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王太子様まだ何もしてないのに……不憫。
「ではフォレスター公爵、その様にお願いする」
「畏まりました。今後は週に一度に調整致します。ですが殿下は既に公務もなさっておられるのに、お忙しいのでは?」
「週に一度、婚約者との時間を作れない様では国を治めるなど出来ないだろう。私の事は心配無用だ。それより公爵、クレメンティーヌのスケジュールを把握していなかった方が問題だ」
「娘が望むままに教師を呼んで、その後の管理は娘に任せておりました。ですが、ここまで過密な日々になっていたとは……。殿下に指摘して頂けなければ、娘は倒れてしまっていたでしょう。本当にありがとうございます」
「私に対する礼などより、今後クレメンティーヌが健やかに過ごし、楽しみの一つでも作れるよう配慮して欲しい。クレメンティーヌの安寧は、私の安寧でもあるのだから」
「いやはや、言葉もありません。ここまで殿下に想われるとは……今後とも娘を宜しくお願い申し上げます。クレメンティーヌ、殿下にお礼を」
「クレメンティーヌ、礼など要らないよ。婚約者として気付くのが遅かったくらいだ。だがもし良ければ、今日の様に何か作ってくれると嬉しい」
「……………」
きらきらした笑顔でそう宣った王太子殿下に返す言葉が出て来ない私を見て、向かいに座ったフォレスター公爵、もとい父上から無言の圧がかかるが無視した。
何でこうなった?
◇◇◇◇◇◇
時を遡る事少し。
先触れの通り、正午の少し前に王太子様はやって来た。
身体に染み込んだカーテシーは私の意思とは関係ないらしい。
素晴らしく流れる様な所作で出来た。
クレメンティーヌ、凄い!
……にしても、ゲームでは見慣れてたはずの王太子様なんだけど、実物は神々しい程の美形だった。
金髪に金の瞳は王家直系の証だけど、造作の整った顔に付くとキラキラ度が半端ない。
15歳とは思えない長身の体躯は、間違いなく鍛えてある。
所作は優美で洗練されていて、それが嫌味にならない高貴さは生まれついたものだろう。
エスコートの為に腰に回された手も、全くいやらしさを感じないのだから……非を探す方が難しい。
流石私の推し!クレメンティーヌの尊敬を得ただけある。
……それに若干似ている顔が私の心を揺らす。
何の為にこの世界に転移したのかわからないけど、この世界での目標は決めたんだ。
私の感傷なんて捨てないと。
この王太子から受ける酷い仕打ちと断罪から逃げる、それが今の私がすべき事。
とにかく今は王太子様とのお茶会。
満を持して待ちかねた王太子様の訪問なんだから。
本日のお茶会は、公爵家自慢の庭園がよく見渡せる東屋で行われる。
白いテーブルの上には例のソレがある。
3段の繊細な花飾りが洒落たケーキスタンドには、料理長が作った小振りで可愛らしいケーキが数種類並んでいる。
だが、例のソレは別の皿の上。
ケーキと見比べると可哀想な出来映えのソレは王太子様の前に鎮座している。
テーブルの上で紛れもない異物なソレは、違う意味で目を引く。
着席した王太子様の視線も、ちゃんと奪ってくれた。
「珍しいね、私の前に甘いものなんて」
見た目が微妙なことや好みでない甘いものがある事には触れず、常にないことだけ聞く王太子様。
……気遣いもさりげないし、当たりも柔らかい。
加点要素しかないんだけど。
お茶を淹れていたソフィアがすかさず答える。
「バタークッキーでございます。クレメンティーヌ様が先程殿下の為にと作られました」
「えっ?」
ほう?確かこの王太子様もヒロインを出逢うまで、無表情か貼り付けた微笑みがデフォだったはず。
驚愕の表情なんて初めて見た。
クレメンティーヌの手作り、破壊力抜群だったようだ。
「初めて作りましたので、上手には出来ませんでしたの。申し訳ありません。すぐに下げさせます、ソフィ……」
「待ってくれ!下げなくていい、食べるから。クレメンティーヌありがとう、頂くよ」
えっ、何?
食い気味に言葉を遮るなんて、冷静沈着な王太子らしくないよね?
それに……食べるって言った?
ええ〜!!
た、食べるの?
驚きに固まる私を余所に、王太子はクッキーに手を伸ばし口に入れる。
クッキーを食べてるだけなのに、私、ソフィア、王太子、離れて見守る公爵家の使用人と王太子の護衛が妙な緊迫感を醸し出す。
サクサクとクッキーを咀嚼する音だけが聞こえる。
ごくん。
そして嚥下されたクッキー。
「「「「「………………」」」」」
多くの視線が王太子に集まっていた。
えっ、やめて。
この状況でクッキーの評価されるわけ?
……変な緊張で気分が悪くなってきた。
「クレメンティーヌ!顔色が悪い、気分が悪い?何処か痛い?ソフィア!」
「あっ、いえ大丈夫ですわ」
「クレメンティーヌ様、真っ青です。とにかく横になりましょう。東屋の長椅子まで歩けますか?」
「ええ、歩け、あっ」
「暴れないで、落としてしまう。私の首に手を回して?そうすれば安定するから。ソフィア、長椅子にもっとクッションを」
「はい、今すぐに」
ソフィアに答えている途中で、王太子様に横抱きにされてしまったのだ。
私としては初めての経験で恥ずかしくて顔が熱い。
普通に生活してて、お姫様抱っこなんて経験する方が珍しいはず。
王太子が心配そうに覗き込んでくるので俯いてしまう。
うわあ、止めて〜!
そんな至近距離でどストライクのイケメンを直視なんて無理だから!
言う通りにしないと何をされるかわからないと思った私は、ぎこちなく王太子の首に手を回した。
「そう、それでいい。それにしてもクレメンティーヌ、君軽すぎないか?ドレスの重さを考えれば君は軽すぎるだろう。……今まで気付かなかった。婚約者として情けない限りだ」
「そ、そうでしょうか。他の令嬢と変わらないかと」
「他の令嬢はどうでもいい。クレメンティーヌが軽すぎるのは私が心配なんだ。考えてみればお茶会でもほとんど菓子に手をつけないね。甘いものは嫌いなのかい?」
「いえ、むしろ大好きですわ。でも体型を維持する為には控えなくては……」
「ならもっと食べればいい。体型など健康であれば些末な事だよ。クレメンティーヌの健康と楽しみを優先するんだ」
ちょ、ちょっと待って。
王太子、ゲームと違う。
ほぼ別人だよ。
甘い、甘すぎる。
クレメンティーヌ、王太子っていつもこんな感じなの?
今までの王太子と違うって?
こんなに喋らないし、気に掛けたりしなかったって?
私とクレメンティーヌが脳内会話をしている内に長椅子に下ろされた。
……壊れ物のように優しくそっと。
そのまま王太子はクレメンティーヌの前に跪き、乱れた髪を優しく梳く。
「クレメンティーヌ、お願いだから私を心配させないで。君に何かあれば私は冷静ではいられない」
「殿下、勿体ないことですわ。わたくしでしたら大丈夫ですから」
「……君がもう少し食べる様になるまで監視した方が良さそうだ。これまでは月に一度の交流会だったが、回数を増やす。ソフィア、公爵はおられるね。私が会いたいと言ってると伝えてくれ」
「えっ?で、殿下?」
「畏まりました。少々お待ち下さいませ」
「クレメンティーヌ、否は聞かない。これは決定事項だ」
あれよあれよという間にフォレスター公爵もとい父上と殿下で話はつき、最初に戻るのだ。
しかも話の間中、隣に座った王太子は私の手を握って離さなかった。
……本当に何がどうしてこうなった?
次回の投稿は10/25(日)です。