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この世界の竜は卵から産まれます。
大きさは成人女性くらいです。
……でかっ。
「ずっと一緒にいたって……」
「嘘じゃないよ?お姉ちゃんは寝る時必ずブツブツ言う」
「!」
ブツブツって失礼な。確かに前世で、寝る寸前に出来るだけ前向きな事を思い浮かべると良い、と自己啓発の本に載っていたのでやっていた。誰もいないからと結構声にでていたと思う。だけどその事は家族しか知らない。
でもそれを知ってる家族の中に私を『お姉ちゃん』と呼ぶ人間は……。
ん?
人間以外なら一匹、心当たりはある。
それを知ってるのは……愛犬の虎。
虎は例の事件の後、祖父が知り合いから譲って貰った黒と茶と白の豆柴。目の上の白い丸と茶色の靴下みたいな毛色が愛くるしい子で、飼いだしてからは毎日散歩をして、一緒に寝ていた。私が家に帰って来たら離れず常に一緒だった。私は一人っ子だったから、虎は私の弟分だった。
……まさかね?
…………違うよね?
すらりとした体躯に整った美貌、品の良い所作と滲み出る色気。なのに一瞬で雄々しさを纏い、威風堂々とした威厳を放つ。王者の風格を完璧な形で持つこの美丈夫が虎?
いや、ない。ないないない。
……よね?
「……まさかよね?」
「言ってみてよ。当たりかもしれないよ?」
間違ったからと言って何かされるわけではなさそうだけど、有り得なくない?
自分の突拍子もない思い付きは現実離れしすぎていて、口に出すのを躊躇ってしまう。もじもじしている私に痺れを切らしたらしい竜王が身を乗り出し、懇願する。
「お姉ちゃん、やらないで後悔するのは止めるって、これからは例え失敗したとしても、やってから後悔しようって、そう決めたんでしょ!」
ああ、この人は、この子は。
「……お膝」
緊張で掠れてしまった声は本当に小さくて、囁くような呟きになってしまう。
なのに……。
音もなく立ち上がった竜王は、対面のソファーに腰掛けた私の前に跪き片手を、私の震える両手の横、膝の上にそっと置いた。
「……良く出来ました」
麗しいお顔は咲いた花の様に笑み崩れていた。
でもその笑顔にはほんの僅かだけれどの哀しみがあった。
「……虎?」
「うん」
「どうして、虎まで……」
「理由はわからない。でも突然お姉ちゃんが帰って来なくなって、悲しくて悲しくて……そうして気が付いたら卵の中だった」
「卵?」
「うん、この世界で僕は竜だからね」
そっか、きっと虎も死んでしまったんだね。私が居なくなってきっとご飯も食べなかったんだろう。虎は私が出したご飯しか食べなかったから。
そうして、私と同じでこの世界に転生した。
私は目の前に跪く竜王の頭に手を伸ばす。竜王はその動作に気付くと私の手に頭を寄せてくる。虎と同じ、『撫でて』と言わんばかりのその仕草に私は微笑む。そして届いた手で艷やかな漆黒の髪を撫でる。女性も羨むような指通りの良い真っ直ぐな髪は思っていたより少し固い。その固さが虎を連想させ、思わず両手でわしゃわしゃと撫でてしまう。思う存分撫で回し納得した私は目の前の惨状に我に返った。
はっ!
イケメンに、ボスキャラに私は一体何を?!
麗しい漆黒のイケメンが……ボサボサで顔が見えなくなっていた。この惨状は私がした事で間違いなくて。
動揺した私は更に彼の髪を撫で回した。
「ふふっ、お姉ちゃんってば、くすぐったいよ」
ボサボサに撫で回されているのに、心底嬉しそうに弾む声。言葉遣いは子供なのに声は艶のある男性のそれで、なのに違和感がないのは私が彼を虎だと認識したからだろうか。
「ご、ごめん」
動揺も顕にそろりと手を離そうとした私だけど、それは叶わなかった。竜王が私の両手を掴んだから。
私の両手を握りふるふると頭を横に振る竜王。すると私がしでかした惨状はあっという間に元通りになった。
……狡い、何それ!
必死に手入れしてもそうはならないよ!
等と、訳のわからない事ばかり頭に浮かぶ。
うん、動揺しすぎだ。
落ち着け、私!
内心を表に出さないクレメンティーヌが培った貴族令嬢の嗜みで、残念な顔にはなっていないと思うけれど、私の心中は暴風が吹き荒れている。
だって、ボスキャラが!
ボスキャラが……何で虎なのよ……。
恋金の世界と全く同じではないこの世界だけど、イベントは起こり、人間と魔物は争っている。お互いに忌避し合っている。
それは、この城に入る時に会ったクロードという人の瞳が物語っていた。
虎はどう思っているのだろう。
竜を統べる王、竜王は魔物の頂点に位置する存在。虎の心次第で、それは変わると言っても過言ではない。
出来るのなら、争いたくない。
でも人的被害を黙って見過す事は出来ない。
人間と魔物。
この世界の全てとも言える問題。
……私の両手で掴めるのは、護れるものはどれくらいだろうか。
手に余る問題に私は小さく嘆息せずにはいられなかった。
次回の投稿は7/6(火)です。