第二章 その5 尾行者
「それで、どうしてアオイがこんな場所にいるんだ?」
ジェンはアオイに率直に尋ねた。
現在二人は騒ぎのあった場所から少し離れた場所にある噴水広場に移動している。
商店街の中心にある噴水広場はそこから放射状に広がる道路から様々な商店へと向かう事が出来る場所だ。
そんな広場でジェンとアオイの二人は噴水を囲む様に設置されているベンチに並んで腰掛けていた。
「ジェンふぁ、ふぁいほのにひったふぇひいたはら、ほってひた」
「口の中の物を飲み込んでから喋れ!」
露店で売っていたパンに焼きたての肉を挟んだ食べ物を頬張りながら喋ったアオイにジェンが注意する。
アオイは口の中の食べ物をモグモグゴックンすると、もう一度喋り出した。
「ジェンが買い物に行ったって聞いたから追ってきた」
「聞いたって誰に?」
「ヌローワちゃん」
「なるほど。それはつまり買い物を手伝ってくれるつもりだったとかだな?」
「違うよ。マッサージ終わって暇だったから、何となく追ってきたの」
「……あっ、そう。まあ別にいいんだけど、何か釈然としないな」
アオイと二人きりなのでジェンは少し憮然とした表情になる。
するとそんなジェンの顔を見たアオイが真剣な口調で話しかけてきた。
「ところでさぁ、話変わるんだけど、ジェンって誰かに尾行される様な覚えある?」
「んっ? いや、今日はさっきの騒ぎ以外に目を付けられる様な心当たりはないぞ」
「そっか。それじゃあどうする? 泳がす? それとも……」
アオイの眼に危険な光が浮かび上がった。このまま放っておくと暴走するかもしれないので、ジェンは彼女を落ち着かせる為の返答をする。
「できれば目的は知りたいな。どこだ?」
「噴水の向こう側、道路傍の木の陰」
アオイは指定した場所へは一切視線を動かさずに、ジェンもまた尾行者の気配だけを感じ取ると静かに頷く。
「確認した」
ジェンの返答を受けて、アオイが少し意外そうな表情で問いかけてきた。
「本当に気が付いてなかったの?」
「少なくとも俺一人の時は尾行されてなかったよ。アオイと一緒に行動するなら、気を払う必要ないだろ」
その言葉を聞いたアオイはジェンの方を見ると目を大きく見開かせ、すぐに顔を背ける。
「バッカじゃないの! 油断し過ぎ! 先に戻る」
耳まで真っ赤になったアオイはそのまま立ち上がると大通りに向かって歩いていった。
ジェンはその後ろ姿を見ながら木陰の人物の動向を探る。
「アオイは演技が上手くなったなあ。……さてと、別れてやった訳だが……どうやらあっちを追う様子はないな」
ジェン達は仲間内で状況ごとに様々な行動パターンを予め決めている。当然、先ほどアオイが絡まれた時も、つい今しがた二人が別行動し始めたのも全て決められた通りに行動しているのだ。
それは裏の顔を持つ彼らが持つ当然の意識であり、リスクを最小にする為の自衛策でもあった。
今回は追っ手が一人だけと予想して、他にも仲間がいるかどうか反応を見たのだが……
「アオイを追って不自然に動いた奴はなし。つまりコイツは一人で行動していて、さらに狙いは俺だな。ならこっちも動くとするか」
ジェンは荷物を持つと立ち上がりアオイの進んでいった方へと歩き始める。
すると予想通り尾行者も少し後から動き出した。
「やはり追ってきたか。それじゃ、作戦開始といくか」
背後の尾行者の存在をしっかりと確認しながら、ジェンは歩き始めたのだった。
◇◇◇
道を曲がるごとに少しずつ人の姿がまばらになっていく。
だが完全に人がいなくなっているという事ではなく、姿は見せないが気配はするという雰囲気に変わっている。
ジェンは少しでも人の気配がない場所を探して裏路地の奥へと向かって歩いていく。
尾行者は相変わらず適度な距離を保ったままこちらの後をつけてきていた。
ジェンはその尾行者を引き連れたまま裏路地の行き止まりにある空き地へと自ら足を踏み入れる。
広さがそれなりにある三方を壁に囲まれたその空き地は袋小路になっている場所だった。
空き地の中央まで進んだジェンは足を止め、ゆっくり振り返ると尾行者が姿を現すのを待つ事にする。
手に持っていた荷物は地面に置いて、自分に用があるのならここまでやって来いと言わんばかりに、空き地の真ん中で堂々と立ち尽くす。
しばらく様子をみてみたが、ジェンの前には誰も姿を現さなかった。
状況を整えても動かない尾行者に対し痺れを切らしたジェンは相手に呼びかけてみる事にする。
「出て来いよ! 何か用があるんじゃないのか?」
ジェンの声に呼応したかの様に少し風向きが変わり、そこでようやく隠れていた尾行者が空き地の入り口に姿を現した。
尾行者は何かを観念したのかゆっくりとジェンのいる空き地の真ん中に向かって歩み寄ってきたのである。
長く艶のある黒髪を頭の後ろで束ね、凛とした気高さを感じさせつつもどこか陰のある顔をしている女性だった。
黒っぽい外套を纏い、衣服も黒い物を着用している。
年齢は見た感じアオイと同じ十代後半くらいに見える女性で、周囲を確認する様にしながら慎重に一歩ずつ近づいてきたのだ。
近づいてきたその尾行者には見覚えがあった。
今日、買い物中に見た人間の中で、ジェンが唯一印象に残った人物だから当然だろう。
その人物は人混みの中を誰ともぶつからずに走り抜けていった女性だったのである。
一応、注意を払いながらもまずはジェンの方から声をかけた。
「えっと、尾行される様な覚えはないんだが、俺に何か用か?」
女性はジェンから四~五メートルほど離れた場所で足を止めた。
彼女の視線が軽く彷徨いながら空き地の周囲、そしてジェンの後方辺りを探る様に動き終えて、ようやく口を開いたのである。
「どうやら罠ではない様子。大変失礼した」
まず女性は開口一番でジェンに対して詫びの言葉を口にした。
とても透き通るような、だがその中にしっかりとした芯のある声色だった。
一応、謝罪の言葉を口にはしたが、目線はジェンの事を見たままで、一切の油断はしていないようだ。
「ああ、なるほどな。大人数で待ち構えているかもと思ったのか。見ての通りだよ。そんで用件は?」
「その前に名乗らせていただきたい。某の名はスミカと申す。貴殿にお尋ねしたい事があり失礼を承知で後をつけさせてもらった」
「……」
ガッチガチに固い口調でスミカと名乗った女性の自己紹介にジェンはどう対応したものかと思っていると、彼女はそのまま話を続けていく。
「貴殿の先ほどの騒動を見させていただいた。そこで不躾な質問ではあるが、一つお尋ねしたい。貴殿は混血者であるか?」
「……そうだよ」
全く目を逸らすことなく、ド直球で質問してくるスミカの瞳を見てジェンは素直に頷いた。混血者は一般の人々から忌み嫌われる事が多いが、彼女の目はジェンに対して、そういった感情を含んでいない事がすぐに分かったからだ。
「それで? 俺が混血だったら、何だって言うんだ?」
スミカに少し興味が湧いたジェンは彼女に続きを促した。その言葉を聞いて彼女は続きを語り始める。
「この町には復讐を手伝ってくれる混血者がいるという噂を聞いた。混血である貴殿はその様な人物に心当たりはないだろうか? 或いは貴殿がその復讐を手伝う者であるのか?」
「復讐を手伝うだって……? へぇ、そんな噂があるのか」
「この数日間、町中を捜し歩き、ようやく見つけた手掛かりが貴殿なのだ。どんな些細な情報でも良いのだが」
「済まないが、その復讐を手伝うっていう混血者に関しては何も知らないな」
「そうか……ならば仕方ない。これまでの無礼な振る舞いを詫びよう。ではこれにて失礼する」、
スミカは少しだけ落胆の表情を見せたが、すぐに気を取り直し軽く頭を下げると踵を返しトボトボと歩きだした。
そんな彼女の姿を見てジェンは軽く頭を掻きながら、溜息と共に背後から声をかける。
「……手伝いをしてる奴の噂は知らないが、復讐を代わりに請け負う、復讐代行をしてくれる混血者の噂なら知ってるぞ」
「えっ!?」
ジェンが告げた瞬間、スミカが勢いよく振り返り、ズズいっと近づいてきた。
「ぜっ、是非、その噂の事を教えて欲しい!」
一呼吸で距離を詰めたスミカの足さばきは見事の一言だった。だがジェンは彼女の動きに対する感心よりも先に、思わず本能的に顔を顰めてしまったのである。
町で一瞬すれ違っただけでは全く気に留めなかった。
だが、こうして近づいて話しかけられてみたらこれまでの彼女の行動の意味が理解できてしまったのだ。
道理で彼女が必要以上に距離を取っていたはずである。
改めて近づいてきたスミカを観察すれば一目瞭然だった。
髪に艶がある様に見えたのは脂による汚れ、顔に陰がある様に思えたのも黒っぽい泥か何かの汚れ。
そして空き地で待つジェンの前に中々姿を現さなかったのは、恐らく自分のいる方向が風下になるまで、つまり風の向きが変わるのを待っていたからだったのだ。
ズバリ、このスミカという女性が元はかなりの美人であることに疑いの余地はない。
しかし今現在の彼女は、とんでもなく汚れており更にはかなりの異臭を放つ、いわゆる汚嬢さんだったのである。