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い、いつになったら学園生活が始まるのでしょうか。
……今暫くお待ち下さい。
微かなキンという音と共に結界が展開されたのを感じた私はフォレスター公爵令嬢もとい、くれはを見る。
「くれ……」
「キリア、まずプレザント伯爵令嬢の件を明らかにしてくれないかな。話はそれからだ」
気が急いてしまい、すっかり彼女の事をわすれていた。
「ああ、そうだった。この子は……」
「私は東條菜月です」
……君達は私に最後まで言葉を言わせてくれないつもりなのかな。
「えっ、東條さん?」
思わずといった感じでフォレスター公爵令嬢のくれはが言葉をこぼす。
「貴女は森川くれはさんですよね」
断定的な物言いはフォレスター公爵令嬢がくれはなのだと確信している。
「あっ……」
まだ全てが明らかではない状態で自ら失態をおかしてしまった事に動揺するくれはを庇うように光輝が話し出す。
「東條菜月か。お前も此処に飛ばされていたのか」
「……そういう貴方は一条光輝さんですね?」
「そうだ。わかっていたような口振りだな」
「街で会った時にそうではないかと思ったものですから」
「ほう?あれだけの時間で?理由は?」
「フォレスター公爵令嬢が森川さんなら側にいるのはあなた方のどちらかではないかと思ったのです。神田さんは違うのが確定していましたので消去法で一条さんだろうと」
「何故、俺か優だと思ったんだ?」
「私が乗っていたバスにいたのは一条さんと神田さんだけでしたので。他のお二人は別のバスだったはずです」
ぽんぽんと交わされる会話。
だが、それは親しさからではなく淡々とした質疑応答の類いで、傍から聞いていると喧嘩しているようにも聞こえる。それ故にくれはは二人を交互に見ながらやや狼狽えている。放おっておいて良いのか止めるべきなのかを考えあぐねているのだろう。
「どこでくれはだと確信したんだ?」
「決め手は笑い方です」
「……伊達に何年もストーカーじみた事してなかった訳だ」
「ストーカーではありません。相変わらず失礼ですね」
「ス、ストーカー?」
「森川さん、この人の言う事を鵜呑みにしないで下さいね。私が気に入らないので事実を捻じ曲げているのです」
「気に入らないのは合ってるが事実を捻じ曲げた覚えは無いな。お前は何年もくれはを目の敵にしてる女達の筆頭に立ちながらも、くれはをずっと観察してたじゃないか」
「くっ、それは……」
「それは紛れもない事実だと思うが?」
そう。このプレザント伯爵令嬢に転移した東條菜月という少女は、前世でくれはとかなりの因縁がある。私だって、あの事件が起きた時、殺してやりたいくらい憎悪したのだから。
「えっと、東條さん……って呼んだら良いのかな?」
終わらない殺伐としたやり取りに耐えかねたらしいくれはが割って入る。
「はい。それでも構いませんが、もし良ければ菜月と呼んで頂ければ……」
「東條で良いさ。友達でもあるまいし名前で呼ぶ必要なんてないだろう」
「チッ、要らない事を。私は貴方と話している訳ではありません。心の狭い男は嫌われますよ?」
最初の舌打ちはくれはには聞こえない程度の小さなものだが、私は聞き逃さなかった。う〜ん、中々肝の座った子だな。光輝相手に全く怯む様子が無い。まあ、私にはどうでもいい事だけれど。
「煩い二人は放おっておこうね。くれは、なんだよね?私が誰だかわかる?」
「……光輝が優だって。本当に優なの?」
「うん、間違いないよ。信じられないなら私とくれはしか知らない事を聞いてくれたら良いよ。本当に奇跡的だよね、揃ってこの世界に転移するなんて」
バスが転落して死んだと思ったらこの世界に来ていた。ああ、神の悪戯か気まぐれなんだろうと、割とすんなりと受け入れたのは、私が神田家だからだ。
神田家。この家には代々受け継がれる役目がある。その役目とは、神の依代になること。
科学が進歩し、AIが人の仕事すら出来る時代に産まれて尚、『神』という非科学的な存在を信じざるを得ないのは、この身に『神』を降ろすからだ。『神』を降ろすには器となる依代がいる。その依代となる人間に耐性がなければ、降臨したら即死してしまう。『神』は人と感覚が全く違う為、人からすれば自由気ままに見える。だが『神』は人をこの上なく慈しんでいるのも事実である。だから時々、時代を動かすであろう人物や心根の優れた人物に『助言』を与える。その為に必要な依代が神田の一族なのだ。
神田家は元々古くから神に仕える仕事に就いており、信心深い。それ故『神』は神田家に力を与えた。その力は子孫にも受け継がれていった。雪だるまのように神へ奉仕を続けた徳が神田家の人間を更に強化し、気が付けば『神』を降ろすことすら可能な人間になったのだ。
神田家の人々は時の有力者に『神』の助言を与える者として厳重に秘され保護される事となる。望めば金も権力も思うがままに手に入れられただろうが祖先はただただ『神』を崇拝するだけだった。愚直なまでに『神』の依代を務めてきたのだ。
別に私だって『神』を敬愛し崇拝しているが、盲目的な一族程ではない。人生の全てを『神』に捧げることに一片の躊躇いも持たない。それ故『神』の依代に選ばれた人間は『神』に全てを捧げ一生を終えるのだ。自らの幸せを追求することなく。
私はそんな風には生きたくないのに無情にも『神』は私を選んだ。『神』の依代に。
『神』が初めて私に降りた時、私は三歳だった。
自分の意志と反し動く身体、発する言葉。私はひたすら恐怖した。だけど周囲は違った。ここ何十年、何代も依代が産まれなかった神田家。『神』に見放されたのではと危惧していた神田家に現れた待望の依代。それは神田家を歓喜させた。まだ幼い私の生活は『神』が降りたその瞬間から一変した。
「優、お前は邪心を抱いてはなりません」
三歳の幼児に邪心を抱くということがどんな事なのかわかるはずはない。だけど周りの大人は容赦なかった。
「欲しがってはなりません」
「心安らかでいなさい」
「持てるものは他者に与えなさい」
『神』に仕える者として大人であれば受け入れられたであろうことは子供の私にとって拷問に等しかった。だけど誰一人として助けてはくれなかった。いや両親は助けようとしてくれた。だけど力が足りなかった。それでも私が息を抜ける時間を何とか作ってくれた。
そこで私は出会ったのだ。
くれはと。
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