第二章 その4 買い物帰りとトラブルの発芽
ジェンは買い物メモを頼りに、商店街のそれぞれ店で一番安く売っている品物を購入していった。
よくよく考えたら代金は後で魔獣狩りの本部に請求すれば全額支払ってもらえるのを思い出したが、商品を安く買うのは楽しいのでまあ良いかと思って買い物を続けていたのである。
品物ごとに店を分けたので紙袋が一杯になってしまい気が付けば両手で持つのがやっとな量になっていた。
「しまったなあ。大きめの買い物袋を持ってくるべきだった」
荷物を一纏めにするのに買い物袋があれば便利なのにと思って歩いていると、少し離れた場所に人だかりができている事に気が付いた。
ジェンはどうしてこんな所に人が集まっているのか不思議に思って、近くにいた露店の店員に聞いてみることにする。
「何か凄い人が集まってるけどどうかしたのか?」
「えっ? ああ、なんか女と複数の男が揉めてるらしいですよ」
店主の言葉を聞いてジェンは少し戸惑った。
何だか嫌な予感がしたのである。
そのまま立ち去る事もできたが、一応様子を窺ってみようかと思ったジェンが人だかりの方へ近づくと聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ちょっと、いい加減にしなさいよ! 言い掛かりも大概にしないと本気で怒るわよ!」
「なんだと! 俺の弟分がアンタにぶつかって怪我してんだよ! そのまま立ち去ろうってのは虫が良すぎるだろ」
「怪我も何も、女にぶつかって怪我する軟弱なアンタの弟が悪いのよ!」
「おいおい、なんてひでぇ言い様だよ! コイツがこんなに痛がってるのが見えねえのか?」
「うわあー痛えー、痛えよ兄貴ー!」
どっからどう聞いても質の悪い当たり屋の絡みにしか聞こえなかった。
……但しそれが普通の相手に対しての言葉ならば、であるが。
人垣を掻き分けて騒ぎの中心を覗くとやはりそこには見知った顔があった。
偶然、顔を出したその正面にいたその人物と目が合うと、一瞬驚いた顔になったがすぐにジェンに対して声をかけてきたのだ。
「あっ、ジェン! ちょっと聞いてよ、コイツ自分から私にぶつかってきて勝手に怪我して文句言うのよ」
騒ぎの中心にいたのはアオイだった。
「何だ兄ちゃん、この女の知り合いか?」
つい今までアオイに対して声を荒げていた男が怪訝そうな顔で振り返り、ジェンに話しかけてくる。
「まあ、一応……」
「ちょっと! 一応って何よ! ガッツリ知り合いでしょうが!」
アオイが可愛らしくプンスカ怒っているのだが、正直もうちょっと空気を読んでくれとジェンは思った。
こんな人の多い場所で大っぴらに他人と諍いを起こすのはさすがに勘弁してほしい。
とりあえず関係者宣言してしまったので輪の中心まで移動する。
「ようし、良い度胸だ。それでこの落とし前はどうしてくれるんだ?」
「落とし前か……謝ればいいのか?」
「おいおい、舐めてんのか兄ちゃん? こっちは怪我させられてんだ、謝っただけで済むと思ってんのか!」
「でもぶつかったのはお互い様だろ?」
「違う! そっちがぶつかってきたのよ!」
「少しだけアオイは黙っててくれないか」
まだ興奮気味のアオイと男との間に無理やり入って行動を制止する。
一瞬、ジェンに何かを言いかけたアオイは目を見開くと黙って後ろに下がった。
それを確認してジェンが口を開く。
「怪我したって言うんだったら医者に見せに行こうじゃないか」
ジェンは改めて兄貴分の男に対して提案し、倒れながら呻き声を上げている弟分の男に近づこうとした。
だが兄貴分の男がジェンが近づくのを阻止する様に立ちはだかる。
「いや、医者はこっちの知り合いの所に連れていく。お前は治療費さえ払ってくれりゃそれでいい」
「それだと治療費は言い値になるだろ」
「当然だ。それが落とし前なんだからな」
どうやらアオイが本当に怪我をさせているという線はなさそうだった。
万が一にも本当に怪我をしている可能性があったので様子をみていたが、この態度は騙りとみて間違いないだろう。
「ふむ。確かにそうか。でも一つだけ確認しておきたい」
「何だ?」
「そいつが痛めたのは左肩だけで良いんだよな?」
「おい俺の弟分が地面に這いつくばってのが見えてないのか? 全身ボロボロになったに決まってるだろうが!」
「そうかよ。つまり今そこで倒れている奴は自分では動くことができないと、そう言いたいんだな?」
「見りゃ分かるだろが、ボケッ!!」
兄貴分の男がジェンを恫喝した。
だがジェンはそんな怒鳴り声など、どこ吹く風とあっさりと受け流す。
「そういえば最近は天気が不安定だよな」
「はぁ……?」
それどころか突然妙な事を言い始めたジェンを見て兄貴分の男は訝し気な顔になった。
と、そこでポツリ、ポツリと空から水滴が落ちてきたのである。
青空なのに突然降りだした雨に少し気をそがれたのか兄貴分の男は苦い顔で空を見上げ、そして動きを止めた。
「何だよコリャ……」
いつの間にか五メートルほど上空に大きな氷の塊が浮かんでいたのだ。
直径が一メートルはありそうなその氷の塊はユラユラと揺れながら弟分の真上を浮遊している。
倒れていた弟分もその存在に気が付いた様だった。
今にも自分の身体の上に落下してきそうな雰囲気の氷の塊を見て呻き声どころか完全に言葉を失っていたのだ。
周囲で成り行きを見守っていた人々も突然の異常事態に気が付いた様で、蜘蛛の子を散らした様に人だかりがばらけていく。
「おや、こんな事もあるんだな。あれが落ちて来たらただじゃ済まないだろうけど……その男を助けようにも近づいたらダメらしいし、残念だ」
「な、何をしやがった?」
「俺は何もしてないよ。あ、そうだ。もしアレがアンタの弟分の上に落ちてしまって、その男が死んだとしたら、もう治療費は払わなくても良いよな?」
「こんなもん、絶対お前の仕業だろうが!」
半ばパニック気味に兄貴分の男が叫ぶ。
だがやはりジェンはそんな叫びを無視してもう一度同じことを聞き返した。
「死んだら、治療費は払わなくて良いよな?」
「ふ、ふざけんな! もし本当に落としたら、どうなると思って……」
兄貴分の男はジェンの顔を見て言葉を紡ぐことができなくなった。
それどころか強面の自分を見て全く怯まずに振る舞うジェンに対し逆に怖気づいてしまったのだ。
「アンタの弟分は随分と苦しんでるみたいだし、意外と楽になるんじゃないか?」
その時だった。
ジェンが言い終わったと同時に上下に揺れて浮いていた氷の塊がゆっくりと落下し始めたのだ。
「ひいいっ!」
地面に寝そべったまま上空の氷を観察していた弟分の男が慌てて四つん這いのまま倒れていた場所から逃げ出した。
そこから数メートルほど移動すると頭を抱えながら立ち上がって更に安全な場所を目指し一目散に移動する。
「おや? アンタの弟分、普通に動いてるけど?」
ジェンが兄貴分の男に対して声をかけた。
だが声をかけられても男は全くリアクションができない。
何故なら落下してきた氷をジェンが地面に直撃する数十センチ上の所で片手だけで掴んで止めているからである。
もう片方の手は腕一杯を使って紙の袋が三つほど乗っけてあり、果たしてジェンは現在どれ程の重量を両腕で所持しているのか計り知れなかった。
「は、は、は……な、なんだよソレ……」
どうにか自分に危害が及ばない様にという事なのか、兄貴分の男は二歩、三歩と後ろに下がっていく。
もう完全に相手の心が折れているのが分かったジェンはおもむろに口を開く。
「もうこれくらいにしとこうぜ。今後はお互いに気を付けるって事でどうだ?」
「あ、ああ、分かった」
兄貴分の男は何とか声を絞り出すと、そのまま弟分と一緒にその場から走って立ち去っていった。
ジェンは一先ずトラブルは去ったと判断してアオイの方を見る。
「アオイ、そろそろこの氷を消してくんない?」
「えっ? もういいの」
何やら芳ばしい匂いを放つ露店の方を見ているアオイが適当に返事をする。
「そんなんだから、あんなのに絡まれるんだよ」
ジェンは呆れ顔でアオイに向かってボヤくのだった。
◇◇◇
そんなジェン達の騒ぎを離れた場所から見ている人物がいた。
「みつけた」
その人物は小さく呟くと気配を殺しながらジェンの後を追い始めたのであった。