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another sideです。
これが誰かはいずれわかります。
今でも夢に見る。
「あんたがいなければ!あんたさえ消えたら私は幸せになれるの!全部ぜんぶ!あんたが悪いのよ!!」
私が叫んだ言葉の暴力。
元々蒼白な彼女の顔は異様な程に血の気を失くし、大きく美しい瞳は光を失って硝子玉みたいだった。彼と居る時には頬は薔薇色に染まり、瞳はきらきらと輝いていたのに。まるで人形の様に微動だにしなくても彼女は見る者を魅了する位美しい。それすら忌々しくて、粉々にしてやりたかった。
ただ思い通りにならない事への八つ当たり、癇癪を起こして自分より弱い相手にぶつけただけ。それがあんな事態を引き起こす事になるなど、馬鹿で無知な私はこれっぽっちもわかっていなかった。
人を傷付けるのは暴力だけではない。
時に言葉は暴力以上に人を傷付けるのだと、私は知らなかった。
旧華族の血が流れる我が家は勢いを失くし、普通の家庭より少し裕福な程度だった。だけどプライドは以前のまま高かった為、体裁を繕うのに必死だった。父やその兄弟は目減りした財政を補う為に裕福な名家と縁組みをし、何とかぎりぎりやってきたのだ。
支援を受ければ下に見られる、それをされるのを暴力でねじ伏せる。それは父だけでなく、父の兄弟も同じだった。日常的に行われる暴力は子供にも向いた。我が一族は弱いものは蹂躙されるのが当たり前であり、それが嫌なら、されない為の価値を示さなければならなかった。……母はすでに心を病み、私の庇護者は誰も居なかった。幼女に価値など示せるはずもなく、私はひたすら耐えて過ごした。
裕福な子女が通う大学まで一貫の幼稚舎に入園する前、近寄るのも震える父が書斎に私を呼んだ。いつも出来るだけ視界に入らないようにしてやり過ごしていても、時々こうやって呼ばれる事がある。理由は2種類。
機嫌が良く自慢をしたい時と、機嫌が悪く私で憂さ晴らしをしたい時。
果たして今日はどちらなのだろう。
入園式まで日が無いとはいえ、普段も見える場所に痣を残す様な間抜けではないので、どちらなのか判断出来ない。
扉を叩くとすぐ声が返ってきた。
「菜月です」
「入れ」
声の調子からして機嫌が悪い訳ではなさそうだ。
私にしたら重い扉を何とか開けて書斎に入る。高そうなどっしりとした机に肘を付き、品定めするように目を眇めて私を見る目は血の繋がった父親のものとは思えないほど冷淡だった。
「菜月、お前が入園する幼稚舎にある財閥の御曹司がいる。名前は一条光輝。一条グループ直系の男子で、次期総裁に一番近い。こいつに好かれろ」
「一条光輝……」
「だが問題がある。こいつの側には幼い頃から仲のいい娘がいる、森川くれは。この娘を退けなければならない。どんな手を使ってでもいい。森川くれはを退け、一条光輝に好かれるんだ」
「わかりました」
「一条光輝やその友人、そして森川くれはの情報は秘書に持っていかせる。もし、一条光輝に好かれれば、お前はこの家で一番大事にされる人間になる。巡ってきた幸運を掴めるかはお前次第だ。だが失敗すれば……わかるな?持てる全てを駆使し、一条光輝に好かれろ」
一条光輝に好かれれば、待遇が改善される?
殴られたり蹴られたり、食事を抜かれたりしなくなる?……何としても好かれなくてはいけない。それに、失敗すれば今以上に酷い扱いを受けるのだろう。最後に濁した言葉はそういう事だろう。結局のところ、私に選択権など無く、命令された事をしなくてはならないのだから。
秘書から渡された情報は子供が理解するには難しく、それでも父や兄弟には聞けない私は家政婦や使用人に訪ねながら把握する。
一条光輝と森川くれは。それと三人の幼馴染。彼等の両親は学生時代からの友人で家族ぐるみの付き合いだ。全員名のある家の跡取りで、各分野で活躍している人物ばかり。ただ、森川くれはの母の情報だけ無い。うちの力をもってしても調べる事が出来ない程、厳重に秘匿されている。まあ、そこは問題ではないだろう。
とにかく一条光輝に好かれ、森川くれはを蹴散らすのだ。私は一条光輝の趣味嗜好を頭に叩き込み、森川くれはを退ける算段を始めた。
そうして迎えた入園式。
私は自分に課せられた命令がどれだけ難しいものなのかを知った。
一条光輝。名の通り、整った容姿と選ばれし者のオーラを放つ美少年。うちの父や兄弟よりも威厳がある。
それに幼馴染の情報は簡単にしか書かれていなかったけれど、他の三人も飛び抜けてる。そして、そのハイスペックな美少年達が守るかの様に囲っている、光のエフェクトが見えそうな美少女。
森川くれは。
白い肌に艶のある真っ直ぐな黒い髪。何より目を惹くのは大きな美しい瞳。華奢で儚げな外見とは異なり、強く輝いている。きらきらと希望に満ち溢れた美しい瞳。
……気に入らない。
何もかも全てが気に入らない。特に、その汚れを知らない瞳は憎悪すら感じる。
父に命令されなくとも、私はきっとこの娘を地獄に落としたいと思っただろう。私は初めて父に感謝した。あらゆる我が家の権限を一条光輝と森川くれはに使えるのだから。
ああ、あの瞳を絶望と涙で曇らせたい。
そうして何の汚れも知らないあの娘を、私と同じ場所に貶したい。
そうすれば、どんなにすっきりするだろうか。
憂鬱だった父の命令が至高の愉しみになるなんて。
感謝するわ、森川くれは。私と出会ってくれて。
私に最高の愉しみを与えてくれて。
さあ始めましょう、私と貴女の楽しいゲームを。
……そんな風に思った。
私は知らなかった。
誰かを好きだと思う気持ちも、友達なる方法も。
だから、間違えてしまったのだ。
次回の投稿は2/20(土)です。