』なのだな? するとどうなる?」
「紙を渡されるから指示に従って行動しろ。もし文字が読めないならその紙を持ったまま待合室で待機していれば問題ない。それと当然だが依頼料は必要になるからな」
「そうか、かたじけない。この恩は……」
「いらないし、返してくれる必要もない。出来れば今日ここで俺に会った事も忘れてくれると助かる」
ジェンが一応の話を切り上げて、この場所から早々に立ち去ろうとした時だった。空き地の唯一の出入口に立ちはだかる様にして五人の男たちが姿を現したのである。
ジェンはその男たちのうち二人に見覚えがあった。スミカとすれ違った後に周囲を威嚇しながら歩いていた男たちだったからだ。
それよりも五人全員が腰に剣を携えている事で、ジェンが危惧していた事がほぼ確信に変わる。
想像通り、やはりあの男たちはスミカを追っていたのである。
現状、まだ正式な仕事になった訳でもなく、また彼女を助ける義理もない。
だが逆に言えば、これが仕事になる可能性もあるのもまた事実である。
状況的に見てこの場で向こうがジェンにも絡んでくる可能性は半々といったところだ。
ならばここは下手に動かず、少しばかり様子見を決め込むことにした。
ただ一応、スミカに対しては、今この場でというより彼女の背後で起こっている出来事だけを伝える事にする。
「誰かが来たぞ」
その言葉を聞いたスミカが慌てた様子で自分の背後へと振り返った。
彼女の挙動から、まず可能性は低いだろうが、一応念の為に聞いてみる。
「奴らはスミカの復讐の協力者か?」
頭を左右に振りながら、スミカが苦々しそうな声色で答えた。
「いや違う。奴らは某への追っ手だ」
「そうか……」
スミカの発した追っ手という単語。さらに現在の彼女の様相と復讐の協力者を必要とする理由が完全に結び付き、ジェンは思わず頭を抱えそうになった。
どうして頭を抱えそうになったのか?
それはスミカの存在が特定されていて、追っ手がかかっており更には、今こうして捕捉されているからである。
彼女の目的からして、こうなる理由が思い浮かぶとすれば、一つだけしかない。
それは『スミカは最低でも一回以上復讐を実行しようとして失敗している』という事だ。
薄々感じてはいたが、彼女の復讐代行が正式に依頼されても難易度がかなり高いものになるのが確定してしまったのである。
そうこうしているうちに五人の中から三人の男たちがこちらへ向かって歩いてきた。
残りの二人は逃げ道を塞ぐようにして、唯一の出口の傍に立っている。
彼らがやってくる間にスミカが申し訳なさそうに声をかけてきた。
「申し訳ない。某の所為で貴殿に迷惑がかかってしまった」
「……ジェンだ」
「え?」
「俺の名前だよ。名乗ってなかったろ?」
ジェンの会話の意味が理解できないのかスミカが眉根を寄せた表情を向けてきた。
男たちが更に近づいてきたのでとりあえず今は、先にこれからのプランを聞いておく事にする。
「それで、どうする?」
「強行突破……と言いたいが、難しいだろうな。貴殿……いやジェン殿だけでも逃げてくれれば」
「どうも向こうに逃がすつもりがなさそうだけどな」
ある程度こうなる事態も想定していたので焦りはない。
人目のない場所なので、向こうも穏便に済ますつもりはないのではないかとすら考えている。
そしてその考えに間違いはなかった。
男たちは何も言わず、腰に携えていた剣を抜いたからだ。
「自分の身を守れるか?」
「問題ない。そちらこそ何とか上手く逃げて欲しい」
(……この状況で自分だけが逃げれる訳がないだろうが)
などと考えても決して口には出さず、ジェンは事態を打開するため自ら意識を戦闘モードへと切り替えたのだった。