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光輝視点です。
……俺様は好きな娘に弱いのです。
くれはの様子がおかしい。
有無を言わさず馬車に乗り込み、離さず膝の上に乗せたはいいけれど、ぴくりとも反応しない。いや、顔は林檎の様に熟れて、聞こえる鼓動は忙しないのだが、ぎゅっと瞳を閉じたまま固まっている。
やりすぎて、キャパオーバーとか?……いや、くれはなら多少なりとも反撃してくるだろう。なら何故だろう?
…………。
考えてもわからない。それに俺だってかなり緊張しているから余裕はないんだ。『早く言わなければ』――その思いは日々焦りへと変わり俺を苛む。くれは悪い、時間が無いんだ。本当ならお前が心身共に万全な状態の時に告げたかった。でもそうも言ってられないんだ。
俺の腕の中にすっぽりとおさまっている、いつになく大人しいくれは。小さい頃は当たり前の光景だった。
同じ歳ではあるが男女の違いと俺の遺伝子のせいで、幼稚舎の入園前にはくれはと頭一つ分くらいの差が出来ていた。無邪気に慕ってくるくれはの世話をするのは俺の役目で、他の三人に絶対任せる事は無かった。それは一種の独占欲なのだと理解したのは随分後のことだったが。
くれははテーブルに着くとき椅子によじ登っていた。周囲の大人達は敢えて子供用の椅子を用意せず、くれはがよじ登るのを愛でていたのだ。今思えばなんて子供じみた大人達だろうか。そんな事を知らない俺はくれはを持ち上げ膝に乗せる。頭一つ分違っていてもそれは容易な事では無かったけれど、俺がしなければ他の三人の誰かがするのは目に見えていたから必ず俺がした。
くれははいつでも真っ先に俺の元にやって来る。可愛い大きな瞳を輝かせて。俺に用事があれば纏わりつく様な事はせず、大人しく待つのだ。だが、そうなると他の三人が黙っているはずがなく、すぐに連れ去られてしまう。そんな事をさせるのは業腹で俺はくれはに会える時、用事を完璧に済ませる様になった。
俺の家は所謂財閥だ。
父や父の血筋に連なる者がその経営に携わる。だから俺達は幼い頃から様々な教育がなされる。最悪な事に俺は直系の長男だった。
親族の男達は能力でその地位が変わる。直系の長男だからと言って次期総帥になる訳ではないが、傍系の人間にとっては直系=トップの図式があるらしく、下手な事は出来ない。俺に努力する心と能力が無ければ他の者がその地位に就くだけなのだが、何故か皆一様に期待に満ち満ちた目で俺を見た。
俺自身地位や名誉、金にそこまで執着はない。だけど努力せずにいられない理由があった。
幼馴染達もまた、それぞれの分野で名を馳せる名家の長男だったから。
あいつ等がくれはを好きなのはわかっていた。それが幼く淡いものである内に潰してしまいたかった。完膚無きまでにあいつ等の上である事を証明しなければならなかったのだ。それは全てに於いてである。腹立たしい事にあいつ等のスペックは高く、かなりの努力を強いられる事になったのだ。
くれはに会わない日にする教育課程は普通の子供のそれとは違う。それでも必死に喰らいついていった。
だが出された課題をこなせない時もある。気分だってのらない事もある、所詮子供なのだから。
だけど俺の両親は容赦なかった。
俺の両親は俺や他の三人がくれはを好きなのをわかっていた。だから敢えて、くれはと会う時課題が残っていたらそれをさせた。俺がどう思うか、どう変わるかお見通しだった。……親と言うより鬼だ。俺の悔しそうな顔を見て楽しんでいたのだから。
まあ、結果的にはあいつ等の上にいく事が出来たし、くれはが尊敬してくれる様になったのだから良いけれど。
そんなこんなでくれはは俺の膝の上が定位置だった。
小学校に入るまでは。
だから、懐かしいと思う。
思うのだが……。
今の俺達は前とは違い、身体は大人のそれに近い。男女でこの様な態勢でいるのはよっぽど親密な関係で無ければならない。避けられ過ごした年月が長かっただけに俺の心臓は速く大きく鳴り響き、呼吸もし辛い。心なしか顔も熱い気がする。
この腕の中にいるくれはは温かく柔らかい。……夢の中では何度か見たけれど、今は本物なのだから。
離したくない。
切実にそう思う。その想いはまるで祈りに近いだろう。
『最期』を目の当たりしたからこそ余計に。
これから先、俺はヴィンセントと、くれははクレメンティーヌと一つになるだろう。それは否応なしに為され、俺達には抗う術もない。この世界は俺達が居た世界と大きく異なるのに、前世と同じく立ち塞がる障害は尽きないだろう。
それでも。
それでも俺はくれはが欲しい。
クレメンティーヌと一つになったとしても、欠片さえあれば愛せる自信がある。
だけど……くれははどうなんだろう。
くれはは幼い頃は俺を慕ってくれた。
あの事件があるまでは俺の隣を歩いていた。
でも今は?
くれはは今でも俺を慕ってくれているのだろうか?
それに俺が今くれはに抱く想いは昔の様に純粋なものではない。恋情とは酷く仄暗いものも含んでいる。一歩間違えれば相手を燃やし尽くしてしまう苛烈な激情もある。
それをくれはは受け止められるだろうか?
『王子』の仮面で恋愛事を避けてきたくれはに。
俺は先程感じた期待から一変、先が見えない不安を抱えることになった。
腕の中にいる温かく柔らかいくれはを壊さぬよう、でも離れぬようにぎゅっと抱き締めた。
一言も会話の無いまま、馬車は走り続ける。
互いに何を思うのか、知らないままに。
次回の投稿は1/31(日)です。




