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クレメンティーヌ視点はまだ続きます。
フォレスター公爵夫妻、わたくしの両親は政略結婚だったのに恋に堕ちた。
両親曰く出会うべくして出会ったのだと。
わたくしや兄達の前でも憚る事なく常に寄り添い仲睦まじい。
それは今も変わらない。
両親はわたくしを含めた子供達にも愛情深く(少々行き過ぎな所はあるが)育ててくれた。
兄の二人も年の離れたわたくしを良く構ってくれたし、わたくしの環境に何の問題も無かった。
そう、わたくし自身に問題があっただけ。
殿下の婚約者となる前からわたくしは表情の乏しい子供だった。
表情だけでなく感情の揺れの幅が希薄だった。
喜怒哀楽全てにおいて。
だが公爵家の中では周りの人々に大切にされていた為、その事に気付かなかった。
殿下の婚約者となり公爵家の外へ出る機会が増え、他の人達と接する内にわたくしは他の人と違うと言うことに気が付いた。
ケーキが美味しいと笑顔で喜び、ドレスが気に入らないと怒り、欲しい物が手に入らないと哀しみ、お茶会を楽しむ。
その感情の発露はわたくしにはない表情が伴い、それが当たり前だった。
わたくしが無表情である事は当然すぐ周知され、面白可笑しく貴族に噂された。
富をもたらす肥沃な領地を持ち、先の戦争ではめざましい武功を立てた誰も逆らえないフォレスター公爵家をつつくにはもってこいの醜聞だった。
殿下の婚約者とはいえ、あくまで婚約者。
何かあればいつ誰に変わるかわからない。
そして引摺り落とす事が出来れば自分の娘が婚約者になる可能性もあるのだ。
貴族達は多少の危険があろうとも、わたくしの醜聞を大きく広めようと躍起になった。
そして自分の子供達には、わたくしの心を傷付け婚約を辞退させる為に虐めるよう示唆したのだ。
徐々に苛烈になっていくその虐めは、無表情だったわたくしに笑顔という仮面と有無を言わせない為の完璧な教養を身に着けさせた。
家族も殿下もわたくしの境遇にすぐ気付き介入しようとしたがわたくしがそれを止めた。
わたくし自身でこれ位処理出来なくては貴族の頂点である王族にはなれないと。
その時の家族と殿下がとても悲しそうな顔をしたのを今まで覚えている。
無表情でも喜怒哀楽が少なくても無い訳では無い。
わたくしは怒り、哀しんだ。
だがやはり他の人の様に表情に出る事は無かった。
すぐ改善するのは難しいと判断したわたくしは鏡の前で貴族令嬢らしい微笑みを練習し、それをどんな時でも浮かべる事が出来るようにした。
そして貪る様にマナーと知識を得、わたくしを虐めようとする貴族子女達への剣とした。
勿論、質の悪い貴族子女は実質的な暴力を振るう可能性もあった為、身体を鍛え、剣術、体術を学び、魔法を磨いた。
公爵家の籠の中から出て知った世間と言うものは、わたくしにとって戦場に近かった。
わたくしの目に映る色はほぼ黒だったのだから。
公爵家の使用人が纏う黒など可愛いものなのだと外に出て初めて気付いたのだ。
だからこそ黒を纏わない殿下へ執着したのだ。
だけど……。
執着は愛ではない。
わたくしの殿下に対するそれは、両親のように相手を恋慕うものではなかった。
それにわたくしは気付かなかった。
そして愛というものは、ただ相手を恋慕うだけの穏やかで温かいものだけではなく、激しい様々な感情を含むものなのだという事を知らなかったのだ。
その違いに気付かなかったわたくしは多くの間違いを積み重ねていく。
そして彼の苛烈な怒りに火を浸けたのだ。
殿下が初めてわたくしに向けられた怒りと悪意。
それが何故なのかわたくしにはわからなかった。
どれだけ考えてもわからなかったのだ。
殿下に直接理由を尋ねれば良かったのかもしれないが、初めて向けられた怒りと悪意に殿下を失うかもしれないという恐怖を抱いたわたくしには出来なかった。
殿下は家族の様に無条件にわたくしを好いてくれる相手ではないとはわかっていた。
だから感情が乏しく無表情なわたくしなりに殿下に好かれる努力はした。
そうした努力を殿下は見逃す事なく喜んでくれた。
ほんの小さな努力でさえ。
わたくしはその時見せる殿下の年相応の笑顔が好きだ。
決して他の人の前では見せないはにかむ様な微笑み。
その笑顔を見る為ならどんな努力も苦にならなかった。
だけど殿下がわたくしにして下さる事と釣り合いが取れない気がした。
どんな有益な他国との縁談もきっぱりと断り、わたくしとの婚約を維持し続けてくれる殿下。
その殿下に報いる事が出来ているのだろうか。
わたくしは漠然とした不安に陥った。
その不安を解消すべく出した結論は、誰にも文句を言わせない完璧な婚約者になる事だった。
それからのわたくしはそれまで以上に学ぶ事に力を入れた。
見た目も最新のドレスや宝飾品を身に纏い、スタイル維持の為好きだったお菓子も我慢した。
剣術や魔法もそれなりにやってきたのを本格的に習う事にした。
王太子妃教育も出された課題以上にこなした。
そうした月日が経つ内に気付けばわたくしは誰にも文句を言われない、むしろ褒められる様になっていた。
だが貴族の中にはまだまだ王太子の婚約者の立場を狙う者がおり油断など出来なかった。
どんな有益な他国との縁談もすげなく断る殿下に報いるには足りない。
どれだけ努力しても足りないと感じるわたくしは精神的に追い込まれていた。
そんな時に日常の無理がたたったのか、わたくしは倒れてしまった。
そして……。
くれはがわたくしの中にやって来た。
次回の投稿は12/5(土)です。